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第74話 敗れざる者

 バベル大帝国との防衛戦争への出征前夜、ジェイムズはお城の部屋で休んでいました。

 するとだれかが遠慮がちに扉をノックする音が聞こえます。


「兄上」


 五歳のブルックは女の子のような白いドレスを着て部屋にあらわれました。


(こいつ母上以上の美人になるぞ)


 そう思いながらジェイムズは、どうした? と声をかけました。


「兄上これ」


 ブルックは兄の首にハート型のペンダントをかけました。


「下町の屋台で買ったお守りだよ。兄上、必ず帰ってきてね」


 ブルックは兄に抱きつき涙を流しました。


「大丈夫、必ず帰るよ」


 ジェイムズが頭を撫でると、弟はようやく笑顔になりました。


(ああ、父上のあとを継ぐのにふさわしいのはブルックだ。メルヴィンやキャロルやおれとは器量がちがう。ブルックはきっと歴史に名を残す竜王になる)


 弟のかわいらしい笑顔を見て、ジェイムズはそう確信したのです。





 これは戦争が終わって二年後の記憶です。

 ジェイムズは全裸でベッドに横になり、胸もとのペンダントをいじっていました。

 ジェイムズのとなりに、やはり全裸の継母ラウラ妃がいます。

 美と官能の結晶のような体が、汗に濡れています。


「母親をこんなにいじめて、悪い子」


 長い金髪をおどろに乱し、ラウラ妃は気怠そうに笑うとジェイムズにキスしました。


「ねえ、前から聞きたかったけど、そのペンダントだれにもらったの?」


「ブルックだよ」


「……」


「どうかしましたか?」


 ジェイムズは思わず上体を起こしました。


「母上?」


「ううん、なんでもないわ。ジェイムズ」


「はい」


「抱いて」


 その夜のラウラ妃はいつもより積極的でした。

 自分に抱かれて激しく乱れる継母に愛しさを覚えながら、しかしジェイムズの心も乱れました。


(ブルックの名前を聞いたとき、母上の顔が一瞬だけ女から母親になった)


 母上がいちばん愛しているのはブルックだ、とジェイムズは知ったのです。

 その夜が、二人が愛し合った最後の夜になりました。

 それから数か月後、ラウラ妃は謎の病に倒れ、この世を去りました。

 まだ二十八歳でした。





 ジェイムズの剣の切っ先が、イオリの左頬を斬ります。

 対するイオリの刀は、ジェイムズの肩から入って心臓をななめに斬り裂きました。


「……これを、ブルックに」


 ジェイムズは胸もとのペンダントに手を触れました。


「ジェイムズ!」


 弟の絶叫を遠くに聞きながら、兄は前のめりに倒れました。





 日差しに満ちた、どこかの明るい草原です。


「ジェイムズ」


(母上?)


 愛しい継母が笑顔で息子をのぞき込んでいます。

 起きあがったジェイムズの体は無傷でした。


「あなたをずっと待っていたわ。はやくいらっしゃい」


「ああ、母上。おれはバカです」


 ジェイムズはラウラ妃の手を取り、その場にひざまずきました。


「あら、どうして?」


「おれが母上を呼ぶのではなく、おれがさっさと行けばよかったんだ」


「もうきたからいいじゃない」


 継母は息子の頬を愛し気に撫で、撫でられた息子は笑いました。


「母上」


「なに?」


「ここは地獄ですね?」


「ええそうよ」


 母がニッコリ笑ってうなずきます。


「地獄がこんなに明るいとは知りませんでした」


「ここはすばらしい場所よ。明るく清潔で光に満ちている。悪魔や獄卒はいない。ここにいるのはわたしとあなたの二人だけ。永遠に二人きりで愛し合うことしかできない世界。それが地獄よ。あなたに耐えられる?」


「むろんです。永遠の愛を今誓います」


 ジェイムズは母の手を取り、そこに接吻しました。





 ジェイムズ・ボッシュは目をあけたまま、息を引き取りました。


「勝敗が決しました! 勝ったのはイオリ! デュエル・カップ史上初の女性チャンピオンの誕生です! ……」


 閉会セレモニーでイオリは帝国のアグネス妃から、王者のしるしである草の冠を授けられました。

 自分の手にキスしたイオリの頬を、妃は撫でました。

 わりとねちっこい撫で方です。


「きれいな剣士。また会いましょうね」


 十万大観衆が勝者に万雷の拍手を送り、デュエル・カップは幕を閉じました。





 大会が終わった翌朝、イオリとブルックとクロは怠惰の町の港にいました。

 ここで買い物を済ませ、三人はいよいよ山岳地帯に入ります。

 山岳地帯は人事が及ばないカミの領域です。


「……」


 港から闘技場を見つめるブルックの胸もとに、ハート型のペンダントがありました。

 イオリから渡された兄ジェイムズの形見です。

 そのとき


「イオリさん!」


「……」


「どうしたの?」


 ブルックは港にたむろする人々をじっと見つめるイオリに声をかけました。


「いや……フリオの声が聞こえた気がしたんだ」


「おお」


 フリオがコンスタンチンに殺されたことをブルックも知っています。

 イオリはフリオが最期にいった言葉を思い出しました。


「あなたの人生が作品です。必ず最後まで完結させて、ぼくに『アガルタのイオリ』を、読ませてくださいね」


「……行こう」


 イオリにうながされ三人は出発しました。

 三人が歩き始めると、港にいた人々が一斉に手を振りました。


「王子さま!」


「どうかお元気で!」


「イオリ、来年もこいよ!」


「女神とともにあれ!」


 すると手を振る人々の中にいた一人の若者が、こんなことをいいました。


「みなさんの夢が叶うよう祈ってます!」


 夢

 その一言が三人の胸に、とりわけイオリの胸に深く刺さりました。

 自分が多くの剣士の夢を奪ったからです。

 ともかくこうして宴は終わり、再び旅が始まりました。





 最後に敗れ去った者たちのその後を紹介して、わたしもこの港町を去ることにしましょう。



 ジェイムズは怠惰の墓地に王族ではなく、剣士ジェイムズ・ボッシュとして埋葬されました。

 愛剣ローズもジェイムズと一緒に泉下で眠っています。

 ローズが王家に代々伝わる名剣であることに気づいた目利きは、遂にあらわれませんでした。



 アレクセイ・ネクラーソフの遺体はマリアが引き取り、王都の墓地に埋葬されました。

 とても立派なお墓はマリアの生家バタイユ家の墓のとなりに建てられました。



 ヴィクトル・ドストエフスキーは国葬にふされたのち、道場は弟子たちが引き継ぎました。

 今も大陸中からあしたの剣豪を夢見る多くの若者が、道場へ学びにやってきます。



 ビヨルン・ヘミングウェイの遺体は生前彼が買っていた南方の小島に埋葬されました。

 愛剣リタとジェーンも一緒に眠っています。



 東方の辮髪剣士セイランの弟ジュンは長く病床にありました。

 セイランは弟の手術代を稼ぐため大会に参加したのですが、セイランの死を知った地元の篤志家がジュンの出術代を肩代わりしてくれました。

 手術を受けたジュンは快癒します。

 しかし健康な時間は短く、その後不幸にも病は再発しました。

 ジュンは幼くして亡くなりました。

 セイランとジュンの墓は、生まれ故郷の村を見おろす丘に並んで建っています。



 ドストエフスキーに剣と心を折られた砂漠の剣士ナジームは、愛するアーヤへのプロポーズを断念しました。

 アーヤは地元の豪商の側女となり、ナジームは今も砂漠で孤独に剣の修行に励んでいます。



 キモノを着たポニーテールの剣士ゼンキの妻モモは夫を失ったのち、女手一つで娘のコハルを育てました。

 コハルは母と亡父の期待に応え、見事難関の女学校へ進学しました。

 今モモは商売、コハルは勉強にがんばる日々をすごしています。


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