第83話 惨劇の森
「イオリなにをいうんだ! マリア殿はぼくたちを助けてくれたんだぞ!」
「殿下、おさがりください」
マリアは自分の前に出ようとするブルックを制し、イオリに向き合いました。
炎がいよいよ迫ってその場にいる人間全員の髪の毛が逆立ち、バチバチと木々が爆ぜる音が爆竹のように耳朶を打ちます。
マリアはいつもと変わらぬ穏やかな口調でイオリに語りかけました。
「前にもいいましたがわたしはあなたのお友だちを殺していませんよ?」
「おまえはウソつきだ」
イオリの脳裏に雨の中地面に横たわったアランやエリの無惨な姿、そして彼らの胸にあった赤い痣が浮かびます。
「オホホ! わたしがウソつきなのは認めます。でもわたしは子どもを殺すようなまねはしません。といっても憎悪で目と耳がふさがった人には聞いてもらえませんね」
マリアは胸もとにつけたガラスのブローチをそっと撫でました。
ブローチの中に四つ葉のクローバーの押し花があります。
「わかりました」
マリアは手にした剣をさりげなくかざしました。
すると炎に熱せられた森の空気が、一瞬で氷結しました。
マリアの放つオーラが、自然の猛威を圧したのです。
(これは)
見守るブルックはドキッとしました。
とっさに八相に構えたイオリが、いつもより小さく見えるのです。
「尋常に勝負しましょう。カミより賜りし愛剣メメント・モリに、ひさしぶりに死を思い出させましょう」
「死ぬのはおまえだ!」
イオリは猛然と不知火丸を振りおろしました。
袈裟斬りです。
次の瞬間耳をつんざく金属音が轟きました。
「すばらしい」
不知火丸の斬撃をメメント・モリで受け止め、マリアはうっとりほほ笑みました。
「十年前とは比べものにならない鋭さです。太刀筋にたくさん死が宿っている。でも死についてなら、イオリさんよりわたしのほうがずっと詳しいです。マリア・バタイユは死のエキスパートですから」
「……」
(イオリ?)
そのときブルックは気づきました。
鍔迫り合いしながらマリアは楽し気にほほ笑み、一方のイオリは青ざめた顔にべったりと冷や汗を浮かべていることに。
イオリはひそかに焦っていました。
(なんだこの女? ものすごい圧力だ。腕力はたいしたことないのに、おれの腕がこわばって鍔迫り合いを外せない)
「幼なじみの復讐を果たすというあなたの生き方をわたしは否定しません」
マリアの青い瞳が、イオリの黒い瞳を間近からじっと見つめます。
「でも憎悪がモチーフでは究極的に強くなるのは不可能です。憎悪は自分の心も蝕みますから」
「じゃあ、なにをモチーフにすればいいんだ?」
「軽蔑」
短くいい切るとマリアはイオリの刀を跳ねあげました。
密着していたマリアとイオリの間に、わずか数センチの距離ができます。
マリアも剣を振りあげました。
二人の剣と刀が天を突き、それが振りおろされる一秒に満たない時の狭間に、イオリは見ました。
無数の死を。
圧倒的な暴力にさらされ、無惨に死んでゆく人々の、尊厳に欠けた死を。
(これはマリアが身近に見聞した死だ)
瞬きより速く、イオリはそう確信しました。
「制覇剣【喪神】!」
「懲罰剣【悪徳の栄え】」
イオリとマリアの気合いが重なります。
互いに神速の袈裟斬りを放ち、二人はそのまま動かなくなりました。
間近で真っ赤な炎が燃えあがり、二人の女剣士は黒い影と化しました。すると
「この勝負お預けです」
「ま、待て」
自分に背を向けたマリアに手を伸ばしたイオリの胸から、ドッと鮮血が噴き出しました!
「イオリ!」
ひざまずくイオリとマリアの間をさえぎるように、焼け落ちた木が地響き立てて倒れます。
「殿下どうぞお逃げください。わたしはこれで失礼します。イオリさん、また会いましょう」
礼儀正しく会釈するとマリアは炎に向かって歩き、そのまま消えました。
ブルックはうずくまったまま動かないイオリのもとに駆けつけました。
「大丈夫か!?」
「おれの負けだ。竜皮の服を着ていなかったら、おれは死んでいた」
イオリの声は弱々しくかすれていました。
血も止まりません。
「王子さま! 火が!」
アンナは悲鳴をあげ自分にすがりつく子どもたちを抱きしめました。
炎が四方を完全に取り囲み、もはや逃げ場はありません。
イオリはブルックに告げました。
「おれを置いて逃げろ」
「バカいうな。助けてクロ!」
ブルックは空に向かって叫びました。
その叫びは、ちょうど真上の空を飛んでいたクロの耳に届きました。
クロが下を見ると、木々の間から炎がチロチロ舌を伸ばしています。
クロはすかさず空に向かって絶叫しました。
「ホラー!」
すると青空に長方形の黒い影が浮かびました。
いえ影ではありません。
空に巨大な木の扉が出現したのです!
扉は軋みながらゆっくり開きました。
扉が開ききると、クロは地上に向かって叫びました。
「転移魔法【夏への扉】!」
すると森を覆っていた炎がみるみる地上を離れ、天に向かって昇り始めるのです。
逆さまの滝のように。
「体が浮きますケロ!」
「みんな集まれ!」
ブルックは全員ひとかたまりになるよう命じ、お互いを抱きしめ合いました。
そうしないと炎と一緒に空に吸い込まれそうになるのです。
炎はあっという間にほとんど吸収されましたが、今度はメキメキ音立てて、燃えていない木まで空に向かって舞いあがり始めました。
「吸引が止まりませんケロ!」
「危ない!」
ブルックは青い帽子をかぶった男の子を突き飛ばしました。
男の子の頭上に大木が倒れてきたのです。
「うわ!」
次の瞬間ブルックは木と一緒に空へ舞いあがりました。
「王子さま!」
アンナは手を伸ばしましたがどうしようもありません。
ブルックは一気に上昇しました。
すぐ目の前に扉が迫ります。
(扉に吸いこまれたら別の次元に飛ばされる)
とブルックが恐怖したときです。
急に視界が暗くなりました。
「え?」
「あ~ん」
巨大な口をあけたティラノサウルスのシュガーが、扉に吸いこまれる寸前のブルックをぱくり、と口に飲み込みました。
「シュガー食べちゃだめニャ。降りるニャ」
頭に乗ったクロに命じられ、恐竜は背中の羽根をパタパタ羽ばたかせました。
クロが魔法で羽根をくっつけたのです。
ベヒモスの牙に貫かれたシュガーのお腹に、大きな包帯が巻かれています。
地上に向かって降りながら、クロは空を見あげました。
すべての炎を飲み込んだ扉は雷鳴のようにきしみながらゆっくり閉じ、やがて扉自体も消えました。




