第41話 花と蛇
ここでいったん街道を離れ、時をややさかのぼります。
イオリたちが王都を出発した八月一日の朝、一人の人物が王都の墓地を訪れました。
黒い詰襟の制服を着た若い女性です。
真夏の日差しをさけ、早朝墓地を訪れた人々が、すれ違うたび彼女にチラチラ不謹慎な視線を送ります。
彼女が妖しいまでに美しいからです。
年齢は二十代後半といった感じで、スレンダーなのに成熟した肉感がある胸や腰つきは、男性のみならず同性の視線も引き寄せます。
金色の長髪を背中に垂らし、女性は「バタイユ」と家名を刻まれた墓に花をささげると、そこにひざまずきました。
手を組み、涼しげな青い瞳でじっと墓石を見つめます。
「父上、母上、姉上、行ってまいります」
すぐ立ちあがり、女性はパンツの皺を伸ばしました。
身長は百八十センチあるでしょう。
女性としては長身です。
すらりと手足が長く、きゅっと引きしまった腰に一振りの剣がさしてあります。
「お待たせしました」
女性は木陰で待機していた数人の若者に声をかけ、墓地の参道を歩き出しました。
彼女とすれ違った若い女性が、頬を染めて振り返ります。
「素敵……」
「あらあんた知らないの?」
連れの女性がささやきます。
「あの人マリア・バタイユよ。通称皆殺しのマリア」
「皆殺し?」
「そう。大陸最強といわれる有名な女剣士。今までに真剣勝負で八十九人の剣士を斬り殺してるんだから」
「八十九人」
最初に「素敵」とマリアを見初めた女性は、マリアが殺した剣士のおそるべき数を聞いても嫌悪感を抱かず、むしろうっとりとした表情になりました。
「やっぱり素敵。シレーヌみたい……」
彼女の目に、マリアは創世神話で女神を裏切り、カミのもとへ走ったおそるべき女悪魔シレーヌに見えました。
シレーヌは女神の弟子の一人で弟子の中でもっとも賢く、もっとも強く、もっとも美しいといわれた女性です。
女神は自分が愛した弟子の裏切りをゆるさず、ホルト山の火口で対決し、死闘の末神剣ローズでシレーヌを滅しました。
その後シレーヌは「裏切者」の代名詞になりましたが、彼女を崇拝する者も多くいます。
シレーヌ教の信者はとくに女性が多いのが特徴です。
男性よりも女性のほうが「善悪の彼岸」にいる人間の価値を認める傾向があります。
マリアに見惚れた女性も、きっとそうでしょう。
さらに時をさかのぼります。
今から十年前、マリア十七歳の春です。
朝からずっと弱い雨が降っていたその日、マリアは傘を差し、ゼップランドの墓地に建てたバタイユ家の墓前にたたずんでいました。
そこでマリアは突然霊感に打たれたのです。
霊感はいわくいい難い独特の感覚ですが、マリアはとっさに自分が「神気に包まれた」と感じました。
「マリア、おまえの夢はなんだ?」
何者かの声が聞こえます。
姿は見えません。しかし
(これはカミだ)
マリアはそう確信し、姿を見せない相手に、素直に自分の夢を語りました。
人が聞いたら顔をしかめるにちがいない、愚かでおそろしい夢を。
「おまえの夢はよくわかった。おまえは史上最強といわれる名剣士ドストエフスキーの一番弟子だな? マリア、これからおまえは多くの敵と戦う。おまえが殺した相手をわが生贄に捧げよ。そうすればわたしはおまえの夢を叶えてやろう」
「どうやって叶えてくださるのです?」
「わたしには五人の弟子がいる。『カミの五高弟』といわれる者どもでサタン、デビル、デーモン、ヤッカ、ジンの五人だ。おまえが人間を百人殺すたび、わが弟子を一人おまえの配下に差し出そう。五百人の人間を生贄に捧げれば、五人の弟子はすべておまえのものとなる。わが弟子の力は強大だ。どうだ、わたしと契約するか?」
「契約いたします」
「よろしい」
その瞬間すさまじい雷鳴が轟き、大地が震えました。
「これは」
雷鳴に驚き、とっさに傘を捨てたマリアの手に、いつの間にか一振りの剣が握られていました。
彼女が持っていたのは片手でも両手でも使えるバスタードソードです。
両刃の剣で全長百三十センチ、刃渡りおよそ百センチといったところ。
マリアは細い柄を右手でそっと握りしめました。
吸いつくようによく手になじむ感触に、マリアは思わずほほ笑みました。
「こことは次元の異なる世界で作られた剣だ。名を【メメント・モリ】という。メメント・モリは古代語で『死を思え』という意味だ。先ほどの雷鳴は契約承認のしるしである。その剣で、わたしに生贄を捧げよ」
「質問してもよろしいですか?」
「申せ」
「なぜわたしなのです?」
「おまえが女だてらに夢を持っているのが気に入った。野心を持つ女はそこら中にいる。しかし夢を持つ女はほとんどいない。おまえの夢は美しい。あのシレーヌがかつて抱いたのとまったく同じ夢なのも気に入った」
「シレーヌさまがわたしと同じ夢を?」
「そうだ」
「わかりました」
マリアは右手で軽くメメント・モリを振るいました。
すると離れた場所に咲いていたバラが赤い花びらを鮮やかに散らし、さらにバラに隠れていた蛇の頭が、濡れた地面にポトリと落ちました。
「たった今習得した技です。斬首剣【花と蛇】と名づけます」
「見事だ。励め」
マリアが霊感に打たれた春から数か月後の夏、ゼップランド全土を大地震が襲いました。
その日マリアは崩壊した王都の路上で、一人雨に打たれていました。
手にした神剣メメント・モリからしたたる雫が赤いのは、刃が血に濡れているからです。
マリアは雨に打たれながら曇天を仰ぎ見ました。
「……生贄を捧げました」
「よろしい。おまえが捧げた初めての生贄、確かに受け取った。マリア・バタイユ」
「はい」
「おまえは人間が好きか?」
「好きです」
「たいへんよろしい。マリア、愛するものを破壊せよ。その試練がおまえをシレーヌのように強く美しくする。励め、わが子よ」
ここでようやく話は現在に戻ります。
「剣士の本当の強さは測りがたい」とよく好事家は語ります。
たとえば東方の伝説的な剣士ミヤモト・ムサシは六十数度の決闘に一度も負けませんでしたが、有名なササキ・コジロー以外に強豪と戦っておらず「ムサシは強敵との戦いをさけた」と、好事家の中には批判する者もいます。
またムサシは自己宣伝に長けたインテリだったという噂もあります。
「剣士の強さは決闘の数や名声に現れず、本当の強豪は無名の中にしか存在しない」と力説する有識者もいます。
宿場町【終末】にそんな無名の強豪がいて、町を仕切っていました。




