第120話 秘剣と夢
「イオリ!」
ルークは髪の毛を一本引き抜き投げました。
投げられた髪の毛はバスタードソードに変化し、盲目のイオリはそれをキャッチしました。
利き腕の右手は斬り落とされ、もうありません。
イオリが必死に振るう左手一本の剣を、マリアは軽く片手で受けました。
「あら?」
マリアは剣を両手で持ち直すと今日初めて後退しました。
「いいぞ、いけいけ!」
ルークが声援を送った瞬間、マリアが応戦の剣を振るいます。
水平斬りを片手で受け、衝撃でイオリはまたしてもうしろへ吹っ飛びました。
「イオリ!」
「視力と利き腕と得物を失ってなお勝負をあきらめない。イオリさん、わたしはあなたを尊敬します。あなたは一秒後の世界が見えるのですね? 今のあなたに一秒後の世界はどう見えます?」
「……」
あお向けになったまま、イオリは亡父に授けられた予知能力で見ました。
マリアに斬られた自分が、血しぶきあげて倒れる姿を。
(どんな角度、どんな軌道、どんなタイミングで斬りかかってもだめだ。カミが憑依した今のマリアは無敵だ。オスカーやドストエフスキー先生でも絶対勝てない)
イオリはだんだん頭がぼんやりしてきました。
麻痺しているのか傷の痛みは感じませんが、血が流れ過ぎたようです。
(このままでは二人より先におれが死ぬ)
地面に倒れたブルックとクロのうめき声が聞こえます。
そのときイオリの脳裏に閃きました。
(今のマリアにオスカーやドストエフスキー先生は勝てない。
でも、アランならどうだ?)
アランは七歳で死んだイオリの幼なじみです。
正真正銘の剣豪を差し置いて、まともに剣を振るえない子どもをマリアの敵に想定するとは愚かしいにもほどがあります。
しかし闇に閉ざされたイオリの視界に、ポツンと光が灯ったのも事実です。
幼いイオリにとって同い年のアランは灯火のような存在でした。
それは今も変わりません。
「失血死なんてつまらない。イオリさん立ってください」
うながされたイオリが立ちあがるとマリアは大胆に接近しました。
互いの得物が互いに届く距離にあっという間に近づき、マリアはそこでピタリと足を止めました。
「勝負しましょう。イオリさん、わたしの夢のために死んでください」
「すべての国家を滅ぼす夢か?」
「ええ。あらゆる国家が消えた清浄な世界で、わたしはわたしの家族と暮らします」
「すてきな夢だ。でも残念ながら、夢のままで終わる夢だ」
「……」
マリアは無言で剣を振りおろしました。
今日最速の一閃は、しかし空振りに終わりました。
イオリが消えたのです!
マリアはとっさに足もとを見ました。
紙でできた人型の人形が落ちています。
(幻術)
マリアはすばやく振り向きました。
「アンナに教えてもらったドッペルゲンガー魔法【Kの昇天】だ」
マリアのうしろにあらわれたイオリが、左手に持った剣を捨てます。
「ルーク!」
「【移動祝祭日】!」
ルークが移動魔法で不知火丸をイオリの手に飛ばします。
イオリは左手ではっしと刀をつかみました。
マリアが猛然と踏み込みます。
イオリも負けじと垂直に刀を振りおろしました。
(行くぜアラン!)
「距離を誤りましたね!」
思わずマリアは笑いました。
イオリの刀が、マリアのはるか手前に振りおろされたのです。
空を斬り前のめりになったイオリの後頭部目がけ、マリアは全身全霊の剣を振りおろしました。
「懲罰剣【悪徳の栄え】!」
イオリも技名を叫びます。
「古代剣【燕返し】!」
次の瞬間二本の稲妻が交差しました。
マリアの稲妻は上から下へ。
イオリの稲妻は下から上へ。
稲妻に刺激されたのか、火の山の火口で地鳴りが発生しました。
地鳴りがやむまで、マリアもイオリも残心の姿勢を崩しません。
「……なぜ?」
とつぶやくマリアの胸から、ホトホト血がしたたり落ちます。
イオリが振りおろした刀を地上すれすれで反転させ、下から斬りあげたのです。
「燕返し」
とつぶやくイオリの額から、ツー……と一筋血が流れました。
「むかし幼なじみがチャンバラごっこで使った技をまねしてみた」
「そんな、子どもが遊びで使う技にやられるなんて……」
マリアの胸から致命となる血がドッと噴き出したとき、盲目のイオリは見ました。
過去の自分と、マリアの姿を。
雨あがりの王都で、子どもを殺す十数名の狂信者を斬殺した七歳のイオリは、裸足で下町から去ろうとしました。すると
「お待ちなさい」
イオリを呼び止めたのは、長い髪をポニーテールに束ねた十七歳のマリアです。
「これを履きなさい」
マリアの手に子ども用の黒い革靴があります。
「もうすぐわたしの弟子になる子に用意した靴ですが、あなたにあげます」
「いらない」
「いいからお座りなさい」
イオリを瓦礫に座らせると、マリアはイオリの足を濡れたタオルでぬぐいました。
「汚れるぜ」
マリアの指が剣士と思えないほど細くしなやかなので、イオリはどぎまぎしました。
「いいんです。女の子の足が泥だらけなのはよくありません」
「おれが女だってわかるの?」
イオリは驚きましたが、マリアはもっと驚きました。
「当然です。だってこんなにかわいい男の子なんていないでしょう?」
「……」
イオリはふて腐れたみたいに横を向きました。
「かわいい」と生まれて初めていわれたので、どんな反応をしたらいいのかわからないのです。
「さあ、きれいになりました。履いてください」
イオリが革靴を履くとマリアは手を叩いて喜びました。
「かわいい! 痛くありませんか?」
「痛くない。ちょうどいい」
「よかった。本当は靴下を履いたほうがいいのですが」
「別にいいよ。ありがとう。それじゃ」
「イオリさん」
その場にいるのが照れ臭くて、さっさと立ち去ろうとするイオリにマリアはいいました。
「イオリさん、あなたはきっと強くなります」
そういってマリアはニッコリ笑いました。
その後師匠となるオスカーに出会うまでの数年間、孤独なイオリの心を支えた杖は、このときマリアがいった「あなたはきっと強くなる」という言葉でした。
視力を失ったイオリの目から、一筋涙が零れました。
「夢の世界で眠れよ、マリア」
「……」
イオリの言葉が聞こえたのでしょうか。
うつ伏せに倒れたマリアはかすかに笑い、そして深い息を吐きました。
不滅のティグレが破れ、風が流れ始めると、人はこういう呼吸をします。
「夢」
と一言つぶやき、マリアはまぶたを閉じました。
目を閉じた美しい女剣士の金色の髪と頬を、風が優しく撫でます。
こうして不世出の大剣士マリア・バタイユは、今度こそ本当に、永遠の眠りについたのです。




