第109話 ジェットの願い
「ジェット!」
カイが駆けつけようとしたときです。
倒れたジェットの衣服のポケットから、コロコロとなにかこぼれ落ちました。
「なんだ?」
ソニーは目を細めて足もとを見ました。
転がってきたのはカットされた黒石です。
「つまらぬものを」
ソニーは裸足で黒石を踏み潰しました。
「お?」
ソニーの巨体が、そのとき崩れ落ちる氷山のように突然大きく揺れました。
「な、なんだこれは?」
ソニーがうろたえたのは自分の身になにが起こっているのか、まったくわからないからです。
目がかすみ、舌がもつれ、手足に力が入らない。
そんな脱力感をソニーは千年以上生きてきた人生で、まだ一度も味わったことがありません。
ブラフマンの英雄ソニーは病気はもちろん、ほんの些細な疲れも知らずに生きてきました。
それほどタフな赤い悪魔が、とうとうガックリと地面に片膝つきました。
「クソ」
「だいぶ効いてきたな」
地面にあお向けに倒れていたジェットが、ゆっくり起きあがります。
「わ、わたしになにをした!」
「魔法をかけた」
「魔法? きさま魔法を使えるのか?」
「使えない。だからブルック殿下の魔石を一個借りた」
ジェットはソニーが踏み潰した石を指さしました。
「その石の中に他人の魔法をコピーして封じ込めてある。封じ込めた魔法の中から、適当に一つ選んでおまえに仕掛けた」
「どんな魔法だ!?」
「【さまよえる湖】人の体から水分を奪う魔法だ」
ブルックが荒野で出会った契約者ココが駆使した魔法です。
「そいつを使っておまえを脱水症状にした」
「バカな! 魔法には発動条件がある。しかしおまえは呪文さえ唱えていない。なのになぜ魔法が発動する?」
「この魔法の発動条件はただ一つ。『相手に触れる』これができれば魔法は発動する」
「おまえはわたしに触れてなどいないぞ?」
「直接触れなくても使い魔である虫やトカゲが対象に触れれば魔法は発動する。でもおれは魔法使いじゃないから使い魔を使役できない。だから発動条件を変えた」
「ど、どう変えた?」
「おれの血に触れたら魔法が発動する」
「き、きさま」
自分の顔についたジェットの血をぬぐい、ソニーは熱病患者のようにガクガク震えました。
「まさか、わたしに、わざと斬られたのか?」
「ああ、わざと斬られた」
ジェットは初めてニヤリと笑いました。
「姉の仇を取るため、それから惚れた女を守るために」
「き、ききき」
ソニーは必死に立ちあがると大剣を振りかざしました。
「キチガイ!」
「そいつは絶対誉め言葉だよなあ!」
ジェットは猛然と突進しました。
大地を斬り裂くソニーの大剣が起こす剣風を首筋に浴びながら、ジェットは歩く壁のような巨体に体ごとぶつかりました。
「ケクッ」
絞め殺されるニワトリのようにソニーがうめきます。
ジェットの愛剣フルグルは、ソニーの胸もとから背中を一直線に貫きました。
不滅のティグレごと貫いたのです。
「む、無念」
一瞬白く輝き、ブラフマン最強の英雄は真っ白な灰となって散りました。
ジェットは精魂尽きたのか、再びその場にばったり倒れました。
「ソニー殿!」
あとに残った九人のブラフマンが、猛然とジェットに襲いかかります。
「やらせるか!」
カイとエヴァンとルークがジェットを守ろうと立ちふさがります。
しかし敵の殺気と勢いはすさまじく、エヴァンは立っているだけで足もとがすくみ、空中に浮かんだルークはクラクラめまいがしました。
それはカイも同じです。
(この勢いは止められん)
死を覚悟し、しかしカイは爽快に笑いました。
「きさまら地獄の道連れだ!」
狂笑浮かべたカイが剣を突き出したそのときです。
「う」
「グッ」
「ゲッ!」
ブラフマンの頭を矢が射抜きます。
矢は立て続けに降り、胸もとにある不滅のティグレを射られたブラフマンは次々白い灰になりました。
「……おお」
カイは歓喜の声をあげました。
赤い空から、援軍がきました。
「ホラー!」
羽根を生やしたクロは急降下しながら短弓カーペディエムから矢を放ち、一体また一体とブラフマンを灰にしました。
復活したクロは十四五歳ぐらいに見える少女の姿に戻っていました。
ジェットとイオリは並んで地面に横たわりました。
クロとルークの治癒魔法で二人の血は止まりました。しかし
「このままでは二人とも死ぬ。そうだな?」
ジェットに問われ、ルークは無言でうなずきました。
「よし。最終手段だ」
体から大量の血を失ったジェットが青ざめた顔で命じます。
「おれの不滅のティグレに宿る風を、すべてイオリのティグレに移せ」
「なにをいうの!?」
ルークの悲鳴に耳を貸さず、ジェットはクロに問いました。
「それができればイオリは助かるな?」
「……助かる。その代わりジェットは死ぬニャ」
「それでいい」
「ジェット!」
「ルーク聞いてくれ。今生き延びて王子を助けるのに役に立つのはどっちだと思う。おれか? それともイオリか?」
「……」
「イオリだ。おれの剣では無理だが、やつの刀はきっとカミのティグレを斬り裂く」
「でも」
「ルーク。おれのかわいいかわいいルーク」
ジェットは笑みを浮かべ、血まみれの指先でルークの小さい顎をそっと撫でました。
「頼む。おまえにやってほしいんだ。おれの命をイオリにやってくれ」
「自己犠牲なんてバカげてるよ」
「ちがうんだルーク犠牲じゃない。男ってやつは、とくにおれみたいな変わり者は、惚れた女に命をささげることに喜びを感じるものなんだ。死んでもいいくらいの喜びを」
「そうなの?」
「カッコつけて死にたいんだよ、騎士ってやつは。それにルークは知っているだろう? おれの女の趣味を。イオリはおれにとって最高の女だ。だから頼む」
「……わかった」
にわかに意を決すると、ルークは合掌しました。
「移動魔法【移動祝祭日】を使って、ジェットの風を、イオリのティグレに移植する」




