第88話 山の中の隠れ里
チャッコとの死闘を終えた翌日の夕刻、ブルック一行は宿場町【戦闘】に着きました。
「山の中にこんな町が」
ブルックは額の汗をぬぐって思わずため息を突きました。
戦闘と町名は勇ましいですが、そんな名前と裏腹な白い石造りの瀟洒な町並みに、ブルックはうっとり見入りました。
「どうやってこんなところに石を運んだんだろう?」
「町の人は神さまが石を恵んでくださったといってますケロ」
人たらしらしく、早くも町の住人から得た知識をアンナが披露します。
「もちろん神といってもあのカミではありませんケロ。彼らの神です」
「なるほど。異教の神さまだね」
アンナの説明にブルックはうなずきました。
戦闘は異教徒の町です。
(迫害を逃れてこんな山中に自分たちの町を作ったのか。いわば異教徒の隠れ里か。ゼップランドに信教の自由はあるとはいえ、異教徒を白眼視する連中も多いからな)
ブルックがそんなことを考えているとアンナが首をかしげました。
「そういえば話を聞いたおじいさんがわたしはなんにもいってないのに『王子さまによろしく』といってましたケロ。なぜ王子さまがいらっしゃるのを知っているのでしょう?」
「ぼくの旅は街道で結構な噂になってるからね」
とブルックがいったとき、町の中心部に建つ尖塔から夕刻の祈りが流れてきました。
夕日に染まる石造りの町並みに、エキゾチックな音色はとてもよく似合います。
道行く人は足を止めると、彼らの信仰の総本山がある東方に向かって頭をさげ、ブルックたちも自然に頭を垂れました。
食堂で美味い鹿肉のローストを食べた一行は、とくにすることがないので早々と宿の一室に引きあげました。
「さ~て一仕事終わりましたケロ」
時間をかけた歯磨きを終え、アンナは大きくあくびしました。
「山の中に歯医者なんていません。ここで歯が悪くなったら命とりですから歯はていねいに磨くのですケロ。じゃおやすみなさいケロ。『ボナパルトがくるぞ』」
奇妙な呪文をつぶやき、アンナはあっという間に眠りに落ちました。
イオリが羨ましそうにつぶやきます。
「あっさり眠れていいな」
「疲れてるんだよ。夜になっても聞こえるね」
ブルックは開いたままの窓から外を見ました。
町の中心にある尖塔から、また祈りの声が聞こえてきます。
「一日に何度も流すんだね。さ、ぼくらも寝よう」
窓から見える尖塔に向かって頭を垂れ、ブルックは明かりを消しました。
部屋が暗くなっても、祈りの声は潮騒のように延々と続きました。
午前零時を過ぎたころです。
戦闘の町は井戸の底のように静かです。
その張りつめた静けさに、波紋が広がりました。
(だれかきた)
部屋のドアノブがゆっくり開く音をイオリは耳にしました。
(フロントからカギを盗んだのか、それとも宿もグルなのか。まあどっちでもいい)
斬る、とベッドに忍ばせた不知火丸に手を伸ばそうとして、イオリは愕然としました。
(手が動かない)
手だけではありません。
全身がまったく動かないのです。
必死の気力で視線をめぐらすと、目出し帽をかぶった男の二人組――肥ったのと痩せたの――が室内に侵入していました。
その手にあるナイフが星の光で青く光ります。
(クロ! アンナ!)
イオリは必死にもがきましたがあいかわらず体は動かせず、声も出ません。
クロもアンナも熟睡していてピクリともしません。
するとイオリの頬に、生温かい体温が伝わってきました。
「こいつ起きてる」
痩せた男がイオリを見おろしています。
肥った男がすかさず相棒をたしなめます。
「バカ、声出すな」
「心配すんなって。どうせ動けねえ。しっかしこいつ、いい女だなあ」
「マジか?」
肥った男もイオリの顔を間近からのぞき込みます。
「ほんとだ。ドラゴン殺しなんていうからどんなおっかねえ女かと思ったら、どえらい美人だ……ていうか王子もやっべえぞ」
二人の男は今度はブルックの顔をのぞき込みました。
「こりゃ美人だ! さっきの姉ちゃんがきれいならこっちはかわいいって感じだな」
「こいつ本当に男か? お姫さまのまちがいじゃねえか?」
肥った男は感嘆のため息を突きました。
「王子を生け捕りにしたら大金が手に入る」
これは肥った男のつぶやきです。
「その条件として『ブルックに絶対手を出すな』とメルヴィン殿下がいってる。そうでなかったら一発やるんだけどな」
「そうだな。じゃ、護衛は片づけとくか」
痩せた男は振り向くと、イオリの喉にいきなりナイフを振りおろしました。
(クソ!)
イオリの体は動きません。
万事休す、と観念したときです。
静かな室内に金属音が轟きました。
「なにしてるんですかケロ?」
「は?」
痩せた男は一瞬声を失いました。
百九十センチ九十キロの巨女が自分を見おろしています。
寝ぼけ眼をこするアンナの手に、痩せた男のナイフを受け止めた短剣がありました。
「え~と、どちらさま?」
「おめえ、祈りの声を聞いてねえのか?」
疑問をつぶやく痩せた男の鼻先に、アンナは小さいガラスの容器を突きつけました。
「呪術師のおばあさんが調合してくれました。このクリームを耳に塗って寝ると、外の音はなんにも聞こえなくなりますケロ」
「こいつ魔法の祈りを聞いてねえ!」
「殺せ」
相棒の叱咤に応じ、痩せた男はナイフを振りかざしました。
「あ、泥棒さんですかケロ?」
アンナは手にしたダガーを電光石火の速さで突き出し、男の心臓を刺しました。
「『殺すと決めたら最短で動け』怪物団の戦陣訓ですケロ」
痩せた男は悲鳴もあげず、膝から垂直に崩れ落ちました。
「てめえ!」
「お静かに」
アンナはすばやくダガーを投げました。
「けくっ」
肥った男は奇声をもらしました。
ダガーはターゲットの喉を貫き、肥った男は床にあお向けに倒れました。
「『欲で動く者に情けをかけてはなりません。欲望にきりはないからです』これは戦陣訓ではなく女神さまの教えですケロ。ん?」
なんだか騒がしいのでアンナは窓から町を見おろしました。
「これは!?」
アンナの顔色が一瞬で変わります。
宿に津波が押し寄せていました。
「神の教えにより」
「大地の平和を守るため」
「異教徒滅すべし」
「殺すべし」
押し寄せるのは人の波です。
町中の人間が一人残らず宿に迫っていました!
彼らが手にした剣や鍬が星の光にキラキラ輝き、アンナにはそれが本物の波頭のように見えました。




