第60話 剣士の大会デュエルカップ
一羽の鷲が地上に濃い影を落としながら、悠然と上空を舞っています。
午前中から真夏の日差しがさんさんと降り注ぎ、円形の闘技場はグラウンドから立ち昇る日に焼けた土の甘い匂いが、ムッと立ち込めていました。
まもなく剣士の大会デュエルカップが始まる午前十時になります。
土のグラウンドを囲んだすり鉢状の観客席は十万人の観客が集まり、蟻が這い出る隙もありません。
東西南北の観客席の最上部に、長方形の巨大ボードがあります。
これは魔法のボードで、今はグラウンドを整備する作業員の姿が大きく映し出されています。
目が悪い人は試合中このボードを見て、剣士の攻防を楽しむのです。
ブルックとクロは北側観客席の真ん中に設けられた貴賓席にいました。
クロはブルックの左側に座り、そして右側に座るのは今や大陸最強といわれる女剣士「皆殺しのマリア」ことマリア・バタイユです。
「王子さま、先日は失礼いたしました」
「いえ、今日は楽しみですね」
二人はにこやかに笑みをかわしました。
「はい。王子さまがご満足いただけるよう、精一杯解説させていただきます」
「ブルック殿下、おひさしぶりでございます」
マリアのとなりから声をかけてきたのは、赤いドレスを着て肩や胸を大胆に露出した美熟女です。
「おひさしぶりです、アグネス王妃」
バベル大帝国の太陽王フリッツ・バルトの正妻アグネス妃は笑みを浮かべて右手を差し出し、ブルックはその手にキスしました。
四十を超え、美しさと妖艶さにむしろ磨きがかかったといわれるアグネスのあだ名は「帝国の妖花」ですが、もう一つのあだ名は「マッチョ好み」です。
剣士やボクサーやレスラーが殺し合うのを見るのが大好きなのです。
「セーラー服がよくお似合いですわ、殿下」
王子のキスを受けたアグネスはその手を引くとき、ブルックのふとももをさりげなく撫でました。
ブルックが思わずビクッと震えたとき、三人の姿が巨大ボードに映し出されました。
セーラー服にミニスカートを履いた美姫と見まがう王子、黒い詰襟を着た男装の女剣士、そして赤いドレス姿の帝国のお妃を見て十万大観衆はどよめきました。
拍手し、中にはピーピー不謹慎な口笛を吹く者までいます。
「あの三人ならだれを選ぶ?」
「王子さま一択! きれいなおみ足をスリスリしてえ」
「マリアだな。あの青い瞳で蔑まれたらたまらん」
「アグネスさまに決まってる。あのムチムチした体!」
「殿下はだれが優勝すると思われます?」
下賤な者どもの騒ぐ声が静まるのを待ってアグネスが質問します。
「もちろんぼくの護衛のイオリです!」
「もうしわけございません。優勝はわたしの弟子アレクセイ・ネクラーソフがいただきます」
「あらあらたいへん、殿下と大陸最強剣士の意見がわかれましたわ。じゃあわたくしは去年優勝したジェイムズ・ボッシュ殿に賭けます」
「クロ、きみはだれが勝つと思う?」
「ドストエフスキー先生」
ブルックの質問にクロがクールに答えたとき、貴賓席のほぼ正面になる南側の観客席にフリオが着席しました。
「Aの31はここ、だな。うわあグラウンドがすぐ目の前だ。よかったこれは見やすいぞ、あ、王子さま! クロさん!」
フリオは立ちあがって真向いの貴賓席に手を振りましたが、かなり距離があるので二人は気づきません。
「だめだ、聞こえない……」
「ええと、Aの30、Aの30は」
「お爺さん、Aの30はここです」
フリオは自分のとなりの席に、細面の小柄な老人を座らせました。
「ご親切にありがとうございます」
「いいえ。お爺さんは今日だれを応援しにきたんですか?」
「わたしは剣のことをなにも知らないんです。昨年亡くなった妻が毎年この大会を楽しみにしていたので、今日は妻の供養のつもりできました」
「オゥ、奥さまがお亡くなりに……」
「爺さんよう」
うしろの席で早くも酔っ払った観客が、老人に絡みます。
「賭けるんなら去年のチャンピオンジェイムズか剣聖ドストエフスキーにしときな。ほかのやつらに張るのは金をどぶに捨てるようなもんだ」
「そんなことないよ!」
フリオは憤然と振り返りました。
「ぼくはイオリさんの優勝に賭ける!」
「そいつ女の剣士だろ? この大会で女が勝ったことなんて一度もねえよ。ま、マリア・バタイユが出るってんなら話は別だが」
「そんな……」
「あ、選手が出てきましたよ」
老人にうながされ、フリオはグラウンドに目を向けました。
竜皮のツナギを着た剣士の姿がすぐ目に飛び込んできます。
「イオリさ~ん、がんばって!」
ちぎれんばかりに手を振るフリオのとなりで、老人は目を細めました。
老人が見つめているのはマリア・バタイユの一番弟子である赤い髪の美剣士、アレクセイ・ネクラーソフです。
目にうっすら涙を浮かべ、老人は小声でボソリとつぶやきました。
「殿下、ご機嫌麗しゅう」
そのときグラウンドでボォオン、と銅鑼が打ち鳴らされました。
いよいよデュエルカップの始まりです。
グラウンドに三十二名の選手が整列して開会式、およびルール説明がなされました。
ルールを説明する坊主頭の巨漢はそれほど力んでいないのに、その声はスタンドにつめかけたすべての観客の耳にはっきり届きました。
なんらかの魔法でしょう。
「得物は自由だ。なにを使ってもよい。魔法もOK。ただし飛び道具は禁止。革甲冑を着るのはOKだが金属製の甲冑はだめだ。審判は反則の注意をするが技の判定はしない。勝負はどちらかが戦意喪失、または戦闘不能、もしくは死ぬことで終わる」
「……」
説明を聞きながら、イオリはグラウンドに並んだ選手たちを見渡しました。
(こいつらはなんのためにこんな危険な大会に出るんだろう? おれは継母を甦らせようとするジェイムズの野望を阻止するためだ。ほかのみんなは? 金? 名誉? それともなんらかの夢?)
そのときイオリは一人の、異邦の剣士を見つめていました。
イオリに見つめられた辮髪の剣士セイランは、病床にいる幼い弟を思っていました。
(待ってろよジュン。必ず優勝しておまえの手術費用を持って帰るからな)
セイランのそばには頭にターバンを巻いた砂漠の騎士ナジームがいます。
ナジームは妖艶な美女アーヤに心で呼びかけました。
(アーヤ、きみが結婚相手に金持ちの男を望んでいるのを知っている。ぼくはきっと優勝して賞金を手にし、金持ちになってきみを妻にする)
髪をポニーテールに束ね、青いキモノを着た東方の剣士ゼンキは若い妻と娘を思っていました。
(モモ、コハルの学費はおれが稼ぐ。おれが帰るまでコハルを頼む)
ネクラーソフ王朝の血を引く赤い髪の貴公子アレクセイ・ネクラーソフは、ドストエフスキーの背中をじっと見つめていました。
(おじいさま、みんな、待っていてくれ。もうすぐだ。きっとみんなの仇を討つ!)
アレクセイに睨まれたドストエフスキーは、まったくなにも考えずに前方を見つめています。
そして去年の優勝者ジェイムズは防衛戦争から帰ってすぐ、城で継母ラウラ妃とキスした日のことを思い出していました。
唇を離したあと、頬を赤く染めた継母は息子を睨んでこういったのです。
「母親をこんなに困らせるなんて悪い子」
(母上、必ず優勝してあなたを甦らせてみせます。あなたが甦ったら、むかしのようにまた愛し合いましょう)
「質問はあるか? 諸君の健闘を祈る」
ルール説明が終わると巨大ボードに大会のトーナメント表が浮かびあがり、十万大観衆が再びどよめきました。
「イオリ殿」
グラウンドでドストエフスキーはイオリに声をかけました。
「すまぬ。このごろ目が悪くてボードの字が見えぬ。わしはだれと試合するのじゃ?」
「ええと……トーナメントはAブロックとBブロックにわかれています。去年の優勝者ジェイムズはAブロックです。Bブロックにおれと先生、それからアレクセイ・ネクラーソフがいます」
「Bブロックが激戦区じゃな」
「そうですね。先生の初戦の相手はナジームって剣士です」
「ほほう。その名から察するに相手は砂漠の剣士じゃな。おもしろい。それでイオリ殿、そなたの初戦の相手は……」
「わたしだ」
そのとき白髪に白い髭を生やした初老の巨漢が、横から声をかけてきました。




