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第48話 心臓が二つある大きな川

 世界が薄赤い色に染まっています。

 イオリは一人裸で暗く温かな部屋にうずくまっていました。

 部屋は被膜に覆われていて、被膜の向こうで数人の人物が会話しています。

 その内の一人が、ふいに被膜に耳をくっつけました。

 耳をつけた人物はいいました。


「イオリ、早く会いたいな」





「……ひさしぶりだな」


 木こり小屋の壁のすき間から差す朝の日差しに顔を照らされ、目覚めたイオリはつぶやきました。


「悪夢を見るのは」


 ブルックとクロはまだ眠っています。

 イオリはふしぎな気分になりました。

 以前ほど悪夢がこわくなかったのです。





 早朝森を出発した一行は昼過ぎに、次の宿場町【彼方】に到着しました。

 彼方は粗末な木造建築が並ぶ典型的な宿場町です。

 水はけがいい土質なのか、昨日雨が降ったのに通りの地面は乾いています。

 建物は粗末ですが、人出は多く通りはにぎわっています。しかし


「変だな?」


 ブルックは首をかしげました。


「こんなに人がいるのに活気がない」


 それはイオリも同感でした。


(ここの住人、起きたまま夢を見ているような顔をしてる)


「みんな昔話ばかりしてるニャ」


 クロは道ゆく人を無遠慮に指さしました。


「あの二人連れは子どもの頃読んだ絵物語の話、あの二人連れは森でキャンプを張った思い出、あの二人連れは荒野の冒険旅行の記憶、それから一人で歩いてるあの男は、死んだ母親の手料理の思い出をブツブツつぶやいてるニャ」


「あの、もし」


 そのときだれかが三人に声をかけました。

 声をかけたのは通りの一角にうずくまっていた乞食の男です。


「なんでしょう?」


 乞食に近づきブルックは驚きました。

 白髪に白い髭を生やしているのでてっきり老人と思ったのですが、相手の目を見てブルックはそれが誤解だとわかりました。


(この人三十代、いやもしかしたらまだ二十代かもしれない)


「失礼、あなたさまはブルック殿下ですか? 殿下の旅の噂は聞いています。なにもいわず、今すぐこの町を出てください」


「なぜです?」


「思い出に食われるからです」


 それだけいうと乞食はボトルのワインをゴクゴクあおり、自ら会話を打ち切りました。

 その場を離れるとブルックはイオリに相談しました。


「どうする?」


「酔っ払いのいうことだ、気にするな。それに三日続けて野宿はごめんだ」


「そうだね」


「あそこが宿ニャ」


 クロが指さした看板に「心臓が二つある大きな川荘」と変わった名前が書かれていました。


「今日のお泊りはお客さまたちだけです」


 赤い髪をうしろでまとめた、若く美しい女主人が笑顔で告げます。


「今夜はお一人ずつ部屋をおとりになられたらいかがです? 宿代は一部屋分しかいただきません」


「いいんですか?」


「わたしの提案ですからお気になさらないで」


 ブルックはイオリとクロの顔を見てうなずきました。


「わかりました。では鍵を三つください」





 三人はこの旅で初めて一人で眠ることになりました。

 部屋は三つとも通りに面した二階にあります。

 真ん中の部屋がブルックで、両隣にイオリとクロがいます。

 イオリの部屋の窓から、乞食がさっきと同じ場所に座ったまま、ぐびぐびワインをあおる姿が見えました。


(まだ飲んでる)


 やれやれと首を振り、イオリはカーテンを閉めました。

 それからTシャツと短パンに着替え、背嚢から小瓶を取り出しました。

 小瓶の中身は香水です。

 旅の途中で見つけてひそかに買ったのですが、今までつける機会がなかったのです。


(一風呂浴びたら使おう)


 イオリがそう思ったとき、ノックもなしに部屋の扉がいきなり開きました。


「やあ!」


 部屋に飛び込んできた相手を見て、イオリは絶句しました。


「アラン……」


「わたしたちもいるわよ」


 アランのうしろからエリが、さらにトビーとヒューゴーとイーサンも顔を出します。

 幼なじみが十年ぶりに顔をそろえました。


「ひさしぶりだなイオリ!」


「アラン、ここへなにしにきた?」


「そんなの決まってるだろ? 遊びにきたのさ!」





「いらっしゃい、ブルック」


 その人はベッドに腰かけると、笑みを浮かべて両手を広げました。

 高貴な気品と母性をたたえた、世にも美しい女性です。


「母上」


 ブルックは頬を薔薇色に染め、ラウラ・フリーダム・ローズの胸にもたれこみました。





 クロの部屋には白い服を着た、背の高い女性がいます。

 こちらも美しい女性です。


「こんにちは、かわいいかわいいわたしのクロ」


 女性に頭を撫でられ、クロは顔を真っ赤にしてゴロゴロ喉を鳴らしました。





 イオリはひさしぶりに仲間と遊びました。

 トビーとヒューゴーはチャンバラごっこに夢中です。


「そら一本!」


「浅い! まだまだ!」


 審判役アランの判定に、トビーは不服そうに唇を尖らせました。

 イーサンは壁の光石で手もとを照らし、一人静かに本を読んでいます。

 エルフのエリはイオリに、彼女が好きな創世記の一節を読み聞かせました。


「そのとき女神さまはいわれました。『善き人よ、右の頬を打たれたら相手の顎に右ストレートを一発お返しなさい。それで問題は解決しませんが、あなたの心に平和が訪れます』」


「そらどうだ!」


「よし一本!」


 木剣の音やアランの声がやたらと響くのは、ここが丘の下にある、あの防空壕の中だからです。

 イオリは自分がいつの間にか宿を離れたことになんの疑問も抱きません。

 それどころか自分が仲間と同じ幼児に戻っていることさえ、イオリは当然のことと思っています。


「女神さまはまたいわれました。『善き人よ、自信と謙虚を合わせ持とうとするのはおやめなさい。それは過ぎた望みです。わたくしとカミが仲良くなるのを望むようなものです』『善き人よ、自分の幸運を自覚し、あえて人の憎しみを引き受けなさい。他人の憎しみはあなたの幸福の対価だから』」


「イオリ」


 アランの声が、防空壕の壁に反響します。


「ずっとここにいろよ。いるだろ?」


「……」


 イオリはとっさに声が出ませんでした。





 ブルックは天蓋つきのベッドにいました。

 ここは宮殿にある母の寝室です。

 イオリと同じく幼児に帰ったブルックは、若く美しい母の胸に顔をうずめていました。

 母の胸の柔らかさと甘い匂いに、ブルックの胸が疼きます。

 ラウラ妃は息子と同じ金色の髪と青い瞳を持っていました。

 今や「大陸一の美人」といわれるブルックですが、その美しさは母親譲りなのはまちがいないようです。

 ラウラ妃は息子の頭を撫でました。


「ブルック、ずっとここにいなさい」


 やさしい母の声が、ブルックの耳を吐息とともにくすぐりました。





 クロは荒れた場所にいました。

 そこは瓦礫だらけの町です。

 すべての建物は崩壊し、空が近くに見えます。

 裸足で瓦礫を踏むクロの姿は、エルフではありません。

 浅黒い肌をした人間の女の子です。

 人間の女の子であるクロのそばに、巨大なトカゲやヘビのような怪物が数十体倒れていました。

 怪物はどれも死んでいます。

 床に落としたプリンのように、頭がつぶれているのです。


怪物(カルマ)を殺したのはわたしです」


 クロの正面に、白い服を着た背の高い女性がいました。

 いえ、本当に背が高いかはわかりません。

 なぜならクロの目に女性の姿は見えないからです。

 ただ【とてつもなく大きな存在がそこにいる】と感じるだけです。


「クロ」


 姿は見えず、ただ声だけ頭上から降ってきます。


「あなたの苦難の旅はここで終わりです。その刀を渡しなさい」


「……」


 人間の少女クロはそのとき一振りの、赤い鞘の刀を握りしめていました。


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