第108話 「惚れた女を」
巨大なクラゲは白い灰となって散り、イオリは呆然とした面持ちでその場にひざまずいたまま動きません。
「おれの父と母が、アランたちを……」
「イオリ!」
ジェットの大声がイオリの耳を打ちました。
まだ七十体以上生きているカルマが、一斉にイオリに襲いかかったのです!
「おまえの刀で彼らに死を与えてやってくれ」
父の言葉が、娘の耳もとに甦ります。
イオリはすっくと立ちあがりました。
「不知火流奥義」
たちまち剣身が真っ赤に染まり、霞に構えたイオリの全身から、ゆらゆらと陽炎のようにオーラが立ち昇ります。
「【赤い影法師】」
イオリが水平に振るった不知火丸の先端から、赤い光がほとばしります。
それはイオリが放った過去最大出力の光でした。
光のエネルギー源は怒りか、それとも悲しみか、イオリにもわかりません。
光は山津波のように押し寄せるカルマの首や胴体を、ただ一閃でことごとく切断しました。
斬られた個所から血を噴き出し、怪物どもは一匹残らず地響き立てて倒れました。
しかし、まだ死んでいません。
切断された頭や胴体が再びニョキニョキ生えてきます。
「まだだ!」
イオリは不知火丸でカルマの体に宿る不滅のティグレを次々斬りました。
頭や心臓や喉やアキレス腱に宿る青い玉を、刀が正確に貫きます。
まばたきする間に二十体のカルマが灰になりました。
「まだだ!」
怪物の返り血を全身に浴びたイオリは、悪鬼の形相で斬りまくりました。
「おい」
カイがいぶかしげにイオリの顔を指さします。
「あいつ左目が青いぞ?」
「奥義を使ったダメージだろう」
そういいながらジェットは姉の形見である愛剣稲妻をかざしました。
「おれたちもやるぞ!」
ジェットの叱咤を受け、カイとエヴァンとルークも再生途中のカルマを攻撃しました。
不滅のティグレを剣で突き、斬り、矢で射抜く。
第七官界の大地はカルマの流した血と、降り積もる灰で重くぬかるみました。
イオリは狂ったように刀を振るい続けます。
「まだだまだだまだだ!」
七十数体いた怪物はみるみる灰になり、ついに最後の一体になりました。
最後に残ったのは、巨大な亀のカルマです。
亀は頭と手足を引っこめ、地面に伏せていました。
「おれがやる!」
イオリはそう宣言してジャンプしました。
甲羅の真ん中に灯る不滅のティグレが、イオリの青い瞳をさらに青く染めます。
(これで終わりだ)
不知火丸の切っ先が甲羅のど真ん中を貫き、亀は一瞬で真っ白な灰になりました。
「やったぞ! あ」
ジェットの歓声は悲鳴に変わりました。
白い灰の中から突き出された剣が、下からイオリを串刺しにしたのです!
「イオリ!」
ジェットが悲鳴をあげます。
「人を隠すなら森の中」
白い灰の中からあらわれた何者かは、顔の灰を払って正体を明かしました。
「ブラフマンを隠すならカルマの中だ」
灰の中からあらわれた巨漢のブラフマンソニーは手にした剣を軽く振り、串刺しにしたイオリをこま切れ肉のようにポイ、と地面に投げ捨てました。
「どうやら一時的に左目を失明しているようだな。こやつわたしの剣がまるで見えてなかった」
「イオリ大丈夫か!?」
「心臓を貫いた。その女はもう助からん」
「野郎!」
「待て」
激昂して斬りかかろうとするカイとエヴァンを、ジェットは制しました。
「あのバケモノはおれがやる」
「ジェット」
妖精ルークは唇を噛みました。
(そうか。ジェットの旅の本当の目的は『これ』だ)
「ルーク。あとは頼むぞ」
相棒の妖精に笑顔を見せ、ジェットはすたすたと足どり軽く赤い悪魔に近づきました。
イオリは自ら流した血の海に横たわりうめいています。
「うう」
(まだ生きてる。しかし急がねば)
ジェットはクールな表情を変えずに焦りました。すると
「おや? わたしはおまえに会ったことがあるぞ。あれは十年前になるかな?」
「そうだ」
首をかしげるソニーに、ジェットはうなずいて見せました。
「十年前、祖国防衛戦争で帝国軍と戦ったとき、帝国との国境にある丘でおれはおまえに会った」
「……思い出した。あのときわたしはおまえの姉である女騎士とやりあったのだ。なかなかの腕前だったぞ。そうか。おまえは姉の手柄を横取りして救国の英雄になったのだな。フフフ」
「……」
「しかしその姉はとうに死んでいるし、女剣士も瀕死の重傷だ」
「うう……」
またイオリが地面でうめきます。
「もうおまえを守ってくれる女はいないぞ。いったいどうする気だ? にせものの英雄よ」
「今日はおれが守る」
「金で雇った用心棒をわざわざ守るのか?」
「ちがう」
ジェットはバスタードソードの切っ先を、赤い悪魔に突きつけました。
「用心棒を守るんじゃない。
惚れた女を守るんだ」
薄暗い荒野に、大地が震えるおそろしい音が轟きます。
ソニーが片手で振りおろす大剣を、ジェットはのらりくらりとかわしました。
空振りに終わったソニーの大剣は、血でぬかるむ大地に異変を起こしました。
空振りするたび、剣に叩かれる大地に亀裂が走るのです!
ソニーは飽くことなく大剣を振るい続けました。
(やられた!)
とだれもが唇を噛みしめるそのとき、ジェットの体は風に押されるススキのように右に、あるいは左に流れ、おそるべき斬撃を間一髪かわします。
(すごい)
カイは感嘆しました。
(まじでドストエフスキー先生そっくりの動きだ)
「やるな」
ソニーがニヤリと笑います。
「しかし逃げてばかりで戦は勝てんぞ」
ソニーはペッと唾を吐きました。
(う)
なめらかなジェットの動きが、突然止まりました。
(足が動かない)
足もとを見ると、着ているローブの裾が短剣に刺し止められているではありませんか!
「わが唾は空気に触れると硬化する」
得意げに語るとソニーは右足でジェットのお腹を蹴りあげました。
毬のように軽々とジェットが吹っ飛びます。
「グエッ!」
「一太刀で殺してはおもしろくない」
「クソ!」
血の混じった涎を流しながら立ちあがり、ジェットは一転攻勢に出ました。
刃の放つ銀色の輝きが、縦横無尽にソニーを襲います。
付き合いの長いカイにも追えないジェットの見事な剣さばきです。
しかし
「凡庸だな」
つまらなそうにつぶやくと、ソニーはまた片手で剣を振るいました。
「うお!」
軽く払われただけなのに、ジェットの上体が泳ぎます。
「非力」
とあざ笑い、ソニーは大剣を振りおろしました。
「ジェット!」
ルークの悲鳴が薄暮に響きます。
ジェットの左肩から食い込んだ剣は、そのまま救国の英雄の体を斜めに斬り裂きました。
「『偽りの英雄ここに眠る』墓碑銘にそう刻むがよい」
足もとに崩れ落ちたジェットを冷酷に見おろし、ソニーは自分の顔に飛び散った返り血をペロリと舐めました。




