第113話 ピラミッドの決闘
ローズ王の予言通り、火口から流れた溶岩は山の中腹で止まりました。
しかし危険な状態に変わりはなく、一刻も早く草原から逃げ出すべきですが、人々はまぶたすら動かさずピラミッドの祭壇を見つめています。
ピラミッドの頂上にある祭壇で、二人の美貌の女剣士が向き合っていました。
イオリとマリア、ともに刀と剣を右肩の上にまっすぐ立てた八相の構えです。
距離はまだ四~五メートルあって、互いの得物は届きません。
いつ、どちらが先に動く? と人々が固唾を飲んでいるとマリアが口を開きました。
「この勝負でわたしは神力を使いません。カミの御前では使えないのです」
「使わなくても強いだろう?」
「あらうれしい。わたくしを認めてくれるのですね」
「認めるさ」
イオリは火炎に包まれた森で、マリアに浴びた一太刀を思い出しました。
(左肩から入った剣先に肌の表面を一撫でされた。幸い内臓に損傷はなかったが、それはマリアが手加減したからだ。あと半歩踏み込んでいたら、マリアの剣はおれの心臓を斬り裂いていた。そうなったらクロの魔法でも助からない、おれは死んでいた)
イオリは思わず身震いしました。
マリアの剣に斬られたときの感触が肌に甦ったのです。
(まるで細い指で撫でられたような感じだった。おそろしい女だ。マリアにとって剣の一撃は攻撃ではなく愛撫なんだ)
するとマリアが妙な質問をしました。
「イオリさん、死ぬのがこわいですか?」
「こわいに決まってる」
そのときピラミッド下から見守っていた太陽王は、不動に見えた両者の距離が、わずかに縮まっているのに気づきました。
(これはそろそろじゃのう)
「死をおそれないのは狂人だけだ」
「ではわたしは狂人です。死ぬのがこわくありませんから」
「夢があるのに死がこわくないのか?」
「はい。死んだらアレクセイに会えます」
マリアは自分のかつての一番弟子で、剣士の大会でイオリに斬殺された亡国の貴公子の名をあげました。
イオリの瞳に、かすかに動揺が走ります。
「イオリさん、どうやら敵討ちの資格はわたしにあるような気がしますが、どう思われます?」
「……」
「それからあなたの左目、瞳が青くなってとってもきれいですがもしかして、見えないのですか?」
(バレてる)
イオリは唇を噛みました。
マリアのいう通り、イオリの左目は不知火流奥義を使ったダメージで視力を失っています。
イオリは片目で大陸最強の剣士と相対しているのです。
今マリアは右肩の上にまっすぐ剣を立てています。
つまりイオリの左目の死角に相手の剣があるのです。
(まちがいなくマリアはおれの死角から攻撃してくる。十中八九袈裟斬りでくる)
イオリの耳もとで、雫型の赤いピアスが風に揺れます。
(マリアの剣が動く瞬間は、片目のおれに見えない。だからあの女の目を見るんだ。あの女の目に殺気が走った瞬間、おれも袈裟斬りを放つ)
二人の距離は完全に詰まりました。
イオリはマリアがまとった女性らしい甘い匂いを、マリアはイオリが放つ血の匂いを鼻先に感じました。
もはや踏み込む必要はなく、ただ振りおろすだけで、互いの得物は相手の急所を確実に斬り裂くでしょう。
マリアはイオリの黒い瞳に映る自分を見ました。
イオリはマリアの青い瞳に映る自分を見ました。
そのとき火口のケルベロスが突如三つの頭をもたげ、地上にあるものすべてを吹き飛ばす咆哮をあげました。
人々は雷声に打たれて硬直し、頑丈なピラミッドも枯れ木のようにブルブル震えます。
ケルベロスの声は平原をすみずみまで祓ったあと、ピアノの最後の一音のように徐々に減衰しました。
イオリとマリアはピクリともしません。
(声の余韻が完全に消えたとき)
ブルック、ローズ王、太陽王の三人は、同時に同じ思考をしました。
(勝負は決まる)
そしてそのときがきました。
ケルベロスの声が、ある瞬間フッと消えたのです。
(勝負!)
イオリは不知火丸を振りおろしました。
満を持しての袈裟斬りです。
その瞬間イオリは見ました。
(ん?)
そのときイオリの眼前からマリアが消えました!
「おおっ」
「マリア殿が!」
消えたマリアはイオリの頭上にいました。
前転の格好で跳躍し、イオリを飛び越えようとしています。
イオリは宿敵が消えた前方の空間を呆然と見ています。
空中で逆さまになったマリアの目に、イオリの無防備な首がはっきり見えます。
(八相の構えはあなたに自分の死角を意識させるための作戦です。成功しました)
「もらった」
マリアは逆さまの姿勢のまま、右手に持ったメメント・モリを一閃しました。
剣士というより無重力空間で踊るバレリーナのように優雅な仕草です。
(やった)
(やられた)
これは太陽王とローズ王の思考です。
マリアは軽やかに着地すると振り返りました。
イオリもすでに振り向いています。
二人はしばし無言で見つめ合いました。
イオリの首からツー……と血が流れます。
それを見てニッコリ笑ったマリアの胸もとから、ドッと血が噴き出しました!
「おお!!」
「まだです」
金髪をなびかせマリアは人生で最速最強の袈裟斬りを放ちました。
イオリもマリアと同じフォームで不知火丸を振りおろします。
祭壇の空気が剣士の神業と殺気で凝固し風さえ吹きません。
イオリとマリアも刀と剣を振りおろした姿勢のまま膠着しました。
「……グハッ!」
マリアは血を吐き、前のめりに倒れました。
「先生!」
「動くな! まだ勝負は終わってない」
ブルックは思わず駆け出そうとするマリアの弟子たちをいさめ、足もとを見ました。
マリアの流す血が石畳の上に広がっています。
「まだ、です。まだ、やれる。わたしはまだ、戦える……」
マリアがかすれ声でうめいていると、草原にほど近い場所にある修道院の鐘が鳴りました。
清澄な音が、草原の血生臭い空気を祓います。
「もう、なにも見えない。あの鐘の音は、だれのお葬式? まさか、わたし……」
マリアの声は、そこで途切れました。
イオリは腰をおろし、目をあけたまま動かないマリアの口もとに手をかざしました。
「どうだい?」
「死んだ」
「イオリ。まさかマリアの動きが『見えた』のかい?」
遺体に手を合わせて立ちあがるとイオリはうなずきました。
「見えた。最初の袈裟斬りに行く直前、空中に浮かんでおれの首をねらうマリアの姿がはっきり見えた。それで反転して斬ることができた」
そう語るイオリの耳に、ある人の言葉が甦ります。
「おれには一秒後の世界が見えるんだ」
親友マックスに自慢げにそういったのは、イオリの父エイジです。
(第七官界で父さんと交信したとき、父さんの記憶と一緒に、一秒後の未来を見る父さんの能力もおれに移植されたんだ)
「イオリにそんな能力があったなんて……」
ブルックが感嘆し、クロが手をかざしてイオリの傷を魔法で治癒しているときです。
「……!」
火口のケルベロスが再び三つ首をもたげ大咆哮しました。
「フフ、腹を空かせたカミが怒ってる。アンナ、裾を切ってくれ」
ウェディングドレスの裾をミニスカート丈に切って身軽になると、ブルックはピラミッドの下から自分を見あげる貴族や騎士たちに宣言しました。
「これからぼくとイオリとクロの三人で邪悪なカミを倒す! みんなここからぼくらの戦いを見届けてくれ!」




