第50話 二人のリベロ
今日は旅が始まって十二日目です。
廃墟の町彼方を離れたブルック一行は、ひらけた草原を歩いていました。
八月にしては陽射しが柔らかく、風が吹いて気持ちのいい朝です。
「昨日はだらしなくてすまなかった」
イオリが下げた頭をクロが撫でます。
「よしよし」
「急に幼なじみと再会したらだれだってああなるよ。クロもたいして魔力を使わなかったし、気にしなくていい……もうすぐゾフィー姫が亡くなった場所だ。遺跡がある」
そう語るブルックの横顔に、先日のような緊張は見られません。
幻とはいえきのう懐かしい母と対面し、ブルックの心はすっかり落ち着きました。
「ゾフィー姫の? どこ?」
「ほら、あの丘の下に石碑が……ん?」
ブルックは西に向けていた視線を北へ向けました。
「あれは?」
草原の彼方で、なにかがキラキラ光っています。
キラキラ光るなにかはこちらに近づいてくるようですが、陽炎に滲んで正体がよく見えません。
イオリは目を細めました。
「……あ!」
クロの長い耳がピクリと震えます。
「蹄の音!」
「騎兵隊だ!」
イオリの声を特徴的な突撃ラッパと地響きの音がかき消します。
北からあらわれたのは銀色の甲冑に身を固めた騎兵部隊です。
イオリはすばやく騎兵を数えました。
「五十騎」
「あれはバベル大帝国の突撃部隊だ」
ブルックが指さす先に、帝国の国旗である太陽旗が誇らしげにかかげられています。
「太陽王め。ぼくをさらってゼップランドを手中におさめるつもりだ。どこまで強欲なんだあの爺さん!」
「くるぞ!」
早駆けの馬が二騎、すごい速度で近づいてきます。
「あれは帝国騎兵隊のエースナンバーワンとエースナンバーツーだ」
ブルックが語ります。
「あの二騎だけで敵の大将を討ち取ることもしばしばある」
「二人ともさがれ!」
ブルックとクロをさがらせ、イオリはスラリと不知火丸を抜きました。
二人の騎士は槍を抱え、二列に並んで走ってきます。
「イオリ気をつけろ! あれは帝国の騎士が得意にする挟撃戦法だ!」
「わかってる」
挟撃戦法とは敵を二頭の馬の間に挟み込み、すれちがいざま左右同時に槍で突いて仕留める戦いかたです。
シンプルですが、どんな達人もこの攻撃をかわせません。
(翼を生やして飛んだらうしろの二人の盾がなくなる)
二頭の蹄が立てる地響きを全身に感じながらイオリは考えました。
(この距離ではクロの魔法も、おれの不知火流奥義も間に合わない。となると)
イオリはいきなり不知火丸で虚空を垂直に斬りました。
一閃の鋭さに、間近に迫った二騎の足が一瞬ゆるみます。
その隙をついてイオリは叫びました。
「やれスパイダー!」
「うおっ!」
悲鳴をあげたのは右側からイオリに迫っていたエースナンバーツーです。
ナンバーツーの兜が、突然真っ白な糸に包まれたのです。
「オホホ!」
突如二騎のうしろに巨大なカルマがあらわれました。
上半身は裸の女、下半身は蜘蛛の蜘蛛女です。
指先から放った白い糸でナンバーツーを包むと、蜘蛛女は獲物をうしろへ引き倒しました。
見た目の細さからは想像できない剛腕です。
「オホホ!」
蜘蛛女はかつてイオリに斬られた仇敵です。
斬った相手を武器にする不知火丸の異能によって、蜘蛛女はイオリの付属品になったのです。
「ぐええ」
糸の毒は鎧のすき間から内部に染み込み、ナンバーツーは地面にあお向けになったまま動かなくなりました。
「きさま!」
相棒を殺されたエースナンバーワンは激昂し、イオリの左側から襲いかかりました。
甲鉄を泥のように貫く槍が、駿馬の俊足に乗って頭上から降ってきます。
しかし槍の穂先のきらめきより速く、イオリは跳躍しました。
「居合術【風神の門】」
奔流となった風が渦を巻き、ナンバーワンの甲冑を叩きます。
ナンバーワンの槍とイオリの刀が空中で交差しました。
「おお!」
無敵の帝国騎士団がどよめいたのは、見よ、エースナンバーワンの首が、イオリの一閃で無惨に刎ねられたからです!
「オホホホホ! ……ホッ!」
哄笑していた蜘蛛女の声が突如絶えたので、イオリはそちらを見ました。
地面に横たわった蜘蛛女の喉を、一本の矢が貫いています。
「二人とも馬に乗れ!」
ナンバーワンが乗っていた馬に飛び乗り、イオリが叫びます。
ブルックはナンバーツーの馬に乗り、うしろにクロを乗せました。
王族の嗜みとして馬を操るのはお手のものです。
「どこへ逃げる?」
「正面の丘を登れ! クソ!」
飛んできた矢を払ったイオリの顔が青ざめます。
北から迫る騎兵隊の中から二頭の馬が抜け出し、弾丸の勢いで先を行くブルックの馬を追い始めたのです。
馬上の騎士は二人とも金属製の甲冑ではなく、軽い革甲冑を着ていました。
(こいつら『リベロ』だ)
リベロはバベル大帝国の軍隊用語です。
馬の扱いが得意で騎乗に優れ、さらになんらかの特殊技能を持つ騎士を、帝国は「リベロ」と呼び、特権を与えました。
戦闘が始まったら隊長の指令を待たず、リベロは自由に動くことができるのです。
ちなみにリベロは古代文明で人気があったスポーツの言葉らしいのですが、それがなんというスポーツでリベロがどういう意味を持つのか、知っている人間はもう一人もいません。
今そのリベロが二人、すさまじい勢いでブルックを追っています。
「これで決まりだ」
離れた場所から戦況を見守りながら、騎兵隊を率いる隊長は兜の内側でうそぶきました。
「あの二人の追跡から逃げおおせた者は一人もいない。もはやブルック殿下はわれらが手中にあるも同然だ」
追跡は一直線の列になりました。
先頭がブルックとクロ。
その後方から迫る帝国の二人のリベロ。
さらにその後方からイオリが必死に追いかけます。
「ああもう! 面倒臭い!」
そのとき葦毛(白馬)に乗ったリベロが、いきなり兜を脱ぎ捨てました。
金色の長い髪がレースのカーテンのようにひるがえり、その髪の下から長い耳があらわれます。
素顔をあらわにしたエルフはすばやく振り返ると、迫るイオリに矢を放ちました。
正確に自分の眉間を狙った矢を払って、イオリは愕然としました。
(エリ)
大人になった幼なじみのエリが、目の前にいました。
すると相棒に続いて青毛に乗ったリベロも兜を捨てました。
「エリ、やつは放っておけ! 王子を追うんだ!」
「わかったわアラン!」
(アラン、エリ)
大人になった二人の幼なじみを見て、イオリの心はとっさに感情を失い、岩のように固くなりました。
(他人の空似だ)
最初のショックから覚めたイオリは、すぐその事実に気づきました。
(おれの知ってるエリの瞳は青かった。でもリベロのエリの瞳は黒い。それにおれが知ってるアランの瞳も青かったが、リベロのアランの瞳はやっぱり黒い。似てるけど二人ともおれが知ってるエリとアランじゃない。名前が同じなのも偶然だ)
ホッとしたイオリは、ならば遠慮はいらぬ! と騎乗で不知火丸を一閃しました。
「やれオクトパシー!」
「ごめんあそばせ」
二人のリベロの前に、突如巨大なカルマがあらわれました。
上半身が裸の女で、下半身が蛸の蛸女です。
これもイオリのアクセサリーです。
蛸女は迫るリベロ目がけ、鞭のように触手を振りおろしました。
「死が二人を別ちまぁす」
「さがれエリ!」
アランは腰の刀に手を置きました。
次の瞬間蛸の触手と蛸女の首が宙を舞い、アランが抜いた砂漠の湾曲刀シミターは、いち早く元の鞘に戻っていました。
「抜刀術最高傑作」
アランが誇らしげにつぶやきます。
(抜く手も引く手も見えなかった)
衝撃でイオリの口はみるみる乾きました。




