表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/58

第2話 赤ん坊の名はイオリ

 ドワーフの鍛冶屋ヤリはゼップランドの王都ローズシティの自宅で、いつものように仕事していました。

 さっきから金床に置いた剣を、ハンマーでトテカントテカン叩いています。

 まだ朝早い時間ですが「うるさい」と文句をいう隣人はいません。

 ここらへんは下町の工業地帯で、ご近所も暗いうちからにぎやかに作業中です。


「おかえり」


 ヤリは手を休めず、背後に声をかけました。

 朝のミルクを買いに行った女房が帰ってきたのです。

 

「どうした?」


 ヤリはまた背後に声をかけました。

 女房が作業場の入口から動かないのです。


「お?」


 日ごろクールなヤリですが、振り返って驚きました。

 女房が家を出るとき持っていなかった籠を抱えているのです。


「ナーリ、それはなんだ?」


「人間の赤ん坊。道に捨てられてた」


 女房が籠を差し出します。

 ヤリが籠を覗くと、毛布にくるまれた黒髪の赤ん坊がすやすや眠っています。


「東方の異民族の末裔らしいな。どっちだ?」


 ナーリは赤ん坊の下腹部を確認し、その性を告げました。


「名前はイオリ。紙にそう書いてあった」


「元のところへ戻してこい」


 ヤリは作業に戻りましたが、女房は籠を持ったままその場を動きません。


「……おれは世話焼かんからな」


「ありがとう」


 ナーリは赤ん坊を籠から出し、太い腕で抱きました。


「イオリ」


 眠ったままの赤ん坊の頬に、ナーリは自分の頬をこすりつけました。


「今日からわたしがお母さんだよ」





 カミが顕現して九百九十年後。

 七歳になったイオリはローズシティのやはり下町にある鍛冶屋で暮らしていました。

 今から四年前、下町で発生した大規模火災で養父のヤリと養母のナーリが亡くなり、天涯孤独になったイオリをヤリの知り合いだったグレン・グッドマンが引き取ったのです。

 グレンはドワーフではなく人間で、独身の中年男でした。

 元レスラーで、ドワーフに負けないすばらしい筋肉の持ち主です。

 人当たりのいい陽気な男ですがそれは外面だけで、家では陰気な暴君です。

 グレンは三歳のイオリにあらゆる仕事をやらせました。

 鍛冶の助手はもちろん、炊事や洗濯や掃除など家の雑務をすべてやらせたのです。

 グレンは家事が苦手で、家政婦を雇ってもすぐ逃げられるのが常でした。


「養ってやってるんだから感謝しろ」


 それがグレンの口癖です。

 こういわれると、幼いイオリは黙るほかありません。

 イオリが仕事に失敗すると、グレンは仕事で使う大きなヤスリでイオリの剥き出しの腕をひっぱたきました。

 表面がギザギザのヤスリに肌を削られ、イオリの腕はいつも傷だらけでした。





 イオリが五歳になったある夜のことです。

 作業場となりの物置小屋がイオリの部屋でした。

 そこにマットを敷いて寝るのですが、ある夜突然グレンが小屋にやってきました。


「じっとしてろ」


 グレンはイオリの口を押さえつけました。


「大人の世話になってる子どもはみんなこうするんだ」


 グレンは五歳のイオリを犯しました。


「おれは昔から黒髪に黒い瞳の子が好きだった。だからお前を手に入れた。肌が黄色いのは気に入らねえが、ただなんだから文句はいえねえな。へへ、へへへ」


 グレンの吐く酒臭い息を首筋に受けながらイオリは、自分はなぜ生まれてきたんだろう? と真剣に考えました。

 考えても答えは出ませんでした。





 それからグレンはしばしば物置小屋を訪れるようになったのです。





「今日からおまえがハンマーを打て」


 ある日グレンは五歳のイオリに丸頭のハンマーを渡しました。


「うわっと」


 ハンマーを両手で持ったイオリは思わずよろけました。

 重いのです。





 ふいごで興した火で石炭を燃やし、そこで鉄を熱し、熱くなった鉄を金床に置いて成形する。

 その最後の工程で鉄を叩くのにハンマーを使うのです。

 なぜそんな重要な作業をイオリにやらせるのかというと、グレンが腰を痛めたからです。

 腰痛は鍛冶屋の深刻な職業病でグレンも長年悩まされてきましたが、ここにきてとうとうハンマーを持つことができなくなりました。

 そこで幼いイオリに打たせることにしたのです。

 自分が腰痛持ちなのは秘密です。

 幼い子ども相手でも弱みは見せられない。

 そういう時代です。





 はじめは包丁やハサミのような小さい道具を鍛えさせ、それができるようになるとグレンはすぐ剣を鍛えさせました。

 金床に置いた鉄をグレンがやっとこで押さえ、イオリがハンマーを振りおろします。

 鉄を成形するにはパワーとデリケートな感覚両方必要です。

 その微妙な力加減がなかなかつかめず、イオリは何度もハンマーで自分の足を殴ったり、飛び散る火花で腕を火傷したりしました。

 イオリは常に素手、さらに半袖で作業させられました。


「痛みは最高の教師だ」


 それがグレンの持論でした。

 ハンマーの振りおろし方が気に入らないと、グレンは大型のヤスリでイオリの剥き出しの腕を殴りました。

 だからイオリの腕はいつも傷だらけです。





 イオリはくる日もくる日もハンマーを振りました。

 グレンは腕のいい職人で、軍隊や治安警護部隊から武器鋳造の依頼がひっきりなしにありました。

 イオリは一日最低十時間、ひどいときは十四時間一秒の休みもなくハンマーを振りました。

 仕事が終わるとイオリの全身は灰や煤で真っ黒に汚れ、水分が抜けきった顔は朝より一回り小さくなっていました。





 煤と鉄と火の匂いに全身を包まれ、終日ハンマーを振っていると疲労と熱気に心が焼き尽くされ、頭は空っぽになります。

 いつしかハンマーが鉄を叩く音も聞こえなくなり、耳もとを流れる、沸騰した血のジンジンいう音しか聞こえなくなります。


「おれはなんのために生まれてきたんだ?」


 頭が空っぽになると、決まって一つの疑問が胸に浮かびます。

 以前グレンに犯されたとき浮かんだ疑問です。

 ハンマーを振りながらイオリは自分に問いかけました。


「おれはなんのために生まれてきた?」


「おれはなんのために生まれてきた?」


「おれはなんのために生まれてきた?」


 いつも自問に対する自答はないのですが、この日はちがいました。


「あなたは答えを知っています」


 頭の中に突然、大人の女性の声が聞こえました。


「疑問はすでに答えを得ている人だけが持つ特権です。だからわたしはあなたに尋ねましょう。イオリ、あなたはなんのために生まれてきたのですか?」


「……おれから自由を奪い」


 イオリはハンマーを振りおろしました。


「おれの尊厳を踏みにじり」


 またハンマーを振りおろします。


「おれの夢を奪うやつと」


 鉄から飛び散る火花に腕の肉を焼かれながら、イオリは心の中で叫びました。


「戦うためだ!」


(な、なんだこいつ)


 グレンは震えあがりました。

 イオリの全身から立ち昇る炎を幻視したのです。

 このときイオリの心に一本、筋金が入りました。


あしたから毎朝5時に一話ずつ投稿します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ