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第35話 湖畔の町で博打を

 旅が始まって四日目の朝です。

 ブルック一行が宿場町を出ると、街道筋は森が連なり、まばらながら人家もある大陸らしいおだやかな風景が目につくようになりました。


「やっと荒野を抜けたな」


 風に混じる木々の甘い匂いを嗅いで、ブルックはホッと安堵しました。





 旅館らしい建物のいただきで、骸骨を描いた町旗が揺れています。

 夕刻ブルック一行は湖畔の町【狂気】に到着しました。


「まるで海だ。対岸が見えない」


 イオリは手をかざして湖を眺めました。

 対岸の風景は完全に湖に隠れ、標高三千メートルの独立峰カイザー山の偉容だけが水に浮かんで見えます。


「気持ちいい……」


 まだ荒野の熱気が抜けていない女剣士の頬や首を、湖から吹く風が心地よく撫でます。


「ゼップランド最大の湖カイザー湖だ。建国神話で女神さまがここで活躍した話があるけど……あれ? どんな話だっけ?」


 ブルックに問われたイオリは「さあ?」と肩をすくめました。


「この湖、魔力を感じるニャ」


 ポニーテールを気持ちよさそうになびかせながら、クロがつぶやきます。


「魔力? 危険なものかい?」


「危険はないニャ。崩れやすい岩場や氾濫しやすい川にかけられる守護魔法と同質の魔法が湖全体にかけられてる。でもものすごく高度な魔法で、人々をなにから守ろうとしているのかわからないニャ」


「ふうむ、クロがわからないなんて相当高度な魔法だ。ま、危険がないならいいけど……」


 ブルックはブツブツつぶやきながら、湖畔にそびえ立つ櫓を見あげました。

 湖に向いた櫓は二十メートルほど高さがあります。

 櫓の監視員は椅子に座って足を投げ出し、イビキをかいて寝ていました。





 宿場町狂気は過激な町名と裏腹にとても明るく繁盛していました。

 石造りのモダンな家屋が並び、石畳を馬車が行き交うさまは王都郊外の観光都市のようです。


「豊かな町だ。あの湖が富をもたらすんだな」


「ぼくらをねらうならず者もいないようだね」


 しばらく歩くと通りの一角に机と椅子を持ち出し、博打を楽しむ人々がいました。

 今までの宿場町では見られなかった光景です。

 机をはさんで対峙しているのは肥った中年男と痩せた老人で、二人の間に白いワンピースを着た若者が立っています。

 机に伏せられた、竹で編んだ小ぶりな壺に手を置いた若者が、二人に声をかけました。


「では張ってください」


「丁!」


「半」


「あれはなにをしてるの?」


「あれは丁半博打だ」


 イオリがブルックに説明します。


「東方から伝わった博打だ。サイコロを壺に二個振って、合計の目を丁か半か当てるんだ。丁は丁度で偶数、半は半端で奇数の意味だ。とにかく勝負が早いのが特徴で……」


 そのとき若者が伏せていた壺をサッとあけました。

 机に転がる二個のサイコロの出目は……


「一六の半!」


「うわあ!」


「ロヂャー爺さんの負けだ!」


「たったの三十分で爺さんすべての財産すっちまったぞ!」


「財産だけじゃねえ、爺さんご自慢の若い嫁もラーズの旦那のもんだ!」


 老人はサイコロを呆然と見つめています。


「な? 早いだろう?」


「早いね。ぼくもやってみようかな」


「おまえバカか」


 ブルックがあまりにものんきでイオリは腹を立てました。


「今の見てなかったのか? 素人が手を出したら三十分どころか三分で財産なくすぞ」


「そうかもしれないね。でも奥さんまで奪われたお爺さんをこのまま見殺しにするのも気分が悪い……」


「わたしがやるニャ」


「クロが? いやそれは」


 ブルックが止めようとしたときにはもうクロは壺振り役の若者に声をかけていました。


「この人と勝負したいニャ」


「どうします? ラーズさん」


 首からシルバーリングのペンダントを吊るした若者は、面倒くさそうに肥った中年男に尋ねました。


「金はあるかい? あるならわしは文句ないよ」


 ラーズは手に入れたばかりの金貨を数えるのに夢中で顔をあげません。


「金はないけどいい子がいるニャ。あの女剣士を賭けるニャ」


「お、おいクロ!」


「ふん」


 チラッと顔をあげるとラーズはうなずきました。


「いい女だ。受けよう」


 イオリはゾッとしました。

 ほんの一瞬で自分の全身がくまなくチェックされたのを感じたのです。


(こいつ女を扱う奴隷商人だな、クソ、人の体をいやらしい目で見やがって!)


「わたしはあの子を賭けるから、そっちは今日手に入れたものをすべて賭けるニャ」


 全財産を失いうなだれていた老人が、クロの言葉を聞いて顔をあげます。


「いいだろう。しかしエルフのお嬢ちゃん、わかってるのかい? この机のまわりには強力な結界が張られていて魔法は使えないんだよ」


(なんだって?)


 ブルックはとっさにイオリと顔を見合わせました。


「ある魔法使いが借金を清算するため残していった置き土産さ。だからたとえあんたが凄腕の魔法使いでも、壺を振るジャドやわしを魔法で操ることはできない」


「結界が張られてるのは承知の上ニャ」


「そうかい? じゃあ女神さまに宣誓しよう」


 ラーズとクロは互いを見つめ合いながら、女神への誓いを唱えました。


「勝敗わけるはときの運

 強きは勝たず

 勝った者が強きなり

 この勝負にイカサマの入る余地なし

 女神よ

 正々堂々の勝負とくとご覧あれ」


 誓いを終えると、机上の空間が一瞬ぼおっと青っぽく輝きます。


「ふふ、誓いを立てたことで勝負が神聖なものになった。クロさん、これであんたは勝負が終わるまで席を立てなくなったよ」


「……ほんとニャ。腰があがらないニャ」


「それからイオリさん、あんたは凄腕の剣士だがもしクロさんが負けてあんたがおれのものになったら、あんたは一生おれに逆らえない。神聖な力があんたの自由意思を奪うのさ。つまりおれはあんたにやりたい放題なんでもできるってわけさ」


 ラーズの言葉にイオリは衝撃を受けました。


「ラーズ、おまえはじめからおれたちをねらっていたのか!?」


「おうよ。賭場を構えず路上で丁半やったのも、バカなジジイの身ぐるみ剥いだのも、全部あんたたちを引っかけるための罠さ。といってもわしは乱暴者じゃない。王子さまはきちんと兄上にお渡しするし、クロさんとイオリさんは殺さず一生わしの奴隷として飼う。二人ともたっ……ぷりかわいがってやるから覚悟しな。ガハハハ!」


「てめえ」


「イオリ!」


 クロが鋭い声でイオリを押さえます。


「もう神聖な勝負は始まってる。神聖な勝負を妨害したらイオリに女神さまの天罰がくだるニャ。わたしは絶対勝つから安心して見てるニャ」


「わかった。頼んだぜ、クロ」


「じゃあやろう」


 ラーズがうなずくとジャドは二個のサイコロを壺へ放り、お酒のようにシェイクして壺を伏せました。


「張ってください」


「丁」


 とラーズ。


「半」


 とクロ。


「どちらさんもよござんすね? では、参ります!」


 ジャドがサッと壺を開きます。


「ロクゾロ(六と六)の丁!」


「おお!」


「ラーズさんの勝ちだ!」


「そんな、お?」


「どうしたイオリ?」


 心配そうに顔をのぞき込むブルックの頬に、イオリの冷や汗がしたたり落ちます。


「体が、動かない」


「なんだって?」


「フフ、王子さま、先ほど申しあげた通り神聖な力が働いているのです。イオリ、おまえはたった今わしの奴隷になったんだよ」


 青ざめる美貌の女剣士を満足そうに見つめ、奴隷商人ラーズはナメクジみたいな舌で唇をベロリと舐めました


「さてクロさん、どうします? 勝負を続けますか? 続けるなら新たに賭けるものが必要ですが」


「わたし自身を賭けるニャ」


「ほう」


 ラーズの目が妖しく光ります。


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