第72話 お楽しみはこれからだ
マリアが貴賓席に戻ると先に戻っていたブルックは立ちあがり、彼女の手を取りました。
「アレクセイ殿はお気の毒でした」
「いいえ殿下。これは真剣勝負、アレクセイも覚悟の上です。お心遣い感謝いたします」
マリアはうつむき、ブルックの手にキスしました。
「ジェイムズの剣は王道の剣じゃ。よくいうとけれんみがない、悪くいうと定石ばかりで先が読める。イオリ殿、そなたは定石に囚われず奔放に戦うのじゃ。そうすれば、きっと勝てる」
おとといの晩、そう語ったドストエフスキーの思慮深い表情を思い出しながら、イオリはグラウンドに足を運びました。
今回はイオリが東、ジェイムズが西のゲートから登場します。
二人の剣士が姿を見せると、十万大観衆は爆発しました。
「やったれチャンピオン!」
「女剣士を裸にしろ!」
「おい、イオリの目がオッドアイになってるぞ?」
ボードに大写しになったイオリを指さし、目ざとい観客が騒ぎます。
「ほんとだ。左目が青い」
「なんだあれ?」
「メイクだろう?」
「イオリさんがんばって!」
(フリオ)
イオリはとっさにスタンドに目を向けましたが、もちろんフリオの姿はどこにもありません。
「イオリはいつもと同じ黒い竜皮のツナギ、ジェイムズはベスト状の赤っぽい革甲冑に革パンツという格好です。そしてイオリの得物はみなさんご存知の神刀不知火丸、対するジェイムズの得物はバスタードソードローズです」
ジミー・バッファーのアナウンスが、観客の興奮を否が応でも盛りあげます。
試合場に立ち、イオリは顔をしかめました。
今まさに西に沈む夕日が正面にあってまぶしいのです。
「大会二連覇を目指す王者ジェイムズ・ボッシュとドラゴン殺しイオリの決勝戦です! ジェイムズが勝ったら大会史上初の連覇、イオリが勝ったらこれまた大会史上初の女性チャンピオンの誕生です。まさに歴史に残る決勝戦、勝つのはどっちだ? さあ、お楽しみはこれからだ! You ain’t heard nothin’ yet !」
ジミー・バッファーの決め台詞に観客は熱狂しました。
「イオリ、今きみの左目は見えないんだね?」
試合場で向き合ったジェイムズが、自分の左目を指さし声をかけます。
「まあね」
イオリは肩をすくめました。
(やっぱりバレてる。そりゃそうか)
「不知火流奥義を使ったダメージでそうなるんだろう? 心配しなくていい。おれはきみのハンディキャップを突くようなまねはしないよ。それにきみのオッドアイ、なかなかセクシーだ」
「ありがとう」
「決勝戦である」
観客の熱狂が静まると、巨漢の審判は二人の剣士に声をかけました。
「ドストエフスキーとトルストイが行ったポドロ島の決闘のように、歴史に残る名勝負を期待する」
「イオリ、負けるなよ」
貴賓席で震える手を握りしめ、ブルックはさらに内心つぶやきました。
(兄さんもがんばって)
「では、始めぇ!」
ボォオンと銅鑼が鳴った瞬間です。
イオリの視界からジェイムズが消えました。
(なんだ?)
「ここだ」
笑みを含んだジェイムズの声が、イオリのうなじをくすぐります。
(バカな!)
慌てて振り向こうとするイオリにジェイムズはささやきました。
「おれはきみのハンディキャップを突くようなまねはしないといっただろう?
もっと卑劣なまねをする」
イオリの無防備な背中を、ジェイムズの剣は斜めにスパッと斬りました。
「うっ」
イオリは大きく前方に飛んで追撃をゆるしません。
しかし背中の血も止まりません。
「イオリ!」
ブルックの悲鳴がグラウンドまで届きます。
(やられた)
痛みに耐えながらイオリは今の被弾を検証しました。
(今のはジェイムズが初戦で戦った東方の剣士セイランの『相手の影に移動して立つ魔法』だ。確か【歩く影たち】という名前だった。ジェイムズはセイランの魔法をコピーしておれの影に立ったんだ)
「相手の魔法をコピーする魔法【御伽草紙】だ」
ジェイムズは得意げに魔法の名を告げると、剣を振るいました。
飛び散った血が地面に着くより先に、ジェイムズの姿がまた消えました。
(どこだ?)
「ここだ」
イオリの前方に落ちた影から、ジェイムズがにゅ~っと立ちあがります。
「うわっ!」
(間合いに入られた!)
イオリは一瞬パニックになりました。
「クソ!」
イオリは前方回転しながらジェイムズを飛び越えました。
「おお!」
一回戦のヘミングウェイ戦で見せた大ジャンプをイオリが再び披露し、観衆が沸き立ちます。
イオリは着地するとすばやく振り向きました。
しかしそこにジェイムズの姿はありません。
(どこへ行った!?)
「きみは学習能力がないな」
呆れたようなジェイムズの声が、また背後から聞こえます。
(しまった!)
焦るイオリの目を西日がまともに差し、同時に背中に焼き火箸を押し当てたような痛みが走りました。
またしても前方に飛んで逃げるイオリの背中に、大きな×印の傷ができました。
「おいおいイオリしっかりしろよ。あんまりはやく勝負がついたらお客さんがっかりするぞ」
そう語るジェイムズの顔に、邪悪な笑みが浮かびます。
(だめだ。足もとの影ばかり気にしていたらやられ放題にやられる。よし!)
「え?」
「なに?」
イオリが取った行動を見て、観客はどよめきました。
いきなりイオリがその場にしゃがんだのです。
「うむ?」
さすがのジェイムズもうなります。
「イオリ、なにをしている?」
ブルックはとまどいました。
「あれは蹲踞と呼ばれる姿勢です」
マリアはまぶし気に目を細めてグラウンドを見つめました。
イオリはしゃがんだ格好のまま、刀をまっすぐ前に突き出し動きません。
「ソンキョ?」
「はい。カミの怒りで海に沈んだ極東の島国の伝統です。剣士は爪先立ちで腰をおろし、膝を開いて蹲踞の姿勢を取ります。かの国の剣士はその姿勢で向き合い、勝負を始めるのです」
「そんな伝統があるのですか。しかしイオリはなぜそんな姿勢を?」
「殿下よくご覧ください。今イオリ殿は夕日を背負い、影が前方に落ちています。立っているときより、蹲踞している今のほうが刀と影の距離ははるかに近い。もしジェイムズ殿が影から出現したら、その瞬間イオリ殿の刀で真っ二つにされるでしょう」
「おおなるほど!」
ブルックは一瞬喜びましたが、すぐ首をかしげました。
「しかしジェイムズが影ではなく、イオリの頭上から直接斬りかかるかもしれませんね?」
「それこそ剣士と剣士の尋常な勝負です。そうなったらどっちが勝つか、わたしにもわかりません」
イオリは蹲踞、ジェイムズは正眼の構えのまま睨み合いました。
ざわついていたスタンドがいつしか静まり返ります。
時折吹く弱い風がイオリの赤いピアスと、ジェイムズの黒髪を遠慮がちに撫でました。




