第46話 風の妖精シビル
ここは街道沿いにある森の中です。
街道筋の親たちはわが子に
「一人で森に入ってはいけない」
と口を酸っぱくして教えます。
森が海や山と同じように、危険な場所だからです。
人を襲う獣はいるし、毒虫もいるし、それにこの森には底なし沼もあります。
森に一人で入って安全なのは、ベテランの木こりか猟師ぐらいです。
それなのに今日もきました。
森の中のやや開けた空き地で、五歳くらいの男の子が一人で遊んでいます。
たまたま見つけたウサギを追って、こんなところまできたのです。
「ドクシュ、ドクシュ」
奇妙な呪文(?)を唱えながら、男の子は手にした棒の先で、地面に落ちてキラキラ瞬く木漏れ日を、熱心に突いて遊んでいました。
「シュ、ドクシュ、シュ、ドクシュ!」
そのとき木漏れ日が、風鈴のように忙しなく揺れました。
風が吹いたのです。
男の子は棒を手に立ちあがりました。
「だ~れ?」
風の中に、だれかの声が混じっているように聞こえたのです。
しかし返事はありません。
男の子はもう一度尋ねました。
「だ~……」
「ウフフフ」
男の子は棒を捨てて走り出しました。
「シビルだ! シビルが出た!」
男の子は泣きながら森から走り去りました。
男の子がいなくなった空き地に、ふわりと木の葉が舞い降りました。
いえ、舞い降りたのは木の葉ではありません。
葉っぱに見えたのは、てのひらサイズの妖精です。
女の子の妖精です。
名前はシビル。
シビルは風の妖精です。
「うふふ」
男の子が走り去った方向を見て、シビルはクスクス笑いました。
森に一人で遊びにきた子どもを安全に追い返す。
それが妖精シビルの仕事なのです。
「あ~あ、やっぱ男の子はアホだから楽でいいや」
シビルは大きく伸びをしました。
これが女の子だったらそうはいきません。
女の子が森に一人で入るときは親に虐待されているとか、奴隷商人から逃げてきたとか深刻な理由が多い……とシビルが考えていたときです。
「ん?」
背中の翼を羽ばたかせ、シビルは近くの木の枝に降り立ちました。
木の葉や草の葉が震えています。
風ではなく委縮して震えているのです。
木々をこわがせるなにかは、すごい勢いで空き地に近づきました。
「サルトゥスだ」
森でもっとも不吉な名を口にすると、シビルは両手で印を結び、呪文を唱えました。
「光」
シビルの手もとから地上に光が放たれ、光の先にポッと小さな炎が立ちました。
炎が立った瞬間、森に満ちていた禍々しい気配はフッと消えました。
サルトゥスは火がなによりも嫌いなのです。
シビルはホッとして水魔法で火を消そうとしました。
「ああ、いかん!」
たまたま通りかかった猟師は空き地の火を見ると、自分が着ていた上着をかぶせ、何度も叩いて消しました。
「やれやれ、孫が森でシビルを見たというからきてみたらこの始末じゃ。妖精のいたずらにも困ったもんじゃわい」
猟師の愚痴を聞いたシビルはしょんぼり肩を落とし、逃げるようにどこかへ飛び立ちました。
その数日後です。
また森にだれか一人で遊びにきました。
小柄ですが子どもではありません。
遊びにきたのはダークエルフです。
「……」
シビルは木の上からエルフの様子を見つめました。
しきりに鼻をクンクンさせています。
「なにしてるの?」
好奇心に負けてシビルは声をかけました。
「ビアンカの実を探してるの」
ダークエルフはシビルを見て鼻をこすりました。
ビアンカはゼップランドだけで取れる甘い果実です。
「ビアンカの森はもっと奥だよ。案内してあげる。わたしシビル」
「わたしはクロ」
シビルに案内され、ビアンカの森に辿り着いたクロは大喜びで実を一個もぎ、背嚢へ入れました。
「一個でいいの?」
「とりすぎちゃダメでしょ?」
「じゃあここで一個食べようよ」
シビルの提案でクロはもう一個もぐとナイフで皮を剝き、半分シビルにあげました。
「ありがとう」
二人はしゃくしゃく音立てて、あっという間にビアンカの実を食べました。
濃厚な甘さが妖精とエルフを笑顔にします。
しばらく放心したあと、クロは遠慮がちにいいました。
「もう一個いい?」
「いいよ」
それから二人はしゃくしゃく音立てて、ビアンカの実を四個食べました。
日が暮れるまで二人は森で楽しく遊びました。
ビアンカの実でパンパンにふくらんだ背嚢を背負い、クロは別れを告げました。
「また遊びにくるね」
「きっとだよ。きっと遊びにきてね」
クロは笑顔でうなずき、木の上で手を振るシビルに手を振り返して別れました。
それが今から百年前のできごとです。
それから百年後、夏のある日。
また一人で森にきた悪い子がいます。
今日きたのは女の子です。
女の子が一人で森にくることはめったにないので、シビルは緊張しましたが、やがてこの子が蝶を追って森に入ったとわかってホッとしました。
(大人が絡んだ深刻な話じゃなかった)
安堵したシビルは背中の翼を慌ただしくバサッ、と羽ばたかせました。
「きゃ」
突然羽ばたきを耳にした女の子は、かわいい悲鳴をあげ、すぐ逃げ出しました。
「ウフフ」
シビルが木の上で笑っていると、人の声が聞こえました。
複数の声です。
耳を澄ませまたシビルの顔が、たちまち紅潮しました。
(クロ)
懐かしいダークエルフの顔が、森のかなたに見えました。
クロはブルックとイオリと歩いていました。
政敵の罠にかかってクロは百年牢獄に囚われていましたが、そのあいだ片時もシビルを忘れたことはありません。
「シビル、シビル」
クロは旧友の名を呼びながら、こちらに近づいてきます。
シビルは満面に笑みを浮かべ、勢いよく手を振りました。
「お~……」
シビルの手が急に止まったのは、突然森に禍々しい気配が満ちたからです。
(サルトゥス)
木々や草がザザザと揺れます。
サルトゥスは姿を消したまま、三人に襲いかかろうとしているのです。
シビルは慌てて木から飛び立つと、サルトゥスと三人の間に回り込みました。
「あ、シビル?」
「クロ逃げて! 光!」
シビルが呪文を唱えると、彼女の前方にポッと炎が立ちました。
炎に照らされ、森と同じ緑色の、巨大なトカゲの姿があらわになりました。
トカゲの額に巨大な鋭いツノがあります。
今日のサルトゥスは炎をおそれません。
そのまま突進すると、サルトゥスは鋭いツノで、シビルの胸を貫きました。
「ホラー!!」
クロが絶叫すると彼女の眼前に魔法陣が現出し、そこから光が放たれました。
光はサルトゥスの頭を直撃し、粉微塵に吹き飛ばしました。
クロはシビルを自分のてのひらにそっと横たえました。
シビルの胸に手をかざし治癒魔法を施すと、胸に空いた穴はふさがりました。
しかし彼女の心臓に宿る不滅のティグレは破壊されました。
ティグレを失ったら、妖精といえども生きていられません。
治癒魔法で痛みが消えたシビルは、うっすらと目を開きました。
「もう痛くない。とってもいい気持ち。ありがとうクロ。わたしの友だち」
「会えてうれしいよ、シビル。わたしの友だち。大好き」
クロの手の中で、シビルはニッコリ笑いました。
それから彼女の体はフッと消え、クロのてのひらに小さな水滴が残りました。
「大好きだよシビル」
クロは涙を流し、てのひらの水滴をペロリと舐めました。
それからしばらくして。
今日も森で四人の男の子が遊んでいます。
かくれんぼをしていたのですが、一人の男の子が急に足を止め、耳を澄ませました。
風が吹き、木々が親し気にざわめいています。
「どうしたクリント?」
「女の子の笑い声が聞こえる」
そういわれてほかの子も耳を澄ませました。
すると風に混じって、クスクス笑う女の子の声がたしかに聞こえるのです。
「ウフフ」
「わーシビルだ」
男の子たちは一斉に駆け出しました。
一緒に逃げながら、クリントだけうしろを振り返りました。
木や草が見えるだけで、女の子の姿はありません。
ただ笑い声だけ聞こえます。
「ウフフ」
それは子どもだけに聞こえる、森の妖精の笑い声です。




