第77話 白い天使
ブルックとクロを宿へ帰し、イオリはオスカーと二人で通りを歩きました。
「今も白しか着ないんだね?」
自分より少し背が高いオスカーにイオリが話しかけます。
空気までピンクに染まったような臨終の町で、髪の毛も服も真っ白なオスカーの姿はやけに目立ちます。
「白はおれにとって戒めの色だ」
オスカーは頬の傷を撫でました。
「『二度と血で服を汚さない』そう誓ったからな。イオリ、おまえ今年で十七になったろう?」
「よく覚えてるね。オスカーはいくつだっけ?」
「師匠の年を忘れんじゃねえ。五十一」
「結婚は?」
「おれができると思うか? ここだ」
オスカーは古い旅館を指さしました。
ここの一室が現在のオスカーの住居です。
「狭くてすまん」
イオリが案内されたのは従業員用の部屋でした。
窓の外からピンクの街灯がさす部屋はベッドとテーブルがあるだけで、ほかに目を引くものはありません。
「適当に座ってくれ。コーヒーを淹れてくる」
椅子が一つしかないのでイオリは刀を壁に立てかけると、ベッドに腰かけました。
オスカーは一階の調理場へ行き、しばらくして部屋にもどりました。
たちまち馥郁たるコーヒーの香りが室内に満ちます。
イオリが手渡された小さいカップは、夜の海のように真っ黒で、ドロドロの液体で満たされていました。
「砂糖は?」
「いらない」
本当は砂糖をたっぷり入れて飲むのが好きなのですが、今それをやったらカフェインと糖分のダブル効果で眠れなくなるのでやめました。
一口コーヒーを飲み、イオリは思わず笑いました。
濃厚な香りと味わいが、死闘と旅に疲れた体に救いのように染み渡ります。
「美味い! 一口で疲れが吹っ飛んだよ」
「暗黒大陸のコーヒー豆だ。上物だぞ。そういや昨日剣士の大会で優勝したんだよな? おめでとう」
「ありがとう」
「今やドラゴン殺しのイオリだもんな。おれと別れて一年後に討伐したんだっけ? 大陸で三十年ぶりの快挙を一人でやるなんてすげえぞ」
「たいしたことないって。オスカーはおれと別れてからなにをやってたの?」
「シップランドとタイタンで傭兵として働いたあとゼップランドへ戻った。今はこの町の用心棒だ。ここへきてもう一年になる」
「帝国の近衛団にスカウトされてたじゃん? おれてっきりオスカーは今ごろ太陽王のそばで働いてると思ってた」
「ありゃ断った。採用のための試験があって、その内容が帝国のある王族の暗殺だった。おれはアサシンじゃねえ」
「オスカーの持論だね。『剣士は戦い、アサシンは殺しのプロ。似てるようで全然ちがう』って」
「その通り。ところでおまえが連れてるセーラー服のお嬢ちゃん、ありゃなんだ? どえらい美人だな」
「いつからロリコンになったの?」
「そういうなよ。臨終は娼婦の町だからきれいどころは掃いて捨てるほどいる。でもあれほどの美人はいねえ。レベルがちがう」
(オスカーはブルックが男の子であることも、この国の王子であることも気づいていない)
おれの師匠はそういうとこ抜けてんだよな、と思いながらイオリは旅する前にこしらえたブルックの『設定』を語りました。
「あの子はある豪商の娘なんだけど、最近その豪商が亡くなった。それで娘は幼なじみのダークエルフと一緒に西の修道院に入ることになり、おれが修道院までの護衛役を頼まれたってわけ」
「そうか。じゃあ今や師弟ともども用心棒ってわけか」
「オスカー」
どことなく寂しげな師匠の横顔を見て、イオリは思わず質問しました。
「もしかして帝国近衛団のスカウトを断ったこと、後悔してる?」
「……イオリ」
とっさにイオリは自分がどういう状況にあるのかわかりませんでした。
ベッドに押し倒された、と気づいたとき体が重くなりました。
師匠の頬にあるギザギザの傷が、目の前に迫ってきます。
「オスカー」
イオリは悲鳴のような甲高い声をあげました。
「あんたはおれの先生だろう?」
「……そうだ」
オスカーは覆いかぶさっていたイオリの体から降りると、ベッドのふちに腰かけ、顔を覆いました。
「すまん」
「いいよ。オスカーがスケベなのはおれがいちばんよく知ってるし」
イオリのつまらないジョークを聞いてもオスカーは顔をあげません。
イオリは立ちあがると、壁に立てかけた刀を手に取りました。
「じゃあまた……」
突如疾風が渦を巻きました。
イオリは振り向きざまオスカーの首筋に不知火丸を打ち込みました。
オスカーの顔の間近で火花が散ります。
オスカーは鞘からバスタードソードをほんの少し抜き、わずかに顔をのぞかせた刃で不知火丸を受け止めました。
「腕鈍ってねえなおっさん。鮫の冷たい輝きも変わらない」
ピストリークスはオスカーの愛剣の名前です。
海を泳ぐ鮫のように底光りする青い刃の剣で、剣に魚類の名前をつけるのはシップランドの伝統でもあります。
「峰で打つんじゃねえ、刀が折れるぞ」
剣を鞘に戻し、オスカーはイオリの顔を指さしました。
「おまえ、まだそのピアスしてるんだな」
「これ?」
イオリは自分の耳もとにある、雫型の赤いピアスを撫でました。
「『もっと女らしい格好をしろ』そういってあんたがおれの十四歳の誕生日に、縁日の屋台で買ってくれたんだ」
「そうだっけ?」
「そうだよ! 忘れるなんてひでえなあ」
イオリはブツブツ文句をいいながら不知火丸を腰に差しました。
「このピアスはこれからもずっと身につける。外せといわれても絶対外さない。このピアスはおれがあんたの弟子である証しだ。剣をとったら天下無双でどんな騎士もカルマもかなわない。女子どもに弱いけど、悪党どもは容赦しない。おれはそんなあんたに憧れて弟子になった。おれは『白い天使』オスカー・レノンのただ一人の弟子だ。それはおれの誇りなんだ。じゃあ行くよ」
「イオリ」
「なんだよ?」
「さっさと嫁に行け」
「あんたにいわれたくない!」
「そんでおれにあのセーラー服の子を紹介してくれ」
「このエロおやじ! いい加減枯れろ!」
プリプリ怒って部屋をあとにして、イオリはすぐ戻ってきました。
「ごめん、今日はこっちに泊まるって仲間にいってきたんだ。今さら帰るの恥ずかしいからやっぱり泊めてよ」
「おまえはベッドに寝ろ。おれは……」
「床に寝るの?」
「おれもベッドで寝る。弟子の肉体的成長を確認するのは師匠の務めだ」
「まじめな顔してスケベなこという癖変わんないね」
とイオリが呆れているころ
「これでよし、と」
ブルックはクロと宿の一室にいました。
二人とも蠟燭を灯しただけの、暗い部屋の床に正座しています。
ブルックの目の前に、母の形見である魔石が置かれています。
さらに魔石とブルックの間に、三つの物がありました。
「ジェイムズの遺品のハート型ペンダント、帝国騎兵隊のアランとエリの髪の毛、そしてドストエフスキー先生の血がついた服の切れはし……」
「ブルック、本当にやるのかニャ?」
「うん、やるよ。今からやることを女神さまは決しておゆるしにならないだろう。でもカミを倒すために、ぼくは善悪の彼岸に立たなければならないんだ。イオリがいない今夜がチャンスだ。じゃ、きみはそこで見てて」
自分のうしろに座ったクロにほほ笑みかけ、ブルックは正面を向きました。
そして、パンッ、と乾いた音立てて合掌し、こんな言葉を口にしました。
「反魂術【魔界転生】」
するとたちまち魔石と、床に置いた三つの物が輝き始めるのです。
青い光に部屋は満たされ、その光の中に、陽炎のようにゆらりと四人の人間の姿が浮かぶのをクロは見ました。




