第93話 春は馬車に乗って
「おろせルーク!」
山道にジェットの野太い声が響きます。
ルークの移送魔法【春は馬車に乗って】をかけられたジェットは宙に浮かび、安全な場所に運ばれました。
「元の場所におろせ! あの女を斬る!」
ふだんクールなジェットに似つかわしくない怒鳴り声は止まりませんが、地上のどこにもマリアの姿は見えません。
さっきジェットがマリアに斬りかかろうとした瞬間、ルークは魔法で彼を吊りあげここまで逃げてきたのです。
「だめ。英雄ジェットが死んだら国民が悲しむ」
荷物のようにジェットを自分の真下にぶらさげ、ルークはせわしなく羽根を動かし空を飛んでいます。
「国民が悲しむって……おれが負けるというのか?」
「負けるよ。さっき指メガネで強さを確認した。あの女はヤバい。人間技を越えてる。今大陸最強の剣士はマリアだよ」
「イオリならどうだ?」
「イオリも勝てないよ、たぶん」
「そうか。みんな、すまん」
ジェットの脳裏にマリアに斬られ、山道に倒れた六人の部下の姿が浮かびます。
「仇はきっととるからな」
「宿場町に着いたよ。あれ?」
ルークが地上を指さします。
「お~い」
宿場町灼熱の目抜き通りに、空に向かって手を振る三人の人物がいました。
三人とも修験者風のみすぼらしい赤いローブを着ています。
「カイだよ!」
手を振っているのは黄金騎士団のカイ、ジャック、エヴァンの三人です。
地上に降りるとジェットは副団長に抱きつきました。
「カイ生きてたのか!?」
「ああ。マリア・バタイユに襲われたけどとっさに丘から飛び降りて逃げた。あの女おれたちが死んだと思ったようだな。アレックスやテッドはどうした?」
「……あの女に斬られた」
「よし。あのアマぶった斬ってデカいケツを野ブタに食わそう。行こうぜ団長」
「おう!」
「だめだよ」
自分たちを引き止めるルークにカイは食ってかかりました。
「なぜ止める!」
「じゃあ聞くけどあの女と斬り合って勝てると思う?」
「……」
興奮して鼻の穴をふくらませていたカイ、ジャック、エヴァンの三人はたちまちうなだれました。
「……勝てない」
丘から飛び降りる直前、マリアの剣から矢のように放たれた壮絶な剣気を思い出し、カイは身震いしました。
「あれはなんていうか、人間技じゃない」
副団長の言葉にジェットもうなずきます。
「たしかにアレックスたちが斬られるとき、そばにいたおれの耳になんの物音も聞こえなかった。おれの耳はオオカミの忍び足も聞き逃さないのにそんなことってあるか? しかしルーク、あの女を避けるといっても火の山まで行く道はこれしかないぞ」
「迂回して山林を進もう」
ルークがてのひらをかざすと、ジェットたちの体が青い光の膜に包まれます。
膜はすぐ消えました。
「魔法のシールドだよ。これで虫や獣は寄ってこないし、草木も自ら道を空ける」
「ありがたい。みんな行くぞ!」
先頭切って山林を歩くジェットについて行きながら、ルークは首をかしげました。
(ジェットどうしたんだろう? いつもはもっとクールなのに昨日から、いやこの旅が始まってからずっと心ここにあらずって感じで落ち着きがない。それに)
怠惰の港に向かう船上でのできごとです。
使い魔とともに死んだ若き騎士ケンの遺体を抱いたジェットが、こっそりつぶやいた言葉をルークは思い出します。
「よくやったケン。おれもすぐ行く」
そのときルークの体がカッと熱くなりました。
木漏れ日に小さい体を包まれ、ルークは悟りました。
(ジェットはこの旅で死ぬつもりだ)
世界が薄赤い色に染まっています。
イオリは一人裸で暗く温かな部屋にうずくまっていました。
部屋は被膜に覆われています。
被膜の向こうで数人の人物が会話していて、その内の一人がふいに被膜に耳をくっつけました。
耳をつけた人物はいいました。
「イオリ、早く会いたいな」
「……」
ミルク色の木洩れ日にまぶたを叩かれ、イオリは目覚めました。
山岳地帯を歩き始めて五日目の朝です。
イオリ一行は昨日の夜も森の中で野営しました。
ブルックやクロはまだ眠っています。
イオリはひさしぶりに見た悪夢を回想しました。
気味が悪くてふだんは回想なんかしないのに、今日は勝手がちがったのです。
「イオリ」
いつもは被膜の向こうから声をかけてくる人物が何者なのか、男かそれとも女か、年齢はどれぐらいか、まるで見当がつきません。
それが今日、急にはっきりわかったのです。
「早く会いたいな」
(あれは若い男の声だ。いったい何者だ?)
寝袋の中で腕組みするイオリを、近くの木の枝からてんとう虫が見つめていました。
「ふむ。予定通り明日こっちへ着くな」
大きな水晶玉をのぞき込んでいた男は、顔をあげると満足そうにうなずきました。
「みんな、明日崇拝の町に生贄がやってくる。教団クルシミの総力を結集して歓待しようではないか」
赤い僧服を着た長身禿頭の教祖アレクサンダーに発破をかけられ、その場にいるカルト教団クルシミの信者五百人は大歓声をあげました。
「儀式の始まりだ!」
「夜明けは近い!」
信者はみんなクルシミの制服である白い上着を着て白いズボンを履いています。
その中にいる三十歳ぐらいの男女はこんな会話を交わしました。
「いよいね、マックス」
「ああ、楽しみだなノーラ」
坊主頭のマックスは獲物の到来を待ちかねるように指の骨をポキポキ鳴らし、赤い髪のノーラは頼もしそうに彼のようすを見つめています。
そんな二人のそばに、こちらは二十代前半に見える金髪の小柄な男女がいました。
「とうとう始まるね、ダミアン」
「やっとだね、アニー」
顔を見合わせ親し気な笑みをかわしたあと、ダミアンと呼ばれた若者は黒い髪に黒い瞳のカップルに声をかけました。
「あした王子がくるよ! エイジ、ナミ」
「そうだな」
「楽しみね」
落ち着いた物腰のエイジとナミに、興奮したマックスが声をかけます。
「おいエイジ、あしたは頼むぞ。二人で王子の護衛をやっつけよう」
「おれ疲れるのは嫌だからマックス一人でやってくれ」
「この野郎!」
笑うエイジの手、エイジの胸を叩くマックスの手、そしてその場にいるすべての信者の手の甲に、ぶきみなタコが盛りあがっています。
素手で戦う拳法家特有の拳ダコです。




