第61話 魔法【御伽草紙】
身長二メートル、体重は百キロあるでしょう。
百九十センチ九十キロのドストエフスキーより一回り大きい巨漢で、茶色い革甲冑に黒革のズボンの装いはごくノーマルです。
体格はヘビー級ですが表情はおだやかで威圧感はありません。
しかしこの人物を見て、ドストエフスキーの顔色は変わりました。
「これはヘミングウェイ殿!」
「おひさしぶりです先生」
二人の老雄はがっちり握手しました。
「そなたは帝国との戦争で亡くなったと聞いたが?」
「悪運強く助かりました。その後自分を助けてくれたタイタン公国にずっとおりました」
「おおタイタンに。しかしなぜ貴公ほどの剣豪がこんな大会に出るのじゃ?」
「金です」
ヘミングウェイの顔が、自嘲気味な笑顔にゆがみます。
「引退した剣士が生きる道は二つしかありません。一つ、剣の教師になる。二つ、権力者の太鼓持ちになる。わたしはどちらにもなれませんでした。だから結局こういう大会で生活費を稼ぐしかないのです。ドラゴン殺しのイオリだね? お互いがんばろう」
「がんばりましょう」
イオリはヘミングウェイと握手しました。
「先生、あの人は?」
「うむ、あれはビヨルン・ヘミングウェイじゃ」
去ってゆくヘミングウェイの背中を見つめ、ドストエフスキーは腕組みしました。
「もう六十を過ぎておる。わしの下の世代の剣豪じゃが、その戦いかたはよくわからん。ヘミングウェイはギャングが運営するいかがわしい試合、通称地下試合ばかり出て公式記録が一つも残っておらんのじゃ。ただし地下試合のキャリアは二百戦全勝と聞く。タイタン公国の軍隊に義勇兵として参加し、バベル大帝国との戦争で戦死したと聞いたのが五年前じゃ。しかし生きておった。今間近にヘミングウェイを見たがまだまだ精気に満ちておるのお。あの男、戦うことが好きというより戦うことに淫しておる。イオリ殿、くれぐれも油断めされるな」
「さあ、いよいよオープニングマッチ、Aブロックの一回戦が始まります!」
有名なイベントアナウンサー、ジミー・バッファーの張りのある声が、拡声器から流れます。
「オープニングマッチは東方の剣士セイランと、昨年のチャンピオンジェイムズ・ボッシュの対戦です。セイランは黒い上着に黒いズボン、ジェイムズは赤い革甲冑に黒い革ズボンという服装です。なおセイランのエキゾチックな髪型は辮髪と呼ばれるものです。
セイランの得物は無銘の青龍刀、ジェイムズの得物はバスタードソード【ローズ】です。
青龍刀は東方の剣で、全長八十センチ刃渡り五十センチ、先端の刃の幅が広く反った片刃の片手剣です。バスタードソードはみなさんよくご存知の細長い両刃の剣です」
(やはり兄上の得物はローズか)
ブルックはジェイムズが携えた剣に見覚えがありました。
それもそのはず、ローズは王家に代々伝わる家宝です。
王家と同じ名前をいただく名剣をメルヴィンとキャロルも欲しがりましたが、アダム王は剣をジェイムズに授けました。
三男にもっとも剣の才があると、王は見抜いたのです。
ブルックは目を細めて遠くのローズを見ました。
拵えはごくノーマルですが、瑞々しい刃の輝きに神剣の気品と殺気が宿っています。
(どうやらあれが王家に伝わる神剣と見抜く目利きはいないようだ。よかった。王家の家宝を一介の剣士が持っていると知れたら騒ぎになる。それにジェイムズがあの国民的英雄のジェイムズと気づいている者もここにいないな。問題はこの人……)
ブルックはチラッとアグネス妃を見ました。
アグネスは城でジェイムズに会ったことがあるはずです。
あるはずですが
(おお、妃はジェイムズをわが兄と気づいていない)
ブルックはホッとため息をつきました。
ジェイムズを見た妃が興奮しているのを見て安堵したのです。
(妃は頭がいい。もしジェイムズがぼくの兄と気づいたら、ぼやぼやしてないでとっくに太陽王に密使を送る手はずをしている。でもなにもしてない。
妃があくまでジェイムズを『自分好みのマッチョ』と見ているからだ)
「さあいきなり好カードです!
お楽しみはこれからだ! You ain’t heard nothin’ yet !」
ジミー・バッファーの有名な決め台詞に続いて、グラウンドの銅鑼がボォオンと打ち鳴らされました。
試合開始です。
夏の日差しを浴びた血潮が、飛翔するトビウオのように光りました。
「ジェイムズが斬られた!」
スタンドから観客のどよめきと悲鳴が聞こえます。
セイランが青龍刀でジェイムズの背中を斬ったのです!
「う!」
ジェイムズが超人的反射神経で前方に飛ばなかったら、そのまま致命傷を負っていたでしょう。
なんとか死は逃れました。
しかしジェエイムズの背中に、みるみる血が滲みます。
セイランはその後何度もジェイムズの背後に出現しました。
直前まで正面で向き合っていたのに、一瞬後に相手の背後に立っているのです。
ジェイムズはすばやく振り向いて刀を受け、跳ね返しますが劣勢をまぬがれません。
(兄上)
貴賓席のブルックはいらただしそうに自分の指を噛みました。
「マリアさん、セイランは今【なに】をしているのですか?」
「申しわけありません。わたしにもわかりません」
「セイランは剣士じゃない。魔法使い」
クロの発言にブルックもマリアも驚きました。
「魔法使い? ってことはセイランは魔法であ……ジェイムズのうしろに立っているの?」
「そう。セイランは魔法の使い方がものすごく上手ニャ。だからジェイムズは相手が魔法を使ってるのに気がつかなくて苦戦してる……あ」
「なんだい?」
「気づいたニャ」
「【歩く影たち】」
セイランがぼそりと魔法名を唱えます。
すると次の瞬間、セイランは対戦相手の影の中に立っていました。
今時間は午前十時。
ジェイムズが東を向くと、彼の背後に短い影ができます。
セイランはその影に立ち、青龍刀で何度も斬りつけました。
しかしその機会は急速になくなりました。
ジェイムズが東を向かなくなったのです。
「残念だったな」
ジェイムズの笑顔を見て、セイランは急に背中に悪寒を覚えました。
「相手の影に立つ魔法か。背後にできた影から斬りかかればこれは無敵の戦法だ。しかしおれはもう東を向かないよ」
今互いの立場は逆になっています。
今はセイランが東向き、ジェイムズが西向きになって相対しているのです。
「わたしの魔法を見抜くとはさすがだ。しかしこのままではお互いらちが明かぬぞ?」
「いいや、明くね」
次の瞬間ジェイムズは、セイランの背後に立っていました。
影の中に立っているのです!
「ば、バカな!」
「遅い!」
慌てて振り向くセイランに、ジェイムズは真っ向微塵の唐竹割りを見舞いました。
神剣ローズがセイランの鎖骨と心臓を断ち切ります。
「魔法名【御伽草紙】。おれの魔法は相手の魔法を盗む。といっても盗める魔法は一つだけだが」
「ひ、卑怯者……ジュン」
セイラン最期のつぶやきは、十万観衆の大歓声にかき消され、だれにも聞こえませんでした。
「今ジェイムズがセイランの魔法を盗んだニャ」
「ぼくと同じだ……」
クロの言葉にうなずき、ブルックはポケットの魔石を撫でました。
魔法の才能がないブルックは、母の形見の魔石を使って敵の魔法をコピーします。
一方ジェイムズは母に教えられた「敵の魔法を盗む」魔法を、修練によって身につけました。
母は愛する二人の息子に、やり方はちがえど「同じもの」を授けていたのです。




