第105話 黄金の日々
マックスとノーラが「真夜中の怪奇」を見た翌日です。
ナミはいつものように池へ行き、畔に立ちました。
すると静かだった水面に、急にさざ波が立ちました。
池に棲んでいるセーメンが、ぞろぞろ岸辺に集まってきます。
「……」
セーメンに目はありません。
しかしナミは自分の体を舐めるように見つめる視線をはっきり感じました。
しばらくためらってからナミは履いていたズボンと下着を一気におろしました。
白くて丸いお尻が日差しに輝きます。
畳んだ下着を石に置き、池の畔に立ったナミは大胆に足を開きました。
セーメンが立てる水音が、彼らの興奮をあらわしているようです。
ナミは段々酒に酔ったような、恍惚とした気分になりました。
「それがセーメンのエサか?」
ナミがハッとして振り返ると、そこにエイジがいました。
たちまち耳まで真っ赤になり、しかしナミはすぐ下着を履こうとはしません。
「わたしのこと、軽蔑する?」
挑むようなナミの視線をさけ、エイジは石に置かれた下着を手にしました。
「見せるだけでいいのか?」
「そうよ。いやらしいもの見ることが、この子たちの力になるの」
池の畔でまたバシャッと水音がします。
(クソ、聖典にあった「淫欲こそわが種の主食なり」ってカミの台詞はこういうことだったのか)
「ナミ」
少女の頬を伝う涙をぬぐい、エイジは恋人をやさしく諭しました。
「パンツを履けよ。お腹の赤ん坊にさわるぜ」
「エイジ」
「わかってる。大丈夫だ」
自分の胸にもたれかかる少女を抱きしめ、少年はきっぱり宣言しました。
「おれたちの赤ん坊を守るんだ。ここを出よう」
「脱会者だぁ!」
早朝の町に緊急事態を知らせる鐘が打ち鳴らされます。
「逃げたのは六人の子どもだ! 港へ向かえ!」
男たちは手に手に武器を持ち、崇拝からほど近い港へ向かいました。
「エイジ、バカなことを」
リュウは唇を噛んで港へ向かいました。
しかしエイジたちは港にいませんでした。
信者たちの行動を予測し、反対側の山岳地帯へ逃げたのです。
エイジ、ナミ、マックス、ノーラ、ダミアン、アニーの六人は獣道をやぶ漕ぎしながら王都を目指しました。
「苦しくなったらすぐいえよ」
「平気」
額の汗をぬぐってナミは恋人に笑みを見せました。
「わたしたちの子よ。強い子だからこれくらいじゃ音をあげたりしないわ」
「ナミが苦しくなったらぼくがおんぶする!」
ダミアンの発言にエイジは笑いました。
「ありがとうダミアン」
「リュウさんとちゃんとお別れしたかったな」
アニーが唐突につぶやきます。
リュウと仲がよかった少女の言葉に、一行は胸を突かれました。
「アニー……」
ノーラがアニーの肩にそっと手を置きます。
エイジは少女に釈明しました。
「ごめんよアニー。知っての通りリュウは熱烈なカミの崇拝者だ。リュウがクルシミを離れることは絶対ない。それにおれたちの仲間だと思われたらリュウのクルシミでの居場所がなくなる。だから黙って出て行くしかなかったんだ」
「……うん」
「アニーは舞台が見たいっていってただろう?」
横からマックスが話しかけます。
「王都に着いたら見放題だぞ。エイジがおごってくれるって」
「ほんとエイジ!?」
「え? あー、わかったおごる!」
「やったあ!」
アニーが笑って一行は再び活気を取り戻しました。
獣道を歩く子どもたちは蟻が這うように、じりじりやぶを進みました。
それは王都と自由を目指す、命懸けの旅でした。
目をあけたとき、エイジは自分が今どこにいるかわかりませんでした。
茜色の空が頭上に広がっています。
エイジは河原に寝そべっていました。
川を下る小舟を操る船頭の、優雅な歌声が川面を撫でます。
目の前を流れるのはローズ川です。
エイジ一行が王都ローズシティに着いて半年が過ぎました。
奇跡的に仲間のだれ一人欠けることなく、王都に辿り着いたのです。
エイジは長年貯めていたお金で一軒家を借り、みんな一緒にそこで暮らしました。
エイジとマックスは鍛冶屋で、ノーラは洗濯屋で働き、身重のナミは自宅で内職に励みました。
ダミアンとアニーは家の仕事を行い、ナミが内職でやっている木彫り人形の色塗りも手伝いました。
いろいろたいへんですが、充実した楽しい日々です。
「『都市の空気は人間を自由にする』って本当なんだな」
エイジがぼんやりそうつぶやいたときです。
「お~い」
土手道をマックスとノーラが手を振りながら歩いてきます。
エイジが手を振り返すと、今度は反対側から声がしました。
「お~い」
ダミアンとアニーがナミの手を引いて歩いています。
エイジは起きて土手に駆けあがりました。
「ナミ、出歩いて大丈夫?」
「大丈夫よ。あ」
ナミはすっかり大きくなったお腹を撫でました。
「また蹴った」
「ナミは十四で母親になるのね。いいなあ、わたしもがんばんなきゃ」
羨ましそうな表情のノーラにダミアンが尋ねます。
「がんばるってなにをがんばるの?」
「あんたはよけいなこと聞くんじゃないの」
ノーラに軽くにらまれ、マックスは慌てて話題を逸らしました。
「な、なあナミ、赤ん坊の名前は考えた?」
「考えたわ。エイジ、マックスにこの子の名前を教えてあげて」
「イオリ」
エイジは少し照れ臭そうに、自分の子どもの名前を告げました。
「東方の島国でよく使われた名前だ。生まれてくる子がまだ男か女かわかんないから、どっちにも使える名前をつけた」
「イオリか……」
新酒の味わいを確かめるように、マックスは初耳の名前を口の中で何度も転がしました。
「うん、いい名前だ」
「すてきじゃない!」
「わたし好き!」
「ぼくも!」
ノーラとアニーとダミアンはうれしそうにハイタッチしました。
「よかったわね。みんなイオリの名前を褒めてくれたわよ」
「ナミ、いいかい?」
エイジはナミのお腹に頬を押し当て、ささやきました。
「イオリ、はやく会いたいな」
そのときまた川から歌が聞こえてきました。
川下りの舟頭が、お腹の大きな女性を祝福する歌を歌っています。
「ありがとう!」
エイジたちは土手から手を振り、舟頭も手を振り返しました。
「よし、帰ろう。今日はおれが夕食を作る。シチューにしよう」
「やったあ! ねえエイジ、ぼくイノシシの肉が食べたい」
「イノシシは王都で手に入らないな。鶏肉で勘弁してくれ」
「ええ~」
「文句いわないの!」
「アニー、もっとダミアンにやさしくしなさい」
ナミが肩を持ってくれたので、ダミアンは調子に乗りました。
「そうだよ。ぼくが熱出して寝込んだら『ダミアン死なないで』なんて泣くくせに」
「バカ! ねえエイジ。今度新作の舞台があるんだよ。週末連れてって」
「え~またか……」
エイジのとまどう声とダミアンたちの笑い声が、夕焼け空に溶けてゆきます。
この幸せな日々は永遠に続く。
だれもがそう思っていました。




