第55話 わが兄ジェイムズ
ドストエフスキーはブルック一行を道場に隣接する自宅に招きました。
東洋風の庭に面した居間で、老剣豪が自らお茶をいれます。
「うちの若いのが失礼した。イオリ殿、そなたのことはよく覚えておる」
一口お茶をすすると、ドストエフスキーは懐かしそうに目を細めました。
十年前、大地震直後の王都で起きたできごとを思い出しているのです。
「よく覚えてますね」
イオリが珍しく敬語を使います。
大陸最強を謳われた老剣士をイオリは尊敬していました。
実はかつてイオリに剣を教えた青年剣士オスカーが、ドストエフスキーの弟子なのです。
ドストエフスキーは師匠の師匠だから自分はこの人の孫弟子だ、とイオリは思っています。
ただ残念ながらオスカーはだいぶ昔にドストエフスキーのもとを離れ、また大陸最強の称号は別の弟子のものになっていましたが。
「忘れるものか。なんせ七歳の子どもが十数人もの狂信者を斬り殺したんじゃ。あれは衝撃じゃった。しかしあのときの子どもが女の子だったとはのう! これはさすがのわしも一本取られたわい」
豪快に笑うドストエフスキーですが、とても百歳には見えません。
ロングコートのような白い僧服を着て、背もたれを使わず、きれいな姿勢で帝国製の椅子に腰かける姿は五十代といっても通じるでしょう。
眼光は鋭く、問答にぼけたところはまったくありません。
さすがに髪や髭は真っ白で、肌も皺だらけですが、
「いまだに剣をとったらこの人が大陸最強だ」
さっきイオリはブルックにそう耳打ちしました。
「マリアじゃなくて?」
「あんな女」
顔をしかめるイオリを見て、ブルックは苦笑しました。
(イオリってマリアの話になるとむきになるんだよな)
とブルックが回想していると、弟子がビアンカの実を持ってきました。
客用のビアンカは皮が剝いてありますが、ドストエフスキーの前には皮つきの実が一個無造作に置かれました。
「わしこれの皮が好きなんじゃよ」
バリバリ勢いよくビアンカをかじる老剣豪に、イオリとブルックはひそかに圧倒されました。
(すごい)
(この人ぼくより絶対歯が丈夫だ)
「ほらエルフちゃん、遠慮しないで食べなさい」
「あい」
老剣豪にうながされ、クロも勢いよくむしゃむしゃやり出したとき、
「先生、お客さまがいらっしゃいました」
「客人? 今日人に会う約束はないはずじゃ。王子さまがいらしておるし、わしはビアンカを食うのに忙しい。客人にあとで会うと伝えなさい」
「これはこれは老先生、お忙しいところ恐縮です」
「あ、ちょっと」
案内を待たずに部屋にあがった中年男の無礼に、若い弟子は慌てました。
「困ります。あちらでお待ちを……」
「よいよい。ケイン殿、なんの用かね? 王子さま、この男はとなりの宿場町怠惰のボスで金貸しのケインです」
「金貸しとは人聞きの悪い。わたしのことはプロモーターと呼んでくださいよ、先生」
「で、なに用じゃ?」
「やあブルック、ひさしぶり」
そのとき突然ケインの背後から一人の若者があらわれ、なれなれしくブルックに声をかけました。
「あなたは」
若者を見てブルックは絶句しました。
ブルックの異変に気づいた当の若者は自分の胸もとにあるハート型のペンダントを撫で、バツが悪そうに笑いしました。
「三人だけで話そう。」
イオリもブルックの異変に気づきました。
「先生、庭をお借りします。クロは先生のお相手を頼む」
ドストエフスキーに断りを入れ、イオリは若者とブルックを連れて庭に降りました。
今から八年前、ローズ王の三男で十九歳のジェイムズは突如王都を出奔し、街道に入って行方知れずになりました。
当時七歳のブルックは「兄は死んだ」と侍従に聞かされました。
その死んだはずのジェイムズが無精髭をたくわえたワイルドな風貌で、今突然ブルックの前にあらわれたのです。
青いシャツに茶色の革甲冑、黒革のズボンという剣士らしいいでたちの兄は現在二十七歳になったはずです。
居間から遠く離れた庭の一角に立つと、ジェイムズはイオリに語りました。
「きみがブルックを護衛する剣士だな? おれはジェイムズ・ボッシュ。今はゆえあって母方の名字を名乗ってる」
「イオリだ。ファミリーネームはない」
「おれはあさって怠惰の町で開かれる剣士の大会【デュエルカップ】に出場する。イオリ、きみも大会に出ろよ。大陸中の強豪が出場するハイレベルな大会だ」
「興味ないな」
「そういうなよ。優勝賞金十億ベルだぜ」
「おれの仕事は護衛だ」
「これはいいたくなかったが」
ジェイムズは頭をかいて苦笑しました。
「二つ上の兄キャロルから連絡があった。『ブルックの護衛の剣士と魔法使いを殺し、ブルックを自分に引き渡してくれ』と。面倒だから断ったが王子の護衛としては大会に出て、おれという物騒な存在を合法的に消したほうがよくないか?」
「兄上」
静かに見つめ合うイオリとジェイムズの間にブルックが割って入ります。
「兄上は以前大会に出られたのですか?」
「去年の優勝者はおれだ。去年の目的は金だが、今年はちがう」
「今年の目的はなんです?」
「おれが優勝したら母上が甦る。おれにとっては継母で、ブルック、おまえにっとっては実母のラウラ・フリーダム・ローズが。
カミとそういう契約を結んだ」
ジェイムズの表情は朗らかです。
しかし話を聞いたブルックの顔色は、紙のように白くなりました。
「イオリ、実をいうときみの大会への参加はカミのリクエストなんだ。去年のチャンピオンであるおれときみの真剣勝負をカミは見たいらしい。だから……」
「わかった出る」
ブルックの顔色を見て、イオリは決断しました。
「グレイト! すばらしい!」
「一つ確認したい。プロモーターのケインはあんたが王家の人間と知っているのか?」
「まさか! おれは自分の過去を誰にも話してない。ケインはおれを腕の立つ剣士としか思ってないよ」
「よかった。あんたの過去はこれからも絶対秘密にしてくれ。それがおれが大会に参加する条件だ」
「OK秘密にする。じゃああさって怠惰の闘技場で会おう」
ジェイムズは庭を去ろうとしました。
「兄上」
ブルックはジェイムズを呼び止めました。
「この八年間どこでなにをしていたのです? 兄上が死んだと思って父上や国民がどれほど嘆き悲しんだと思っているのですか?」
「すまんブルック。大会が終わったらすべて話す」
「それに母上を甦らせるとはいったいなんですか? そんなことをしたら王室どころか全国民の間にパニックが起きます。兄上、なぜカミとそのような愚かな契約を……」
「おれの夢だからさ」
簡潔に自分の動機を語ると、ジェイムズは首から吊るしたハート型のペンダントを指さしました。
「おれは八年間、このペンダントに支えられて生きてきた、ブルック、このペンダントを覚えているか?」
「もちろん覚えています」
ハートのペンダントをめぐるどんなエピソードがあったのかわかりませんが、そのときジェイムズとブルックの間に、兄弟らしい温かな空気が流れました。
「じゃあ行くよ。イオリ大会で会おう」
ジェイムズは慌ただしく屋敷を去りました。
居間に戻り、イオリはドストエフスキーに大会に出ると告げました。
「大丈夫」
イオリは不安そうなブルックに声をかけました。
「必ず優勝する」
「ジェイムズに勝てるかい?」
「正直にいうとわからない。あいつそうとう強いぞ」
「わしもそう思う」
ドストエフスキーは厳しい表情で、自分の膝の上で涎を垂らして眠っているクロの頭を撫でました。
「ムニャムニャ」
「去年の大会を会場で見たがジェイムズの腕前は一級品じゃ。速くて重い剣を振るう。とくに唐竹割りと袈裟斬りの威力はすさまじい。並の剣士では受けきれん。わが若き日のライバル、トルストイに似た剛剣の使い手じゃ。できればわしもあの男と一回戦で当たりたくないのお」
「え? 先生も大会に出るんですか?」
「出る」
驚くイオリを見て老剣豪はニヤリと笑いました。
「道場を維持するのは金がかかる。イオリ殿には悪いが十億ベルはわしのもんじゃ!」
「ムニャムニャ」




