第51話 丘を越えて行こうよ
今から数十年前のできごとです。
小国ブルーランドはバベル大帝国に滅ぼされました。
国民は四散し、多くは帝国の奴隷になりました。
そんな奴隷の末裔で、幼くして両親を亡くしたアラン・ガスコインは貧困からの脱出を夢見てわずか十二歳で軍隊入りしました。
とくに騎乗と剣に才能を示し、アランはめきめき出世しました。
そして同じころ、アランとともに異例の早さで出世したのが、エルフとして初の騎士を目指すエリでした。
奴隷の子孫とエルフは帝国における差別対象ナンバーワンです。
ともにバカにされながら、二人は明日の騎士を夢見て研鑽に励みました。
「おめえ、さっきの試験で魔法を使っておれの馬の足遅くしただろう?」
厩舎で馬の世話をしていたエリの長い耳を、一人の騎士見習が引っ張ります。
エリをいじめる騎士見習はガンボ、トミー、オーケン、デュークの四人です。
「魔法なんて使ってない。あんたの馬が遅いのは、あんたの騎乗がへただからよ」
「なんだと? ブヘッ!」
ガンボがぶざまにひっくり返ったのは、一人の少年のパンチを顎にもらったからです。
「『おのれの無能を知るが成長の第一歩なり』って太陽王がいってるぜ。エルフに焼きもち焼くより自分の無能を噛みしめたらどうだ?」
「こいつぅ!」
ガンボを殴った拳を撫でるアランに、騎士見習は一斉に襲いかかりました。
エリは厩舎の床に引っくり返ったアランの手当てをしました。
エリの愛馬グレイが、ときおりアランの顔を舐めます。
「あんたバカなの?」
「バカだよ」
二人は見つめ合い、それから笑いました。
やがてアランは十七歳、エリは五十歳になり、そして今から数か月前
「アラン・ガスコイン、エルフのエリ。両名を秘密部隊の騎士に任命する」
謁見の間でひざまずくアランとエリの頭上に、太陽王フリッツ・バルトのしわがれた声が降ってきます。
「ゼップランドに潜入し、ブルック王子を誘拐せよ。両名とも馬の扱いが得意と聞く。期待しておるぞ」
「見て」
任命式を終え、食材を買うため市場に向かっていると、エリが空を指さしました。
雨あがりでもないのに、空に鮮やかな虹がかかっています。
「エルフはああいう虹を空のリボンと呼ぶの。空のリボンを見た二人は、それからずっと同じ時を生きるんだよ」
「エルフのいい伝えかい?」
「そうよ。おばあちゃんが教えてくれたの。わたしたち、これからずっと同じ時を生きて、同じ時に死ぬんだよ」
「いいね」
アランはまわりに人がいないのを確認して、エリの唇にキスしました。
「エリ、馬を射ろ!」
逃げるブルックを追いかけながら、アランが前方を指さします。
「わかった!」
エリはすばやく弓を構えました。
この速さで落馬したら命の保証はありません。
しかしエリは落馬した騎手を、魔法の力で空中キャッチできます。
クロは馬から落ちまいとブルックの腰にしがみついていてこっちを見ていません。
(ごめんね)
馬に謝りながらエリは弓を引きしぼりました。
そのときふいに、自分が騎乗している愛馬のたてがみに影が落ちました。
「え?」
抜き身の不知火丸を右手に持ったイオリが、エリの真上にいました。
イオリが着ている竜皮ツナギの背中に、翼が生えています。
「きゃ!」
「エリ!」
虚空に青い閃光が走るとエリはがっくりうつ伏せになり、愛馬の首にもたれかかりました。
愛馬はすぐ走るのをやめました。
「てめえ!」
アランは愛馬の脇腹を蹴り、猛然と駆け寄りました。
イオリはすばやく姿勢を変え、アランに向かって飛翔しました。
竜と馬の距離がみるみる縮まります。
アランは腰の剣に手を当てました。
イオリはすでに抜いています。しかし
(おれのほうが速い!)
そう確信したアランは血笑浮かべて剣を抜きました。
「抜刀術オータス!」
イオリもすかさず刀を振るいます。
「居合術【風神の門】」
砂漠の剣シミターと、イオリの不知火丸が目に見えない速さで交差します。
二本の刃が放つ銀色の光芒が虚空にXを描き、二人はすれちがいました。
「う!」
翼を引っ込め地上に降り立ったイオリの左の脇腹に、鋭い痛みが走りました。
斬られたのです。
しかし斬られたのは皮膚の表面だけで内臓は無事です。
裂けたツナギは見ているうちにふさがりました。
死してなお竜の生命力は偉大です。
(助かった。竜皮の服を着ていなかったらおれがやられてた)
イオリは額の冷や汗をぬぐいました。
アランは片手に持った湾曲剣をぶらぶらさせて、愛馬の首にうつ伏せにもたれかかっていました。
エリを乗せた馬がアランに近づきます。
二頭の馬はともに主人を乗せたまま、所在なげにその場にたたずみました。
ホッとするイオリの頬に、そのときピリッと痛みが走りました。
矢がかすめたのです。
北から迫る騎兵隊が放った矢です。
イオリは慌ててブルックをさがしました。
ブルックはすでに丘を半分登っていましたが、
「おお!」
ブルックが悲鳴をあげ、丘の途中で馬は棒立ちになりました。
丘の上に、突如バベル大帝国の騎兵隊があらわれたのです!
その数およそ五十人。
「待ち伏せだ戻れ!」
イオリの絶叫が響くころ、ブルックの馬はすでに丘を駆け降りていました。
それを追って丘上の部隊も駆け降ります。
北の部隊も間近に迫っていました。
(挟み撃ちだ)
もうやるしかない! と覚悟を決めたとき。ブルックは丘を降りきりました。
「そのまままっすぐ走れ!」
イオリの叱咤を受け、ブルックの馬は方向転換すると、丘と丘の間をすり抜けるように駆けました。
地響き立てて丘上の待ち伏せ部隊があとを追います。
北の部隊はイオリを仕留めようと矢を雨あられと降らせました。
豪雨のように降り注ぐ矢を払ってかわし、イオリはほんの一瞬矢の雨のすき間を見つけました。
(今だ)
ピタッと足を止め、イオリは不知火丸を霞に構えました。
「不知火流奥義
【赤い影法師】」
たちまち真っ赤に輝く刀を、イオリは水平に振るいました。
「斬!」
刀の切っ先から放たれた赤い光が、水平に虚空を薙ぎます。
目の前にそびえる二つの丘のふもとに、赤い線が走りました。
「おおっ!」
丘を駆け降りていた待ち伏せ部隊の騎士が次々落馬します。
丘が崩れ、斜面が土石流となって流れ出しました。
イオリは丘を斬ったのです!
二つの崩れた丘は合流して山津波となりました。
「ワイバーン!」
イオリは再び背中に翼を生やし、飛翔しました。
そこへドッと北の部隊が駆けつけます。
「うわ!」
駆けつけた部隊を山津波は呑み込みました。
大陸最強を誇る帝国騎士団の精鋭は、こうしてあっという間に全滅したのです。




