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第70話 ネクラーソフ家の終焉

 ゼップランドの王都ローズシティの山の手に、屋敷町といわれる一角があります。

 豪勢な屋敷が並んだ上流階級の町で、アレクセイは七歳のころまでこの町に住んでいました。

 アレクセイが暮らした屋敷には父の代からの忠実な従者であるアントンと、革命を逃れた亡命者の家族が何組か一緒に暮らしていました。

 その中に、アレクセイと同い年の少年イワンと、やはり同い年の少女ナターシャがいました。

 王都を流れるローズ川の河原で、三人はよく遊びました。

 チャンバラごっこに疲れて土手に横になっていると、ナターシャがこんな質問をしました。


「王子さまは大きくなったらなんになるの?」


「国に戻ってネクラーソフ王朝を復興する」


 土手に横たわってうららかな春の日差しを浴びていると、胸が希望でムクムク膨らんで、そんな途方もない夢も叶いそうな気がします。


「すげえ」


 アレクセイが語る夢にイワンは興奮しました。


「じゃあおれは王子を守る近衛団の団長になるっす!」


 イワンは細い腕を曲げて無理やり力こぶを作りました。

 するとなにかと王子への忠義を張り合うナターシャが、負けじと叫びました。


「わたしは副団長になる!」


「え~女が近衛兵になるなんて無理だよ」


「そうなの?」


 ナターシャはショックを受けました。


「王子さま、それ本当?」


「う~ん、確かにネクラーソフ家の近衛に女性はいなかったと思う……ああ、いや」


 みるみる涙ぐむナターシャを、アレクセイは慌ててなだめました。


「それはむかしの話だよ。ぼくが皇帝になったらきっと女性を近衛に登用する。約束するよ。そうだ! 約束のしるしにきみに四つ葉のクローバーをプレゼントするよ」


 土手にクローバーはたくさん生えています。

 五分も探せば見つかるだろうと思ったのに、アレクセイとイワンはそれから二時間も土手を這いずり回らなければなりませんでした。


「あった!」


 アレクセイが歓喜の声をあげたとき、明るかった空は夕日で茜色に染まり、土手に落ちる影は不吉なほど長く伸びていました。


「うわあ、ありがとう王子さま!」


 ナターシャは飛びあがって喜びました。


「わたしこれで絶対王子さまの近衛になれるね!」


「ああ、絶対なれるよ」


 アレクセイは泥だらけの手で顔をこすって鼻に泥をつけてしまい、それを見てナターシャとイワンは大笑いして、アレクセイも笑いました。





 アレクセイが河原で遊んだ日から数か月後の秋、従者のアントンが病に倒れました。


「だめだよアントン、ぼくを一人にしないで」


 アレクセイの家族はすでにみんな亡くなり、身寄りはアントンしかいません。


「殿下、もうすぐここにマリア・バタイユという女性がきます」


 やせ細った病床のアントンが、か細い声で語ります。


「まだ若いが、剣の達人です。殿下はこれから、この人の、弟子になるのです。王子はこれからマリア先生の家で一緒に暮らして、稽古して、強くなるのです」


「いやだ……」


「殿下、わたしの不知火丸を殿下に献上します。どうか、受け取ってください」


「いらない」


「殿下、強くなるのです。強くなってください。強くなって、幸せになってください。それがアントンの願いです。イワン、ナターシャ、殿下を頼みましたよ」


 それが従者アントンの最期の言葉になりました。

 アントンはアレクセイに「幸せになれ」といって「仇をとれ」といいませんでした。





 それから数年後、ナターシャも病に倒れました。

 結核に感染したのです。

 ナターシャはまだ十一歳でした。

 すでにマリアの内弟子になっていたアレクセイはナターシャの病床に駆けつけました。

 感染するから近寄ってはいけない、と制止する人々の手を振り払い、アレクセイはナターシャのすぐそばにひざまずきました。


「ナターシャ」


「……王子さま」


 やつれた顔に笑みを浮かべ、ナターシャはすっかり細くなった手を差し伸べました。

 手にガラスのブローチがあります。

 ガラスの中に、四つ葉のクローバーの押し花がありました。


「王子さまの、近衛になれなくて、ごめんなさい」


 そういって十一歳のナターシャは息を引き取りました。





 その二年後、イワンは十三歳のとき町のチンピラとケンカして、刃物でお腹を刺されて重傷を負いました。

 アレクセイが現場に駆けつけたとき、イワンはすでに死んでいました。


「王子さま、なんの役にも立てず、申しわけありません」


 イワンはそういって死んだと、老いた浮浪者が教えてくれました。

 二人の幼なじみが死んで、アレクセイは完全に孤独になりました。





「あれ? ここは」


 アレクセイはきょろきょろ周囲を見渡しました。

 穏やかな春の日差しが河原に降り注いでいます。

 どうやら土手に横になっていたようです。


「おかしいな。試合中のはずなのに」


 アレクセイは自分の手がひどく小さくなっているのに気づきました。

 声もいつもよりずっと甲高いのです。


(ぼく、子どものころに戻ったの?)


「王子さま、どうしたんですか?」


「まだ寝ぼけてるの?」


 笑顔で声をかけてきたのは死んだはずのイワンとナターシャです。

 二人ともこの河原で一緒によく遊んだ七歳ごろの年齢に見えます。


「はやく行きましょう。みんな待ってますよ」


 イワンが手を引っぱります。


「待ってるって、カラミル帝国で待ってるの?」


「ちがいますよ。もっといいところです」


「アガルタだよ!」


 ナターシャの言葉を聞いてアレクセイは目を輝かせました。

 アガルタ

 それはこの世界のどこかにあるという楽園の名前です。


「アガルタ……」


「そうです。みんなアガルタで王子がくるのを待ってます」


「みんな?」


「アントンさんや王子のお父さんやお母さん、それにおじいさんだよ!」


 ナターシャの言葉が、天啓のようにアレクセイに降り注ぎます。


「王子さま、はやく行こうよ!」


 ナターシャにも手を引かれ、アレクセイは立ちあがりました。


「さあ行きましょう!」


 イワンが最初に駆け出します。


「行こう!」


 ナターシャも負けるものかと走り出します。


「うん行こう」


 アレクセイも二人に続きます。

 春の日差しを全身に浴び、三人は笑顔で駆け出しました。

 幻の楽園に向かって。





「アガルタ」


 アレクセイのつぶやきを聞いて、イオリはハッと顔をあげました。

 その瞬間、アレクセイの胸からドッと血が噴き出しました。

 イオリの抜き胴が決まったのです。

 地面に倒れたとき、アレクセイはすでに息を引き取っていました。

 イオリはなんだか呆然となって頭上を見あげました。

 すると一羽の鷲が、闘技場の上空を舞っているのが見えました。

 鷲は闘技場から離れようとしません。


「王子の死が悲しいのか?」


 イオリは空に向かって問いかけました。

 すると鷲がピィ、と鋭く鳴くのです。

 鷲は鳴き続けました。 


(ネクラーソフ家の終焉を見届けた空の王者が、一族にレクイエムを捧げている)


 イオリはそう思いました。

 こうして長きに渡ってカラミル帝国を支配した名門ネクラーソフ家の血筋は、ここに完全に絶えたのです。


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