第111話 カミのてのひら
八月三十一日。
今日はカミとの約束の期限となる日です。
この日までにカミへ生贄をささげなければ、約束をたがえた天罰として大陸を大地震が襲うはずでしたが、どうやらその悲劇は免れたようです。
ここは「カミのてのひら」と呼ばれる火の山ふもとの草原です。
時間は現在朝九時で、空は青く晴れ渡っています。
高さ四千メートルの火の山はときおりぶきみな地鳴りとともに噴煙をあげました。
山から吹きおろす火山灰まじりの風のせいで、カミのてのひらには大きな木が育ちません。
しかし草原の真ん中にポツンと、大地の吹き出物のような影があります。
ピラミッドです。
全九層の階段式ピラミッドで高さは三十メートル。
だれが建てたかわかりませんが、ゼップランド建国当初からピラミッドはここにありました。
頂上に長方形の、小さい運動場並のスペースがあって、ここが【儀式】を行う祭壇になります。
そのピラミッドを各国王族の天幕が半円形に囲んでいます。
天幕のうしろに控える王族警護の騎士の数は、各国それぞれ数百人。
バベル大帝国の太陽王フリッツ・バルトはいつものように厳めしい黒い軍服姿で、そのとなりに派手な赤いドレスを着たアグネス・バルト妃が控えます。
シップランドとタイタンの王族、それにロージャ共和国(旧カラミル帝国)の使節の姿も見えます。
ゼップランドのアダム・ローズ王と二人の息子メルヴィンとキャロルもピラミッドの祭壇を望む場所に置かれた椅子に座り、儀式の開幕を待っています。
ピラミッドの祭壇ではクルシミのアレクサンダー教祖と配下の信者が十数人、そしてマリア・バタイユの弟子がやはり十数人待機していました。
「お見えになった」
いつものように赤い僧服を着たクルシミの教祖アレクサンダーはそういうと、祭壇のすみに設置された長方形の木箱を指さしました。
「箱を開け」
「え、箱を?」
「そうだ。中に今日の主役が入っていらっしゃる」
「はあ」
信徒の一人は首をかしげながら箱の取っ手を引きました。
「遅くなりました」
箱の中からあわれたのは、いつものように黒い詰襟を着たマリア・バタイユです。
あとにアンナ・レンブラントが続きます。そして
「おおっ」
人々のどよめきが、草原の草を揺らします。
最後に箱の中からあらわれたブルック・フリーダム・ローズは、白いウェディングドレスを着ていました。
ブルックを見た騎士たちはにわかに色めき立ちました。
「おい見ろ!」
「あれ本当に男か?」
「男とか女とか関係ねえ。美しすぎる」
「いい匂いがしそうだ」
「バラの化身だ」
「アグネス妃よりきれいだぞ」
「おい聞こえるぞ」
「生贄はカミの花嫁、か」
ブルックの長兄メルヴィンはそうつぶやいて、渇いた唇を舐めました。
「兄さんやめてくれよ。王家の長男が末の弟に欲情するなんて洒落にならない」
「キャロル、そういうおまえはブルックの人気に嫉妬しているようだな?」
長男と次男は一瞬睨み合い、すぐそっぽを向きました。
「まさに大陸一の美人といったところだな」
「さようでございますか」
ふて腐れた表情のアグネス妃を見て太陽王は苦笑し、それ以上なにもいいませんでした。
祭壇は風が強く、ブルックのなびくドレスの裾をアンナが押さえます。
(王子さま、聞こえますかケロ?)
ブルックはハッとしました。
アンナの声が、直接脳内に響きます。
(魔道具のメガホンですケロ)
アンナの胸もとに、ペンダントのように小さくなったメガホンがあります。
(クロさんの縮小魔法です。メガホンの魔法の力で、わたしの内なる声は今王子さまお一人に聞こえます。そのままお聞きください。クロさんからクロさんの羽根を二枚あずかっていますケロ)
アンナは手に持った二枚の羽根をチラッと見せました。
(これを背中に貼ると空を飛べます。王子さま、わたしがこの場に混乱を起こしますからその隙に大空へ逃げてください。いったん港へ逃げ、途中で方向転換して街道に沿って王都へ向かわれるとよいと思いますケロ)
(アンナ、無茶するな……)
ブルックがアンナを止めようとしたとき、アレクサンダーが戦場の指揮官のような大音声を張りあげました。
「ただいまより、カミのご来光をたまわる!」
アレクサンダーは祭壇を見守る王族に背を向け、火の山に向き合うと右手をかざしました。
「ディアボロス
ウニウェルスム
目覚めたまえ!」
その瞬間大地が蠢動しました。
火の山が噴火したのです!
「おお!」
「者ども騒ぐな」
落ち着いた声で逃げ腰の人々をいさめたのはローズ王です。
「この千年、火の山の溶岩が草原に流れ着いたことは一度もない。それより火口を見ろ」
「……おおっ」
王にうながされ、人々は火の山の火口に目を向けました。
するとおそろしい溶岩と噴煙に混じって、巨大な黒い影が火口から這い出てくるのが見えました。
「あれは」
「いったいなんだ!?」
「カミである」
祭壇にいるアレクサンダーの厳かな声が、人々の耳を打ちます。
火口からあらわれたものの姿が、地上の人間にもようやくはっきり見えました。
あらわれたのは全身真っ黒で、頭が三つある巨大な首長竜です!
「あれは地獄の番犬ケルベロスである。犬と呼ばれるがケルベロスの正体は竜だ。
カミは霊体で実体はない。だから人間の前にあらわれるとき別の生物に憑依する。今日のカミはケルベロスに憑依している」
アレクサンダーの解説に、王族も騎士も無知な子供のようにうなずきました。
みんな今自分が目にしているものに圧倒され声も出ません。
ケルベロスは長い首の先にある三つの頭をフラフラ揺らし、草原に集まった高貴な人々を睥睨しました。
祭壇のアレクサンダーは怪物に向かって恭しく頭をさげ、それから宣言しました。
「儀式を始めます」
「なにをする!」
ブルックの頭をおおっていたスカーフにマリアの弟子が手をかけると、アンナは血相変えてその手を払いのけました。
「王子さまへの無礼はゆるしませんケロ!」
「よせ、アンナ」
アンナをいさめるブルックの肩に、アレクサンダーはそっと手を置きました。
「ご無礼」
トン、と手刀で首筋を軽く打つと、ブルックはその場にひざまずきました。
(体に力が、入らない)
「王子さま!」
(クソ)
自分を助け起こすアンナのぶ厚い背中に、ブルックはさっき受け取った二枚の羽根を、ぺたり、と張りつけました。
「え? あれ~」
アンナの巨体がたちまち宙に浮きます。
「アンナ好きな場所へ行くんだ! 元気でな!」
「王子さま~……」
羽根の操作に不慣れなアンナは風にあおられ、そのまま空のかなたへと消えました。
「お痛が過ぎますな」
アレクサンダーが目で合図すると、クルシミの信徒はブルックの手をうしろへ回し、縄で縛りました。
ブルックの美貌が苦痛にゆがみます。
「う」
「我慢なされ」
「ブルック殿下」
アレクサンダーに変わって声をかけたのはマリア・バタイユです。
「なぜアンナさんを逃がしたのです?」
「なぜって……ぼくが王になるからだよ。王が国民を守るのは当然の義務だろう?」
「そうですか」
マリアの青い瞳に、さざなみのように感情の波紋が走ったそのときです。
火口のケルベロスが突如三つの頭をそろえ、咆哮をあげました。
大地をどよもす声のイナズマに打たれ、人々は岩のように硬直しました。
「カミが生贄をご所望だ。殿下」
アレクサンダーは浴場の座椅子のような形をした、白い木の台を指さしました。
「ここへ顎をお乗せください。マリア殿が介錯します」
ついにそのときがきました。




