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第54話 虎の穴

 イオリが帝国騎兵隊の奇襲を退けたのと同じ日。

 ここはバベル大帝国の王都にある宮殿の広間です。

 胸に勲章をたくさんぶらさげた軍服を着て、大きな椅子に腰かけるのは太陽王フリッツ・バルトです。

 年齢は六十をすぎていますが背筋をピンと張り、眼光は鋭く、全身から放たれるオーラは壮年期と変わらず禍々しく威圧的です。

 そのそばで、黒いローブを着た小柄な老人が水晶玉を見つめています。

 宮廷画家兼魔法使いのミロです。


「陛下」


 秘密部隊が全滅しました、とミロは簡潔に告げました。

 この老人はてんとう虫の目を通して、あらゆる状況を見るのです。


「そうか」


 大陸最強の権力者はそれきりなにもいいません。

 王の気持ちを測りかね、高官たちがひそかに震えたのと同じころ。


「仲間の妖精からの通信だ」


 てのひらサイズの妖精ルークは、ふいに長い耳をピンと張りました。

 ここはゼップランドの王都にある城の一室です。


「……宿場町彼方と法悦の間の土地で、ブルック一行が帝国騎兵隊の奇襲にあった。イオリの活躍で騎兵隊は全滅した。一行は旅を続けている、だって」


「おれたちも街道へ行くぞ」


「おいマジか」


 団長ジェット・クーガーの決断に、副団長のカイ・セディクはうろたえました。

 

「カミとの約束で王子の護衛は剣士と魔法使いだけって決まってるぜ?」


「しかし帝国が出てきた。これ以上黙って見てはおれん。隠密行動で王子を守る」


「カミをだますのか? あいかわらず無茶だな」


 カイは苦笑いし、ジェットは肩をすくめました。


「カミは怖いが帝国の強欲ジジイも怖いからな。ルーク、隠密部隊の十四名をここへ呼んでくれ」


「わかった」


 ルークは背中の羽根を羽ばたかせ、部屋から飛んでいきました。


「なんだ、もう兵隊決めてたのか?」


 相棒の手回しのよさに、カイは再び苦笑いしました。


「『常に最悪を想定して準備しろ』姉上にそういわれたからな」


 ジェットは剣を手に立ちあがりました。

 ジェットの愛剣であるバスタードソード稲妻(フルグル)は、十年前戦死した姉モニカの形見です。





 ブルックの腹ちがいの兄でローズ王の長兄でもあるメルヴィンは、待ちわびている朗報がなかなかこなくて焦りました。

 護衛のイオリとクロを殺し、ブルックをとらえた者に多額の報酬を払う。

 そう街道の犯罪者どもに通達したのですが


「どうなっておる!」


「殿下、今しばらくお待ちを」


 部屋の片隅に片膝ついているのは、メルヴィン子飼いのアサシンです。


「カミの領域である山岳地帯までまだ間があります。堕落、奇跡、怠惰、それぞれの町にいるならず者どもが、必ずや女剣士と魔法使いを仕留め、王子をとらえるでしょう」


「帝国の騎兵隊がやられたか。しかしブルックたちはもうすぐ怠惰の町に着く」


 ローズ王の第二王子キャロルが手にしたポストカードは、マッチもないのに青い炎に包まれ、すぐ灰になりました。


「あの港町で【大会】が開かれる。イオリの命もそこまでだ」


 手についた灰を払い、キャロルは高貴な美貌をゆがめて笑いました。





 そのころローズ王は自分の部屋から西の空を見つめていました。


「ブルック、杖をとってくれ」


 返事がないので王は振り返りましたが、そこにいつも自分の世話を焼いてくれる、やさしく美しい末っ子の姿はありません。


「ブルック、どこにいる? おいブルックや……」


 赤いガウンの裾を引きずり、冬眠明けの熊のように、王は部屋中をうろうろさまよい歩きました。

 愛する息子の姿はどこにもありません。

 なぜなら王子は今遠い街道で、汗と埃と血にまみれた旅の真っ最中ですから。





「昨日は拍子抜けだったね」


 ブルックは歩きながら苦笑いしました。

 今日は旅が始まって十四日目の夕刻です。

 昨日訪れた宿場町【堕落】を、ブルック一行はなにごともなく通り過ぎました。

 メルヴィン王子の指令を受け、待機していたならず者どもがブルック到着直前に恐れをなし、一斉に逃げ出したのです。


「王子さまの御威光ってやつだな」


 ブルックをからかうイオリの左目の瞳は、いつものように黒くなっています。

 不知火流奥義を使ったダメージから回復し、視力も無事戻りました。


「威光というより悪名って感じだけど。あの音は?」


 ブルックは耳に手を当てました。

 カンカンと、固い音が街道まで聞こえてきます。


「木剣の音?」


「宿場町【奇跡】は剣士の町だ。ドストエフスキー先生の道場があるからな」


「おお、あの有名な剣豪の」


「あれがそうニャ?」


 クロが遠くの山を見るときのように手をかざします。

 石造りの建物が見えてきました。

 大きな修道院に似てますが、聞こえてくるのは祈りの声や鐘の音ではなく、叩き合う木剣の音です。


「あれがゼップランド中の剣士が憧れるヴィクトル・ドストエフスキー先生の剣道場、通称『虎の穴』だ」


 道場を見つめるイオリの横顔は、どこか誇らしげでした。





(やってるやってる)


 道場の入口から稽古のようすを眺め、イオリは思わず笑いました。

 大陸中から集まった百人近くの若き剣士たちが、面、小手、胴をつけ、バスタードソードやロングソードを模した木剣で実戦さながらの打ち合い稽古に励んでいます。

 イオリは目を閉じ耳を澄ませました。


(どの音も冴えてる。なまくらな音は全然聞こえない。さすがは虎の穴だ)


「アポイントがなければ先生とお会いにはなれません」


 ブルックは道場の入口で王子の身分を明かしましたが、受けつけの若者から帰ってきた返事はすげないものでした。


「そうですか」


 ブルックが肩を落とし、引きあげようとしたときです。


「待て」


 兜を脱いで近づいてきたのは、身長二メートル体重百キロをそれぞれ超えるであろう、巨漢の青年です。


「ブルック王子の護衛の噂は聞いてる。きみドラゴン殺しのイオリだろう?」


「そうだ」


「ぼくはハルク。虎の穴四天王の一員だ」


 ハルクの背後で、やはり兜を脱いだ大柄な三人の若者がイオリに向かってうなずきます。


「先生は今お忙しい。でもイオリ、きみがぼくに勝ったら先生に会わせてあげる。木剣で打ち合い稽古しよう。ただし防具なしで」


 防具なしと聞いてほかの道場生がどよめきます。


「防具なしだって」


「それはヤバい」


「おいハルク」


 四天王のトミーが声をかけます。


「先生に無断で勝手な真似を……」


「どうするイオリ?」


「やめとくよ。おれの仕事は護衛だ。じゃあ……」


「やっぱり噂は本当なんだ」


 そういってハルクは童顔をほころばせました。


「噂?」


「ああきみの噂だよ。『ドラゴン殺しのイオリは持ってるカタナがすごいだけだ。本人の腕前はたいしたことない』ってね」


「ププッ!」


 四天王のレイがわざとらしく笑い、もう一人の四天王ハリーもにやけた声をかけました。


「おいハルク~、あんまり失礼なこというな……」


「わかったおゆるしが出た。やろう」


 不知火丸をブルックにあずけるイオリに、ハルクがふしぎそうに尋ねます。


「おゆるしってなんだ?」


「『図体がでかいだけのお坊ちゃまに本物の剣術を教えてやれ』不知火丸がそういっている」





「なに? ブルック王子がいらしたと?」


「はい。それにダークエルフとドラゴン殺しの剣士も一緒です」


「ドラゴン!? なぜそれを先にいわぬ!」


 道場のとなりの自宅で休んでいたドストエフスキーは、知らせを聞くと急いで道場に駆けつけました。


「『弱い犬は竜にも吠える』。うちの若いのがバカをしなければよいが……遅かったか」


 ドストエフスキーは呆れたように首を振りました。

 道場の床に、木剣を手にした四天王がぶざまに引っくり返っています。


「先生おひさしぶりです!」


 やはり木剣を手にしたイオリは、ドストエフスキーを見るとさわやかな笑みを浮かべて挨拶しました。


「ひさしぶりじゃのう」


 伝説の老剣豪もイオリを見てニッコリ笑います。

 夏休み実家に帰ってきた孫を迎えるお爺さんのような、やさしい笑みです。


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