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第71話 ヒア・ゼア・アンド・エブリホエア

「では、頼みましたよ」


 弟子たちにアレクセイの遺体の引き取りを頼むと、マリアは一人で観客席の下に設けられた、暗い廊下を歩きました。

 遠ざかるマリアの背後で、弟子たちが奇妙な会話をかわします。


「おい、アレクセイの刀はどうした?」


「それがけむりみたいに消えたらしいぞ。目撃した人がそういってた。もう跡形もない」


「そんなバカな……」


「先生」


 そのときマリアの耳に、アレクセイの声が聞こえました。

 出会ったばかりの、まだ七歳のアレクセイの声です。

 従者アントンの葬儀を終え、一人残った亡国の王子を引き取ろうと屋敷に出向いたマリアに、幼いアレクセイはいったのです。


「先生、ぼく、強くなれますか?」


 少年は黒い鞘に込めた刀を持っていました。


「それはアントンさんの形見ですね。アントンさんになにかいわれましたか?」


「強くなれといわれました」


「強くなって一族の仇を取れといわれたのですか?」


「いいえ。幸せになれといわれました」


「おお」


 マリアは少年を抱きしめました。


「大丈夫です。わたしと一緒に強くなって、幸せになりましょう」


 マリアの胸が急に温かくなったのは、アレクセイの涙に濡れたからです。

 その温かさは、まだマリアの胸にありありと残っています。


「……」


 マリアはふいに足を止めました。

 その手にガラスのブローチがあります。

 アレクセイが身につけていたアクセサリーです。

 ガラスの中に、押し花にした四つ葉のクローバーがありました。

 クローバーを見つめるマリアの耳に、まだ幼かったアレクセイの声が次々甦ります。


「先生が好きな花を摘んできました」


「先生、お茶をどうぞ」


「先生、お菓子を食べましょう」


「先生、ぼくの型を見てください」


「先生、犬を拾ってきました」


「先生」


 マリアはブローチをそっと握りしめました。


「……イオリ」


 その名をつぶやいたマリアの青い目に、一瞬冷たい炎が宿りました。





 決勝戦を控えたグラウンドに清めの聖水がまかれ、それに続いて地元の呪術師が、大会で死んだ剣士の霊を慰める呪言を唱えました。

 呪言はゼップランド建国の英雄オデッセイが友の死を悼んで詠んだ詩『アガルタ』です。


「よき人の魂ここに眠る

 よき人よ聞け

 風は汝を運ぶゆりかご

 雨は汝の死を悲しむ天の涙

 鳥の囀りは汝に捧げるレクイエム

 汝の魂が天に帰り夜空の星になるときわれらはふたたび一つになる

 ゼップランドは小さき国なり

 されどゼップランドは永遠に汝を愛す

 この小国が戦いに生き、戦いに死んだ汝のアガルタなり

 森よ、空よ、海よ、荒野よ、われらが友の魂を安らかに眠らせ給え

 女神とともにあれ」


「女神とともにあれ」


 十万大観衆が最後の文言を唱和すると呪術師は小さい鐘を取り出し、鳴らしました。

 荒野に姥捨てにされた老婆の腰にあった、あの悪魔祓いの鐘です。

 涼しげな音が、グラウンド一杯に響き渡ります。

 こうして穢れは祓われました。

 決戦の舞台が整ったのです。





 西側スタンド下のだだっ広いスペースをジェイムズは歩きました。

 案内役は甲冑をまとった騎士です。

 甲冑のきしむ音だけが、薄暗い空間に響きます。

 二人とも無言で歩きました。

 決勝戦に進んだ剣士は、準決勝が終わった時点で案内役の騎士以外の人間との接触を禁じられます。

 決勝に進んだ剣士は死の領域に足を踏み入れた「異界の者」なので、決勝戦が終わるまで生者との接触は不吉とされるのです。

 騎士と剣士は習わしに従い、黙々と歩きました。

 するとスペースのかたすみに人影が見えました。

 髪の長い若く美しい女性がそこにいました。


「ジェイムズさま」


 声をかけられて、しかしジェイムズは彼女の前を素通りしました。

 しばらく歩いて足を止めると、ジェイムズは騎士に声をかけました。


「これを」


「わかりました」


 騎士は女性のところに戻ると、彼女にあるものを手渡しました。


「ジェイムズ殿からです」


 騎士が渡したのは宝石がついた高価な指輪です。


「ジェイムズさま、無事なお帰りをお待ちしております!」


 女はその場にしゃがんで泣きじゃくりました。


「お話ししなくていいのですか?」


「いい、ゆこう」


 うながされ歩き出す騎士の背後で、ジェイムズはポツリとつぶやきました。


「母上がおれを待ってる」





 そのころ。

 イオリは東側スタンド下のスペースを歩いていました。

 イオリを案内するのはやはり甲冑をまとった女の騎士です。

 二人は無言で歩きました。すると


「え?」


 前を歩く騎士が、ふいに足を止めました。

 どこからか音楽が聞こえてきたのです。

 聞こえてきたのはギターと歌声の演奏です。


(クロ、ブルック)


 イオリは耳を澄ませました。

 これがビートルズの曲なのはすぐわかりましたが、曲名はわかりません。

 剣士との接触を禁じられているので、ブルックとクロはどこか離れた場所で演奏して、イオリを励まそうとしているのです。

 いつものようにブルックのボーカルに、クロのギターとハーモニーが伴奏します。

 硬い石壁に反響して、歌声もギターもドラマチックに聞こえます。

 ブルックが歌っているのは『ヒア・ゼア・アンド・エブリホエア』という曲です。

 やさしい歌声、そしてやさしいメロディとハーモニーが、激闘にささくれ立ったイオリの心に染み渡ります。

 演奏が終わると女騎士は静かに拍手し、鼻を啜りました。

 演奏に感激して泣いているのです。





 それから二人は再び黙々と歩き、やがて見えてきました。

 光が。

 東のゲートです。

 夕日に照らされ、オレンジ色に染まったグラウンドの手前でイオリは足を止めました。

 グラウンドをはさんだ西のゲートに、ポツンとたたずむジェイムズの姿が見えます。


(王者がおれを待ってる)


「あの」


 歩き出そうとするイオリに、急に女騎士が声をかけました。


「自分はイオリ殿のファンです。ご武運をお祈りします」


「ありがとう」


 ニッコリ笑って女騎士の頬を赤く染めさせ、イオリはグラウンドに足を運びました。

 決戦のときがきました。


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