第21話 クロの秘密とブルックの夢
旅程の確認が終わると、次は荷物のチェックです。
カイは三人がそれぞれ旅に持参するものを机に置きました。
「テント、毛布、タオル、スプーン、フォーク、マッチ、ナイフ、缶詰、薬、歯ブラシ、歯磨き粉、塩、裁縫セットに懐中時計、地図、ルーク手作りの旅行ガイド、磁石、女神さまの聖典、とまあこんなところだ」
「これ、重くないか?」
三人がそれぞれ背負うのはこじんまりとした背嚢です。
色はイオリが黒でブルックは赤、クロは緑。
机の荷物を見てイオリは首をかしげました。
「第一これだけの荷物、背嚢に入らないだろう?」
「大丈夫。クロ」
「ホラー!」
クロのてのひらから青い光が放たれると、おお、すべての荷物が小指の爪サイズになりました!
「縮小魔法【失はれる物語】ニャ」
「どうだすごいだろう?」
クロよりカイが得意そうです。
「魔法にかけられたものは重さも空気みたいに軽くなる。背嚢から出すと元の大きさになる。ほれ」
葉っぱみたいに小さくなった毛布を背嚢へ入れ、取り出すとドン! と毛布は大きくなりました。
その大きくなった毛布を取りあげ、背嚢の口に少し触れると毛布はまた小さくなり、自らシュッと背嚢に吸い込まれました。
「解除しない限りクロの縮小魔法は続く」
「すごい」
「ただし水の質量だけは変えられない。だから水筒の大きさと重さは我慢してくれ。宿場と宿場の間に八キロごと井戸がある。知っての通りゼップランドは地下水の宝庫だ。女神さまのお恵みに感謝しよう。今は真夏だ。水場ごとに必ず水を飲み、水筒に新鮮な水を補給してくれ。水を飲むとき塩も一緒に舐めるように! それから大事なことをいっとく」
カイは水筒を取りあげると大きく口を開き、唇に触れることなく、自分の口に水を注ぎました。
「プハー。おれたち騎士は水筒の水は必ずこうして飲む。決して口はつけない。口をつけたら唾液がついて水筒に雑菌が繁殖するからだ。雑菌は水洗いでは落ちない。洗剤で落ちるが旅の途中でいちいち洗剤を使う暇はない。暑さで雑菌はあっという間に増殖する。雑菌だらけの水筒から水を飲んだら確実に下痢になる。だから絶対水筒に口をつけてはだめだ。
それからガブガブ一気に大量の水を飲むのもだめだ。せっかくの水分が吸収されず、汗か尿になって排出されてしまう。ひどい場合はお腹を壊して下痢になる。水は常に少量を噛むようにゆっくり飲むんだ。
真夏の冒険は水の飲み方に成否がかかっている。忘れるな」
「わかったよ」
「わかった」
「アイアイサー!」
「しかしこの飲み方、イオリ殿は実践してるだろうが殿下は難しいかも……」
と、そこでブルックはカイから水筒を取りあげると、まったく唇をつけることなく、自分の口に水を注いでみせました。
「プハー。こういうこともあろうかと、前もって練習しておいたんだ」
「さすがです!」
「オエー」
今度は奇声が聞こえました。
見るとクロの喉もとがこぼれた水でビショビショです。
「クロは練習が必要だな」
カイが笑い、みんなも笑いました。
話が終わって机の荷物がすべて片づけられ、最後に残ったものをブルックは手にしました。
ブルックが手にしたのは黒革の鞘に収まった、一振りのダガー(短剣)です。
「これはぼくの私物だよ。今度の旅に持って行く。見るかい?」
ブルックは興味深そうな視線を向けるイオリにダガーを渡しました。
「きみはむかし鍛冶屋だったんだろう? 鑑定してくれ」
「うむ」
イオリはすらりと鞘を払いました。
(鞘にも柄にもまったく装飾がない。王家の人間が持つには武骨な剣だ)
「握りやすい細身の柄だ。両刃で切れ味刺し味ともに抜群。それに」
刃の放つ光でイオリの瞳が青くなります。
「美しい」
イオリはうっとりとダガーに見入りました。
(刃が濡れ濡れとした艶をたたえている。この美しさは見覚えがある。不知火丸と同じ神秘的な美しさだ)
「なにか変わった点でもあるかい?」
「……いや、掛け値なしに名剣だ」
「本当!」
喜ぶブルックにイオリはダガーを返しました。
「大事にしろよ。ところで剣は使えるのか?」
「習ったけど全然ものにならなかった。このダガーはあくまで護身用さ」
「そうか。ダガーの名前は?」
「フリーダム。亡くなった母の旧姓だよ。母の形見なんだ」
確認作業を終えたブルックは、その後なにごとかジェットとひそひそ話し込みました。
二人とも真剣な表情です。
「メルヴィン兄さんが……」
「は。キャロル殿下も怪しい動きをされています」
「キャロルまで。うーん」
ブルックは腕組みしてなにやら考え込みました。
それに比べるとクロはいたってのんきです。
「グー、グー」
「もう少し寝かせてやろう」
クロは並べた椅子に横になり、イオリの膝を枕に眠りました。
身動きできないイオリにカイが耳打ちします。
「日の当たらない牢獄に百年いたんだ。あと百年ぐらい遊んでいてもいいはずだ」
「クロは杖を持たないのか?」
「持たない。それでも魔法を使えるし、呪文も『ホラー』の一言で済む。クロは破格の魔法使いだ。でも繊細なところもある。数年前の話だが牢獄にいたころ、あまりにも人としゃべらな過ぎて、クロは言葉が出てこなくなったことがある」
「へえ?」
「いや言葉は出るんだ。でもそれはクロ自身にしか理解できない異様なクロ語で、おれたちとコミュニケーションがまったく取れなくなった。それでお互い困っていたらそのころまだ幼かったブルック殿下が、クロにこんなアドバイスをした。
『ネコはネコ同士でニャーと鳴かない。ネコは人に向かってニャーと鳴く。ニャーのアクセントやニュアンスで、ネコは人に自分の気持ちをわからせようとするんだ。クロはネコが好きだろう? クロもネコになってごらん。ネコになれたらニャーの代わりに、きっと言葉が出てくる』
すると長いこと失語症だったクロの口から、こんな言葉が漏れた。
『ぶ、ブルック、大好きニャ』
言葉と一緒に、クロの涙も出た。
クロの言葉の語尾にいつも『ニャ』がつくのは、失語症を克服するとき『自分はネコだ』とあいつが強烈な自己暗示をかけたからさ」
「そんなことがあったのか」
「グー、グー」
のんきにいびきをかくクロの頭を、イオリはそっと撫でました。
するとクロは眠ったまま、自分の頭を撫でるイオリの指をくわえ、赤ん坊のようにチュウチュウ吸いました。
イオリは笑って指を吸わせました。
(クロはいいやつだ。おれのカミ殺しは復讐だが、きっとクロはなにかの夢のためにカミを殺そうとしている。復讐が人生の目的になると、心が擦り減って明るさややさしさが最初に消える。おれみたいに。
おれが知ってる復讐者はみんな酒かギャンブルかセックスに狂ってた。むかしはその心理が理解できなかったが、今はわかる。
あれは復讐という名の研磨機にかけられ、擦り減ってしまいそうな心を守るため、あえて心を狂わせていたんだ。
じゃあ、おれはなんで酒やギャンブルやセックスにはまらなかったんだ?)
するとイオリの脳裏に、目を開いたまま地面に横たわって死んでいるアランやエリの姿が甦りました。
(もしかしたら、あのときおれの心は、擦り減るどころか完全に死んだんじゃないか? ……そういやブルックもカミを殺すのは幼なじみの復讐のためといった。でもそれだけじゃない。だってあいつの心、全然擦り減っていないもの。あいつには復讐心以外に絶対あるんだ。夢が)
イオリはジェットと熱心に話すブルックを見ました。
今日のブルックは青いドレスを着ています。
(美しい。この美しい男が思い描く夢って、いったいなんだ?)




