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第49話 ノスタルジーの怪物

「イオリずっとここにいろよ。いるだろ?」


「うん、いるよ」


 イオリの明るい声が、防空壕の壁に反響しました。





「……」


 クロは黙って姿の見えない偉大な存在に刀を差し出しました。





「母上」


 母の胸にもたれ、乳房の柔らかさと甘い匂いに陶然となりながらブルックはリクエストしました。


「ミッシェルを歌ってくれませんか?」


「……」


 ラウラ妃のためらいは、まばたきより短いものでした。

 しかしその一瞬のためらいが、王子の酔生を破りました。


「母上」


 半身を起こしたブルックは、幼い子どもから十五歳の少年に戻っていました。


「やはり幻ですか。ぼくは母上が歌うミッシェルが好きでした」


 ブルックの言葉を聞いて、幻の母は悲しそうにほほ笑みました。


「残念です、クロ!」


 ブルックの声は荒れ地にいるクロの耳に届きました。

 クロはハッとして刀を差し出そうとした手を止めました。

 姿が見えないなにかに代わって、今度はブルックの声が空から降ってきます。

 若々しい声が命じました。


「撃て」


「ホラー!」


 ダークエルフに戻ったクロの眼前に魔法陣が浮かび、そこから光が放たれました。


「破壊魔法【夏と花火と私の死体】ニャ」


 光は見えない壁を破り、轟音と絶叫がクロのいる荒れ地とイオリのいる防空壕、そしてブルックのいる宮殿の寝室に轟きました。





 気がつくとブルックは路上に立っていました。

 旅館はありますがそれ以外に建物はなく、通行人もいません。

 そばにイオリとクロがいて、さらにもう一人いました。

 赤い髪を肩に垂らした、女の巨人です。

 身長は十四五メートルあるでしょう。


「宿の女主人だ」


 ブルックは愕然となって頭上を見あげました。


「ぼくらは彼女のお腹の中にいたんだ」


 巨大な女は裸で、お腹から血を流していました。

 クロの魔法で体の内側から貫かれたのです。

 女は血を流しながら、なお闘志を宿した目でブルックを睨みつけました。


「まだ戦う気だ。イオリ」


 ブルックは声をかけましたが、イオリはあらぬ方向にフラフラ視線をさまよわせています。


「アラン、エリ、みんなどこへ行ったんだ?」


(まだ目が覚めてない)


「クロ」


「まかせるニャ、羽根(ペンナ)!」


 背中に羽根を生やすとクロは夕焼け空に飛翔しました。

 その手にすでに弓矢があります。

 クロはようすをうかがうように女の顔のまわりを一周し、正面で停止しました。


「生意気なチビめ!」


 女は金切り声をあげつかみかかりました。

 突進する女に向かってクロが至近距離から矢を放ちます。

 短弓今を生きる(カーペディエム)の速射は女の突進よりはるかに速く、左の乳房に深々と突き刺さりました。


「!」


 心臓に宿る不滅のティグレを貫かれ、女は絶叫あげてあお向けに倒れました。


「危ない!」


 おそるべき大地の震動を予感し、ブルックはとっさに頭を抱えました。

 しかしそうはなりませんでした。

 ふと足もとを見ると、地面に裸の女が倒れています。

 すでに息を引き取った、宿の女主人です。


(死んでカミの呪いが解けたのか?)


 女は夕日に照らされ、髪も肌も赤く染まっていました。すると


「アンヌ」


 さっきブルックに声をかけた乞食がそばにいました。

 乞食は死んだ女に近寄ると抱き起こし、彼女の額にかかる髪をそっと払いました。





「死んだアンヌはわたしの妻です」


 乞食はマークと名乗りました。

 地面に座って旅館の壁に寄りかかり、毛布をかけた妻の肩を抱いてマークは語りました。





 わたしと妻は同い年です。信じられないでしょうがわたしの年齢は二十八歳です。

 わたしたちは王都の孤児院で出会いました。わたしは六つ、妻は七つのとき施設に引き取られました。我々はともに学びともに生活し、いつしか愛し合う仲になりました。

 いえ、本当はわたしがアンヌに一方的に熱をあげたんです。

 アンヌがわたしの求愛に応えたのは、たぶんさびしかったからでしょう。





 孤児院の院長は二十代のハンサムな青年でした。見た目は爽やかですが、院長は男の子が好きな変態でした。ええ、わたしも犯されました。犯されましたが、それでもわたしは内心ホッとしました。

 男好きの変態なら女の子に手を出すことはないと思ったのです。

 しかしわたしの考えは甘かった。十四になったアンヌが院長に犯されたのです。アンヌのどんな変化が院長の琴線に触れたのかはわかりません。

 わたしはやっとの思いで手に入れたナイフで院長を刺し殺し、アンヌと一緒に孤児院を飛び出し街道へ逃げました。

 自分が汚されるのは平気ですが、自分が愛する者が汚されるのは耐えられなかったのです。





 宿場町を転々とする生活が始まりました。貧しい賃仕事で生活費を稼ぐその日暮らしの日々ですが、わたしも妻も楽しかった。ええ、わたしはアンヌと十五で結婚しました。わが人生最良のときです。しかしそんな暮らしは長く続きませんでした。





 いつしかわたしはアンヌとコミュニケーションがとれないようになりました。

 彼女がわたしと出会う前の記憶、七歳以前の裕福な家族と暮らした幸せな思い出に浸って終日暮らすようになったからです。

 楽しかったお茶会、馬車でのお買い物、バレエのレッスン、お遊戯会、海水浴、オペラや演劇の観覧、どれも彼女の楽しい思い出です。わたしとまったく無関係な。

 そうやって過去の思い出に浸る日々の中で、アンヌは出会ったのです。

 カミに。





 カミはアンヌにいました。

『わが(しもべ)になれば、そなたはいつでも思い出の世界に浸れる』

 アンヌはカミと契約しノスタルジーの怪物になりました。

 旅館の支配人に擬態し、旅人をノスタルジーに酔わせて自分の体内に取り込む怪物です。

 魔法【心臓が二つある大きな川】でもっとも甘美な思い出を見せられ、さらに幻の誘惑に応じた者がアンヌのエサとなるのです。

 死んだ旅人も幻となり、毎日過去の思い出を語り続けます。彼らの語る思い出が、アンヌにとって最上の音楽なのです。彼女の魔法でこの町はとっくの昔に滅びました。

 わたしも死を望みましたが、アンヌはわたしの望みを拒否しました。

 わたしにとって最良の思い出、アンヌと過ごした孤児院の日々や宿場町での暮らしは、彼女にとって最悪の思い出だったから。





「わたしの思い出は、彼女のノスタルジーの養分にならないのです。わたしは彼女に殺されるのをあきらめ、毎日旅人にこの町から去るよう警告する役目を務めました。しかし旅館に泊まった旅人は、みんな彼女のエサになりました。エサにならなかったのは王子さまが初めてです。さすがです。さあ、わたしは語るべきことを語りました。王子さま、お発ちください」


「あなたも一緒に行きましょう」


「いいえ王子さま、わたしは人殺しです。ご一緒など無理です」


「あなたの行為は愛する者の尊厳を守る正当防衛だ。罪は院長にある。女神さまもきっとそういう」


「おお、王子さま。王子さまのお言葉で、わが魂は救われました。しかしわたしはすでに呪術師にもらった無痛で死ねる毒を飲んでおります。申しわけありません。どうか最期は妻と二人きりにさせてください……」





 ブルック一行は荷物をまとめ、夕日に染まった町を離れました。

 去り際にブルックは旅館を振り返りました。

 マークとアンヌが寄り添っています。

 二人は十五歳の少年少女に戻り、静かに眠っていました。


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