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第66話 罪と罰

「どうした若者?」


 切断された自分の右腕から視線を外し、顔をあげると、ドストエフスキーは残心を解かないアレクセイにのんきに声をかけました。


「わしまだ生きとるぞ」


「黙れ!」


 アレクセイはすばやく接近すると、猛然と不知火丸を振りおろしました。


「……」


 ドストエフスキーはゆらりと刀をかわしました。

 速い動きではありません。

 しかしアレクセイの一撃は空振りでした。


「ちぃい」


 アレクセイは振りおろした刃を返し、ドストエフスキーの胴をねらいます。

 閃光の抜き胴は、しかしまたしても空振りに終わりました。


(バカな!)


「なぜドストエフスキー先生がかわせるか、おわかりですか?」


 貴賓席のマリアがクールに語ります。


「先生は相手のわずかな視線や筋肉の動きで次の攻撃が読めるのです。次の一手がわかればチェックメイトはふせげます。わたしも本気になった先生に触れることさえできませんでした」


 むきになって刀を振り回す愛弟子に、マリアは心で呼びかけました。


(アレクセイいったはずです。まともに勝負したらドストエフスキー先生に絶対勝てないと。あなたの腕前ではまだまだ先生に及びません。本当に目的を果たしたかったらつまらない見栄を捨てて、もう一度刀の神秘的な力を使うのです)


「クソ!」


 アレクセイは遂に手を止め、額の汗をぬぐいました。

 十回を超える必殺の撃剣が、すべてかわされたのです。

 アレクセイは汗をぬぐい、一息つきました。

 一方ドストエフスキーの流れる血も止まりません。

 多量の血を失い、老剣豪の顔は紙のように白くなりました。


「そろそろじゃのう」


 ドストエフスキーは左手に持った愛剣鋼鉄(スターリ)を、肩の上に垂直に立てました。

 片手八相の構えです。


「……おもしろい! ジジイ、ぼくに斬剣戟を見舞うつもりだな?」


「いかにも。もっともそなたに受ける度胸があればの話だが」


「舐めるな!」


 貴公子の美貌が、屈辱で朱に染まります。


「いけません」


 貴賓席のマリアが叫びます。

 しかし師の声は怒りに燃える弟子に届きませんでした。

 アレクセイは猛然とドストエフスキーに駆け寄りました。


「始末剣【白痴】!」


「斬剣戟【罪と罰】」


 二人はまったく同じタイミング同じ軌道で袈裟斬りを放ちました。

 ネクラーソフ家伝来の名剣と不知火丸が激突し、青い火花が散りました。


「おお!」


 間近に勝負を見ていたイオリは驚愕し、十万大観衆は声を失いました。

 試合場の地面が川面のようにキラキラ輝きます。

 折れた不知火丸が、日差しを浴びて輝くのです!


「お見事」


 マリアが思わずつぶやきます。


「やった」


「先生の勝ち……」


「まだだ!」


 アレクセイは折れた刃を拾い、本身に添えました。


「わが一族もわが刀も、わが生ある限り決して死なない。

 不知火丸は戦う者を見捨てない! アーメン!」


 アレクセイが古代宗教の聖語を絶叫すると、彼の手もとに黄金の光が宿りました。

 その光が消えると、おお、見よ。


「刀が」


「元に戻った?」


「くっついたぞ!」


 驚く観客の声を浴びて、アレクセイは陽炎のようにゆらりと立ちあがりました。

 その手に以前と変わらぬ青みと凄みをたたえた不知火丸があります。


「一皮剥けたの、若造」


 ドストエフスキーが疲れた声でつぶやきます。


「先生が最後の力を使い果たしました」


 貴賓席でマリアがつぶやきます。


「アレクセイ、あとはわたしが教えた通りにおやりなさい」


「先生棄権してください!」


 イオリが必死に叫びます。


「先生!」


「イオリ殿、それはだめだ」


 乾ききった唇を舐め、ドストエフスキーはかすかに笑いました。


「これはスポーツではない。果し合いじゃ。果し合いはどちらかが死なねば終わらぬ」


「行くぞバケモノ!」


 アレクセイが再び刀を構えます。

 ドストエフスキーも迎え撃つ姿勢を取りました。

 両者は静かに歩み寄り、互いの剣が届く距離になりました。


「老人。我が師に教えられた秘剣で死に水を取ってやる」


「マリアの? おお、ぜひ見せてくれ」


「見せてやろう」


 アレクセイは不知火丸の刃を上にして、顔の間近で構えました。

 手を交差させて柄を持ち、逆さにした刃をドストエフスキーに向かってまっすぐ突き出します。


(おお、(かすみ)の構え)


 ドストエフスキーは戦慄しました。


(霞の構えは剣を水平に振るって両目を斬る構えといわれるが、これはそんな生易しいものではない)


 アレクセイのねらいが、ドストエフスキーははっきりわかりました。


(そうか、これがマリアが授けた一手か)


「行くぞ、バタイユ流奥義

 【花と蛇】」


 アレクセイの迅速な水平斬りがドストエフスキーの首目がけて飛んできます。

 ドストエフスキーはスターリをまっすぐかざして盾にしました。

 再び剣と刀が激突し、闘技場の空気が凍結するような金属音が轟きました。


「先生のスターリが!」


 スタンドの弟子たちが悲鳴をあげ、四天王のハルクがポツリとつぶやきます。


「折れた」


 鋼鉄の刃が宙を舞い、アレクセイは歓喜の表情です。

 スターリを折った不知火丸を阻むものは、もうありません。


(わが剣を折り、わが心も折るのがねらいかマリア?)


 迫りくる剣風に首筋を叩かれながら、ドストエフスキーは十年前のできごとを回想しました。





「先生、お慕い申しあげます」


 十七歳のマリアは師であるドストエフスキーの胸に飛び込みました。


「これなにをする?」


「わたしを妻にしてください。お願いです先生」


「バカをいうな。わしは九十、そなたはまだ十七じゃ。そなたのように前途有望な若者に老人介護はさせられん」


 ドストエフスキーはマリアの肩にそっと手を置きました。


「一時の気の迷いじゃ。そなたにはもっとふさわしい相手がいくらでもおるぞ」


「でも先生。先生が愛してくださらなければ」


 マリアはすがるようにいいました。


「わたしは悪魔になるよりはかないのです」





(これは弟子の必死の想いを受け止めきれなかった師の罪じゃ。

 今まさに弟子が無情な師に罰をくだそうとしている。

 この罰は、受けねばなるまい)


 ドストエフスキーは目を閉じました。


「祖父の仇!」


 アレクセイの水平斬りが老剣豪の肩を撫でます。

 次の瞬間ドストエフスキーの生首が宙を舞いました。


「先生!」


「イオリ殿」


 イオリは地面に転がる生首に駆け寄りました。

 すると生首のドストエフスキーがいったのです。


「マリアを……」


 最期に愛弟子の名を口にし、そこで史上最強といわれた剣豪はこと切れました。

 ドストエフスキーがなにをいいたかったのか、それはイオリにはわかりません。


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