第18話 王子ブルック
「クロ、結界を頼む」
「ホラー!」
クロが虚空に手をかざすと、イオリとクロとブルックがいる部屋のすみずみに、薄い膜のように光が張り巡らされました。
ブルック王子が満足そうにうなずきます。
「これでこの部屋に蟻一匹入れないし外から会話も聞かれない。イオリ殿、今回の旅の本当の目的をあなたに話します。今からぼくが話すことを王陛下はご存知ないし、ジェットもカイも知りません。そるばわきまえてほしか……ってごめん、また訛りが出たね」
ブルックは苦笑いしました。
「死んだ母はウィットランドの出身でね、ぼくと二人きりでいるとき母はよく祖国の訛りでしゃべった。それが移ったんだ。ウィットランドはバベル大帝国に滅ぼされた小国だ。『祖国の面影はわたしが話す訛りの中にしか残ってないの』と母がよくいっていた。この訛りは母との大切な思い出さ。だから矯正する気になれないんだ」
「なるほど」
でもそれだけではない、とイオリは腹の中で考えます。
(大陸の言語はバベル語で統一されている。シップランドの国民も、タイタンの国民も、ロージャの国民もバベル語で話す。わがゼップランドもそうだ。貴族も平民も必死にバベル大帝国の標準語のアクセントをまねする。それは帝国に対する恭順のあらわれだ。みんな帝国にはかなわないと心から思ってる。でもブルック王子はちがう。王子に帝国に尻尾を振る気はまったくない。帝国に滅ぼされた小国の訛りを忘れないのは王子流のレジスタンスだ。きれいなだけのお姫さまと思っていたが、どうやら一筋縄ではいかない人格のようだな)
「失礼」
ブルックは悠然とソファに腰かけ、イオリと向き合いました。
「今回の旅でぼくはカミに生贄として捧げられる。そういわれている。最終目的地である火の山に設けられた祭壇で、第三王子ブルックは介錯人に首を斬られて死ぬ。生贄が死ぬことでカミの怒りは解け、天罰が下されることはなくなり、大陸の平和がまた十年ほど保たれる。みんなそう思っている。しかしそうはならない。なぜなら死ぬのはぼくではないからだ」
「と、いいますと?」
「ぼくがカミを殺す。
それが旅の本当の目的だ」
「……」
ブルックの告白を聞いて、イオリはとっさに頭が真っ白になりました。
「今いったことはぼくとイオリ殿とクロの三人だけの秘密だ。他言は無用だよ」
「なぜカミを殺すのです?」
「復讐」
ブルックの短い言葉が、イオリの胸に突き刺さります。
「ぼくは小さいころお忍びでよく王都の下町を散策した。それは母の方針でね。『庶民の暮らしを知るのが大切だ』って。ジェットやカイにつき添われて月に一度散策した。今と同じように女の子の格好で。あるときカイが目を離したすきに、下町を縄張りにするちびっ子ギャングに絡まれたことがある。ちびっ子とはいえ下町のギャングは麻薬や刃物を扱うから侮れない。困っているぼくを三人の子どもが助けてくれた。それがジェフ、ハロルド、レイラだ」
ブルックは懐かしそうに目を細めました。
「三人はぼくの正体を知らなかった。ぼくは『召使いを連れて下町へ遊びにくる商家のボンボン』として彼らとつき合った。つまり友だちになったんだ。女の子の格好をしているのは『家代々の習わし』と説明したら三人とも納得してくれた。下町の人間は法や道徳より家訓を重んじるからね。
ジェフはぼくを地下ボクシングの賭け試合に連れて行ってくれた。会場に立ち込めた煙草とワセリンの匂いを今でもはっきり覚えてる。正直こわかったけど、今では楽しい思い出だ
ハロルドは釣りを教えてくれた。ローズ川で釣りをやったんだ、いいとこ見せようとハロルドははりきっていたけど、その日いちばん釣れたのはぼくと同じように生まれて初めて釣りをやった女の子のレイラだった。ちなみにハロルドは女の子の格好をしたぼくに惚れていた。かわいい子だったよ、ハロルドは」
ブルックの美貌に笑みが浮かびます。
「レイラの家はレストランをやっていてね。ジェフの誕生日に四人で竜肉のステーキを食べた。あれは旨かったなあ! あの濃厚な味は忘れられないよ。そうやって一年ほど楽しく遊んでいたら、あの大地震が起きた。
地震の翌日ぼくは城を飛び出し下町に向かった。ぼくはまだ五歳だったけど、おつきの者を連れて行ったらその者に責任が及ぶと思ったから一人で現場に向かった。やっぱり女の子の格好で。
いろいろ危ない目にあって命からがらたどり着いたら、下町が消滅していた。
レイラのレストランは火災で跡形もなく焼け、ジェフとハロルドの家もつぶれていた。三人の遺体は見つからなかった。今も見つかっていない」
口を閉ざし、目もとをぬぐうブルックを見て、イオリは胸が熱くなりました。
「王子さま、自分もあの日王都の下町にいました。自分は奇跡的に生き延びましたが、カミを崇拝する狂信者によって五人の幼なじみを殺されました」
「おお、きみもそのようなむごい目に」
ブルックとイオリはしばし見つめ合いました。
悲惨な天災を生き延びた人間が互いに抱く同志的な親愛感が、このとき二人の間に芽生えました。
この親愛感はとても強固なもので、身分のちがいを軽く越えます。
(今王子と剣士の心に入れ墨が刻まれた)
二人の表情を見てクロはそう確信しました。
エルフ社会ではこういう階級を越えた特異な友情を「心に入れ墨を刻む」といいます。
一度刻印したら消えない友情だからそう呼ぶのです。
「……今いったようにぼくがカミ殺しを目指す第一の理由は幼なじみの復讐だ。さらにあの日王都で死んだ十数万の人々、それに千年前のカタストロフィ以来、カミの名のもとなんの罪もなく殺された数億、いや数十億の人間すべての復讐でもある。相手がどれほど巨大な存在でも、恨みはきちんと晴らすべきだ。晴らさなければ心が腐る。女神さまも『右の頬を打たれたら相手の顎に右ストレートを一発お見舞いしなさい』といってるしね。ぼくは女神を崇拝してるからカミの顎に一発お見舞いすると決めた。イオリ殿、こんな乱暴なことをいうぼくをきみは軽蔑するかい?」
「いいえ。しかしどうやってカミを倒すおつもりです?」
「【力】を使う」




