第82話 炎
「やれ」
リーダーのオロフにうながされ、頬のこけた若者は帽子を脱いで前に出ました。
その手にある剣はすでに血に濡れています。
アンナは草色のズボンの両サイドポケットから得物を抜きました。
イオリと戦ったとき使った細身の片手剣レイピアと対照的な短剣です。
「あなたたちはそこでおとなしく見ていなさい」
アサシンの背後から状況を見守る子どもたちに声をかけ、アンナは若者と向き合いました。
「わたしはアンナ・レンブラント」
「おれはヴィゴ・ベルイマン」
両者は名乗りをあげました。
自分の名を知った相手を生かす法は、盗賊にもアサシンにもありません。
アンナは両手に持ったダガーをそれぞれ水平にかざしました。
ヴィゴは右手の剣を気怠そうにだらりとさげます。
そしていきなり斬りあげました。
空気を切るおそろしい音が二度三度と続きます。
アンナは相手の斬撃を短剣で受けず、フットワークでかわしました。
「速いな」
感心したようにヴィゴがつぶやきます。
すると突然剣の軌道が変わりました。
剣を左手に持ち替えたのです。
右斜め上から降ってくる斬撃をダガーで払い、アンナはヴィゴの腹に膝蹴りを叩き込みました。
「グエッ」
一瞬動きを止めたあと、ヴィゴはこけた頬をゆがませ笑いました。
「今の膝蹴り、クソ高くつくぞ」
木漏れ日にギラリと刃が反射します。
ヴィゴは猛然と攻勢に出ました。
怒涛の片手突きです。
「シュッ、シュッ」
ぶきみな気合いとともに毒蛇の舌のように剣が伸びてきます。
ダガーで払い、さらに足も使ってアンナは敵の猛攻をかわしました。しかし
「危ない!」
ブルックは悲鳴をあげました。
アンナの背中がブナの幹にぶつかったのです!
もはや逃げ場はありません。
「もらった」
ヴィゴは右手に持った剣を構えました。
ねらいはアンナの心臓です。
自分の剣が女の柔肌を貫く手ごたえを妄想し、ヴィゴは舌なめずりしました。
「うわ!」
突然ヴィゴは悲鳴をあげました。
いきなり視界が真っ白になったのです。
(木漏れ日だ)
と気づいたとき、ヴィゴの喉もとが生温かくなりました。
木漏れ日を反射したアンナのダガーに斬られたのです。
「『地の利をわきまえろ』知らない土地ではもっと謙虚にふるまうべきですケロ」
アンナの言葉を聞きながら、ヴィゴはひざまずきました。
噴き出す血を止めようと喉をかきむしりましたが血は止まらず、若者は地面に倒れると痙攣しながら絶命しました。
「アンナ殿!」
ブルックに呼びかけられたアンナは急いでそちらに駆けつけました。
「容態がおもわしくない」
「お姉ちゃん強ぇえなあ」
アンナの腕に抱かれた少年の顔に、笑みが浮かびます。
「やっぱアンナ・レンブラントは最強さ。おれももっと強くなってお姉ちゃんを守りたかった。ごめん」
「ブライアン」
「『戦場で涙を流すなかれ』だぜ、お姉ちゃん。へへ」
少年は目を開いたまま黙り込みました。
アンナの涙が頬に落ちると、少年の手も地面に滑り落ちました。
「ブライアン、なぜわたしを一人にするのですケロ」
「死ねえ!」
少年の遺体を抱きしめるアンナの頭上に、オロフの剣が降ってきます。
「アンナ!」
ブルックはとっさにアンナに覆いかぶさりました。
オロフの剣は止まりません。
(斬られる)
ブルックが覚悟を決めたそのとき、頭上で火花が散りました。
「きさま!」
剣を跳ね返されたオロフが怒号をあげます。
「ブルック殿下」
剣の代わりにブルックの頭に降ってきたのは、涼しげな女性の声でした。
顔をあげるとそこに一人の剣士がいて、こちらに背中を向けています。
「お助けに参りました」
振り返った黒衣の剣士は金色の長髪を風になびかせ、優雅にほほ笑みました。
「マリア・バタイユ殿」
「この人が、皆殺しのマリア?」
突然自分たちの目の前にあらわれた救いの女神を、ブルックとアンナは呆然と見あげました。
戦いの場にそぐわない美しさに、とっさに見惚れたのです。
「こいつが大陸最強といわれるあの女剣士?」
オロフの耳にもマリアの雷名は轟いているようです。
「おもしろい。ヒューマン・タンク!」
リーダーの号令で六人の男は横一列に並びました。
まっすぐ突き出された六本の剣が、木漏れ日を浴びぶきみに光ります。
「単純な戦法だがかわせるものならかわしてみよ。突撃!」
六人の男は黒いマントをなびかせ、マリア目がけて一斉に突進しました。
マリアの背後にブルックがいるから攻撃をかわすことはできません。
「マリア殿!」
「しばしお待ちを」
マリアはほほ笑むとすぐ前を向きました。
六人の男の剣が、空気を斬り裂き迫ります。
マリアは剣を正眼に構えると、静かにつぶやきました。
「神力善用
凍」
猛然と突っ込んでくる男たちの体が、急にピタリと膠着しました。
手足だけでなく、マントまで動かなくなったのです。
まるで凍りついたかのように。
「砕」
アンナは剣を垂直に振りました。
すると彼女の目の前の空間がグニャリと歪み、その空間の中にいた六人の男の体が、ズタズタのこま切れ肉と化しました!
斬られたのではなく、なんらかの力で体を上から圧縮され肉体を粉砕された、そんな感じです。
「お目汚し失礼しました」
マリアが剣を振ると、だれの体にも触れていないはずなのに、刃から血が飛び散ります。
剣を鞘に納め、マリアは南をうかがいました。
迫る炎がバチバチ爆ぜる音がはっきり聞こえます。
マリアは遠くから自分を見つめる子どもたちに声をかけました。
「あなたたちもいらっしゃい。殿下急いでここから逃げましょう……あら?」
マリアは目を細めて炎を見つめました。
真っ赤な火炎の中に黒点が見えます。
黒点は徐々に大きくなり、やがて人の形になりました。
炎の中からあらわれたのは、全身を竜皮に覆われた人間です。
「美しい」
マリアのつぶやきを、ブルックははっきり聞きました。
「おひさしぶりですね、イオリさん」
マリアはニッコリ笑いました。
「マリア・バタイユ」
顔を露出すると、美貌のドラゴン殺しは不知火丸を抜きました。
「なにをなさるおつもり?」
「おまえを斬る」




