第30話 荒野の妖怪ジン
真夜中の荒野は海の底のように静かです。
が今夜はそれほど静かではありません。
荒野の真ん中で、海藻のようにフラフラ踊っている連中がいるのです。
踊っているのは宿場町【享楽】を追放されたザンダーと、彼の手下である数十人のならず者どもです。
「みんな気をしっかり持てよ!」
ザンダーは手下を励ましました。
「朝になったら魔法は解ける!」
ザンダーにはそうなる確信がありました。
(ショーティは自分が死んでも魔法は解けないといっていたが、そうはならねえ。ショーティの魔法はカミからの授かりもの。いわばまがい物だ。魔法ってそんな甘いもんじゃねえ。長年修行を積んだ魔法使いならまだしも、ショーティのまがい物の魔法が永遠に続くなんてのはありえない。おれはそういう例をたくさん見てきた。夜が明けたら、きっと野郎の魔法は解ける)
ザンダーは舌なめずりしました。
(クソ、魔法が解けたら今度こそ王子を捕まえてやる! にしてもあの王子、聞きしに勝る美人だった。あれで男とは信じられねえ。チクショウ、おれの手であの子を女にしてやりてえ……ってだめだ。王子に手を出したらカミの天罰がくだる。
じゃああの女剣士だ! 手ごわい相手だがあの女も王子と一緒に捕まえてえな。捕まえて、おれのペットにしよう。ああいうシャキッとしたいい女をベッドで泣かせるのは最高だ。ダークエルフもかわいい顔してたし、なんとか三人とも生け捕りにして……)
そのとき妙な音が聞こえました。
カサカサと、なにか固いものが地面をひっかく耳障りな音です。
音は複数ありました。
(馬の蹄か?)
音が近づいてくる方向にザンダーは目を向けました。
そこに馬はいませんでした。
「……」
ザンダーはポカンと口をあけてそれを見あげました。
背の高さは優に三メートルを超えるでしょう。
首と、うしろ足と、嘴が長く、まっすぐな髪の毛が頭のてっぺんにまばらに生えた四頭の恐竜が、ならず者どもを見おろしています。
「ケケケッ」
カラスのような声で恐竜は鳴きました。
恐竜は競走馬のようにハミを噛んでいました。
ハミは手綱とつながっています。
四頭の恐竜はそれぞれ背中に乗り手がいました。
乗り手は人間ではありません。
恐竜の手綱を握るのは肌が赤く、二本のツノと鋭い牙を持ち、上半身裸のたくましい体に長剣を背負った悪魔です。
いえ、悪魔ではありません。
彼らに気づいたザンダーは、絶望の吐息とともにこういったのです。
「ブラフマン」
すると四人(?)の中でもっとも大柄なブラフマンが声をかけてきました。
「ここでなにをしている?」
その重厚な声を聞いて、享楽の町の顔役ザンダーは、自分の命運がここに尽きたことを悟ったのです。
旅が始まって三日目の早朝です。
享楽の町を出発したブルック一行は、さえぎるものがなにもない荒野を歩きました。
「やれやれ。朝から日差しがきついな」
ぼやくブルックは丈の長い黒革のコートを着ていました。
雨をよけるフードも頭からすっぽりかぶっています。
騎士用のレインコートですが、あまりにも陽射しが厳しいのでこれを着て肌を守っているのです。
コートの生地は竜の皮で、驚くべき軽さと防水性と通気性を誇る逸品です。
ブルックは口をつけない騎士式の飲み方で水筒の水を飲むと、イオリに声をかけました。
「どう? クロの調子は」
いつものように竜皮のツナギを着たイオリはクロと手をつないでいました。
昨日夜遅くまで宿場町の女たちと遊んでいたクロは、眠そうな顔で歩いています。
「大丈夫だ。問題ない」
「しかしエルフってふしぎだね。こんなに暑いのに汗一つかかないなんて……おや?」
ブルックは目を細めて彼方を見やりました。
荒野にふさわしくない、奇妙な音が聞こえたのです。
「チリーン」
聞こえてきたのは涼しげな鈴の音です。
見ると厚手の白いワンピースを着て、頭にターバンを巻いた老婆が荒野を歩いています。
老婆はときおり手にした鈴をさびしげに鳴らしました。
「チリーン」
「姥捨てだな」
イオリがつぶやきます。
荒野にはいくつか集落があります。
異教徒や都会を逃れた人々がそこで暮らしているという噂ですが、厳しい環境で暮らすのが難しくなった老婆は、口減らしに集落から追い出されるのです。
「チリーン、チリーン」
「あの鈴の音で悪魔を祓おうとしてるんだ。荒野には妖怪って名前の、東方の砂漠地帯からやってきた悪魔がいるらしいからな」
「イオリ、きみはジンを見たことあるの?」
「ある。ジンは姿がないんだ」
「姿がない?」
「ああ。ジンは常に人間に化けてあらわれる。だからジン本来の姿を見たものはだれもいない。おれ勝利広場でならず者どもに『人間とバケモノのちがいはなんだと思う?』って尋ねただろう? あれはジンのことをいったんだ」
「人間は夢や希望を抱く。バケモノは抱かないってやつだね」
「そう。それが人間とジンのたった一つのちがいだ。外見だけでは絶対見分けがつかない。それがジンのおそろしいとこでさ、うっかりするとジンが紛れ込んだ町や村の人間同士で殺し合いや魔女狩りが始まっちまう。おれも『ジンじゃないか?』とある町の住民に疑われてえらい目にあった」
「おお、それはおそろしい」
「『人間は夢や希望を抱く。バケモノは抱かない』言葉にしたらありきたりだけど、これおれが命懸けの体験から得た血の教訓なんだ」
そのときまた「チリーン」と鈴が鳴りました。
「ジンに鈴の音は効くの?」
「全然効かない。あれは荒野の迷信さ」
「迷信か」
ブルックはフードを持ちあげ、老婆を見ました。
「老人や子どもを虐待する共同体に未来はない。今はお婆さんの無事を祈ろう。女神とともにあれ」
もうすぐ宿場町を出て最初の井戸に着きます。
「やれやれやっと一休みできる……なんだろう?」
ブルックは手をかざしました。
彼方に見えてきた井戸の近くに人だかりができているのです。すると、
「人が死んでる!」
人だかりの中から、そんな声が聞こえてきました。




