第25話 ブルックの誓い
時間が正午になり、石畳に落ちるブルック一行の影はすっかり小さくなりました。
ブルックたちは王都の西のはずれにある【開始】の町に着きました。
町の中央広場に近づくと、まだ距離があるのに異様な歓声が聞こえます。
「また犯罪者どもか?」
左目が青くなったイオリはとっさに腰の刀に手を置きました。
「いや、様子がへんだ」
ブルックはイオリを抑え、かなたの広場を見つめました。
「あれは?」
広場につくと鼓膜が破れそうな大歓声が三人を包みました。
十万を超える市民が広場に集まり、さらに広場に面した建物の窓から、旅立つ三人に盛大に花びらと歓声が投げかけられるのです。
「王子さま!」
「行ってらっしゃい!」
「どうかご無事で!」
「剣士さん! 魔法使いさん! 王子さまをお守りして!」
「ブルックさま!」
「なんとお美しい!」
「お人形みたい!」
「いえ天使よ!」
「イオリさま~!」
「かっこいい!」
「わたしを抱いて~!」
「クロちゃ~ん!」
「かわいい!」
「うちに遊びにおいで~!」
群衆の間にできた道を歩き、ブルックとクロは人々に笑顔で手を振りました。
イオリはなんだか困った顔で、キョロキョロまわりを見ています。
そのときある窓辺から、広場に向かってヌッと細長いものが差し出されました。
差し出されたのは一丁の猟銃です。
「……」
スナイパーはイオリの頭に狙いを定め、引き金に指をかけました。
が次の瞬間、なぜか銃口がさがりました。
スナイパーは靴を脱いで銃口をくわえると、足の指で引き金を引きました
鈍い銃声は大歓声に飲み込まれ、だれにも気づかれません。
いえ、気づいた者が一人だけいます。
「ホラー」
スナイパーの姿が消えた窓を見て、クロがつぶやきます。
クロは自分自身とブルックとイオリに反射魔法【蜘蛛の糸】をかけていたのです。
「がんばれよ~!」
「悪いやつらをやっつけろ!」
「王子さま、サンドイッチ作ったから持ってって!」
「王子さま、十年前地震で死んだ娘の無念を晴らしてくださいまし! どうか、どうか!」
中年の母親が涙を流しながら娘の肖像画をかかげます。
絵の中で娘は笑っています。
それを見たブルックはピタッと足を止めました。
イオリはブルックに声をかけました。
「どうした?」
「ちょっとみんなに話をする。クロ。ぼくの声がみんなに届く魔法をかけて」
「ホラー」
クロが呪文を唱えても、とくに変化はありません。
しかしクロの魔法に全幅の信頼を置いているブルックは広場の真ん中に足を運ぶと、落ち着いた表情でまわりにいる人々に語りかけました。
「ぼくらはこれから西の果てにある火の山へ行く」
王子のやさしい声が、その場にいる全員の耳にはっきり聞こえます。
「拡声魔法【斜陽】ニャ」
「みんな第三王子のブルックがカミの生贄になると思っているだろう? しかしそうではない」
(まさかここでカミ殺しの計画をばらすのか?)
イオリはギョッとしましたが、ブルックが口にしたのはカミ殺しではありません。
「ぼくはゼップランドに地上の楽園アガルタを建設する。そのために火の山へ行く」
アガルタ、と聞いて興奮していた人々は一気に静まり返りました。
地上の楽園アガルタの神話はだれもが知っています。
悲しくなるほどみんなが憧れる神話です。
「アガルタを建設する計画はぼくの胸にある。その内容についてはまだ明かせないがこれは夢物語ではない。ゼップランドは大陸で唯一言論の自由が保障された国だ。言論の自由を支えるのは強力な軍隊と、充実した教育と、安定した労働環境だ。ゼップランドはそのいずれも備えている。さらに豊かな地下水が作物を育て、紙の原料となる麻も豊富で識字率も高い。これは大陸の奇跡だ。女神と先人に感謝しなければならない。わがゼップランドはアガルタとなる資格を持つ稀有な国だ。たとえ国柄は小さくとも、その自覚と誇りをみなに持ってもらいたい」
ブルックの胸もとで、青いスカーフが風にひらりと揺れます。
「今ぼくがもっとも欲しいのはあなたたち善良な市民の信頼だ。ぼく、ブルック・フリーダム・ローズはあなたたち国民とこの場で直接契約をかわしたい。あなたたちが差し出すのは信頼で、それに答えてぼくはアガルタを差し出す。
そのために必要なのはたった一つの障害を取り除くことだ」
「たった一つの障害」とは、いうまでもなくカミです。
ブルックはカミの話はしませんが、その代わり王になる者として破格の、おそろしい条件を口にしました。
「この契約が不履行に終わったら、つまりアガルタを作れなかったら、責任を取ってぼくはあなたたちの手で断頭台で処刑されよう」
「おお……」
ブルックが提示した契約内容の峻烈さに、人々がどよめきます。
「おい」
「このことをぼくは」
「おいよせ!」
イオリの制止を振り切り、ブルックはきっぱり宣言しました。
「このことをぼくは女神に誓う」
するとブルックの胸もとで風に揺れていたスカーフの色が、一瞬で青から赤に変わりました。
「おおっ!」
「バカ野郎なんで女神の名前を出したんだ!」
イオリが血相変えてブルックをなじります。
「赤は女神がもっとも好んだ色だ。スカーフの色が赤くなったのは女神の承諾の意思のあらわれだ。女神が証人になってヤバい契約が成立したぞ! もしアガルタを作れなかったらおまえの首飛ぶぞ!」
「かまわないよ」
イオリに襟首をつかまれたブルックは、しかし顔色一つ変えません。
イオリの耳もとに唇を寄せるとブルックはささやきました。
「ぼくだってギロチン台で死ぬのはごめんだ。
だから必ずカミを殺す」
「……」
イオリが手を離すとブルックは人々に笑顔で問いかけました。
「みんな、この契約でどうだろう?」
「……アガルタ!」
一瞬の間を置いて、人々は爆発しました。
「アガルタ!」
「アガルタ!」
「アガルタだ!」
「地上の楽園を作るんだ!」
「王子さまを一人にさせねえ!」
「そうだ! みんなでアガルタを作るんだ!」
「ブルックさま万歳!」
「ばんざーい!」
「ぼくは一か月後、必ず王都に帰ってくる。帰ってきたら……」
「……」
熱狂する人々に語りかけるブルックを、イオリは間近から見つめていました。
今はオッドアイになっているその目に、うっすらと涙の膜が張っています。
(さっきおれは犯罪者どもに『夢を持ってないやつは本当の人間じゃない』といった。でもそういうおれ自身は夢なんて持ってない。ていうか自分の夢を忘れちまった。今のおれにあるのは怒りと憎しみとカミへの復讐心だけだ。なのに、なぜだ? こいつの言葉を聞いてたら)
青くなった目から涙がこぼれそうになり、イオリは慌てて拳で目もとをぬぐいました。
(ブルックの言葉を聞いていたら、おれの心に、なかったはずの希望がわいてくる)
「……」
こっそり涙をぬぐうイオリを、眼鏡をかけた猫背の中年男性が間近から見つめています。
(この前闘技場できみに会ったときわたしの名前は……ディーン、だったな)
ロージャ共和国伝説の殺し屋コンスタンチンは、指先でそっと眼鏡を持ちあげました。
(イオリ、きみはきっと『わが殿下』に害をなす。わたしの勘がそう告げている。だからここで死んでもらうつもりだったが、きみの美しい涙に免じてそれはやめておく。イオリ、街道のどこかでまた会おう)
「みんな期待して待っていて」
ブルックは最後に人々に告げました。
「では、女神とともにあれ!」
「女神とともにあれ!」
興奮のあまり号泣しながらなにやら叫ぶ人々に手を振り、三人は広場を去りました。
広場から立ち去る間際、クロは群衆の中にわたしがいるのに気づきました。
クロの顔にたちまち笑みが浮かびます。
「行ってきますニャ!」
「行ってらっしゃい。かわいいかわいい、わたしのクロ」
わたしはクロの頭を撫でました。
クロは喜び、ネコのようにグルルと喉を鳴らしました。
こうして三人は遂に王都を離れ、「カミの領域」である街道に足を進めました。
地上の楽園アガルタを作る、カミ殺しの旅の始まりです。




