第104話 カルマ誕生
エイジとナミは宿舎のそばを流れる川へ行き、土手に腰をおろしました。
「きれいね」
ナミは夜空を眺めています。
空は星々で満ちていてその光が、二人の足もとに淡い影を落とします。
「あの星のどこかから、カミは地上におりてきたんだよね?」
「そうね」
「セーメンの世話はたいへんかい?」
「全然。エサをやるだけだもの」
「エサってなに?」
「ごめんなさい。それは秘密なの。ねえ」
「なに?」
「幸せ過ぎてこわいって気持ちになることない? わたしこのごろよくなるんだけど」
「おれはないなあ。でも今の幸せがずっと続けばいいと思ってる」
「わたしも」
二人はしばらく黙って見つめ合い、それからキスしました。
近くで夜の虫がチチチ、と慎ましく喉を鳴らします。
「やめてくれえ!」
それはよく晴れた日の午後起きたできごとです。
クルシミの子どもたちは町の中央広場で「手術」を見学しました。
鉄製の頑丈な椅子に縛りつけられているのは、裸の若い男です。
「この男は異端者です、ゼップランドの王族が放ったスパイです」
白い医療服を着た小柄な男が子どもたちに語ります。
「この男の心はかたくなで、なかなかカミの教えが理解できません。
よって手術を行います」
「やめろ! 助けてくれえ!」
白い医療服を着た大きな男が、盆を持ってきました。
盆に乗っているのは丸くて平べったい、触手だらけの奇妙な生物です。
「あれがセーメンだ」
リュウがかすれ声でつぶやきます。
「やめ! ……」
お盆を顔に押し当てられ、若い男はなにもいわなくなりました。
丸い生物は口から若者の体内へ侵入し、姿を消しました。
大きな男と小柄な男が失神した若者のまぶたを開き、のぞき込んでなにやらひそひそ話し合います。
「適合しました」
小柄な男の宣言を聞いて大人たちはワッ! と歓声をあげ、子どもたちも喜びました。
セーメンの世話を焼いているナミも安堵の表情を浮かべます。
「よかった。エイジ?」
ナミに声をかけられてもエイジは固い表情を変えず、返事もしませんでした。
それから数日後。
「カミは唯一無二の存在にして偉大なり!」
夜明けの聖典朗読をする子どもの集団に、一人の大人が混じっています。
「人々をアガルタへ転生させる。それがわれらの使命なり!」
混じっているのは先日手術を終えたばかりの、あの若者です。
子どもたちと聖典を朗読する若者の目は、だれよりもキラキラ輝いていました。
また別のある日。
ダミアンは一人で崇拝の町を歩いていました。
朝稽古の最中、宿舎に忘れた荷物を取ってくるようコーチに頼まれたのです。
午前の崇拝はがらんとしていました。
子どもたちは稽古中で、大人も男は森で狩りか薪集め、女は川で洗濯です。
人のいないさびしい眺めが珍しくて、ダミアンはすぐ宿舎に向かわず、町をあちこち見て回りました。
すると不意に、耳慣れない物音が聞こえました。
「ぐえ……ご……ごごっ……ぐえっ」
(中央広場にだれかいる)
ダミアンは足音を忍ばせ、建物の影からこっそり広場をのぞき見しました。
「ぐええ」
白い医療服を着た大男が、黒い上着を着た馭者の首を、縄で絞めていました。
馭者の足を、医療服を着た小柄な男が押さえています。
大男が縄を離すと、馭者は墜落するように勢いよく倒れました。
「ワイン積んでました。現金もあります」
幌馬車の荷台から顔を出した信者はうれしそうに報告したあと、荷台から何か投げ捨てました。
信者が捨てたのは不自然に手足が曲がった、行商人の死体です。
「ヒッ」
ダミアンが思わず漏らした悲鳴に、大人たちが一斉に反応します。
「弱ったなあ。見てたのか?」
小柄な男が本当に困った様子で頭をかきます。
「見られたなら仕方ない……」
「構わん」
ふいに鮮やかな赤い色が視界をさえぎります。
赤い僧服を着た長身禿頭の人物が、ダミアンの前に立っていました。
大人たちはサッと頭をさげ、ダミアンはポカンと口を開きました。
(教祖アレクサンダーさま)
「きみは聖典を読んでいるね?」
アレクサンダーは膝を折ってダミアンの前にしゃがみました。
「行商人と馭者は死んだのではない。彼らはクルシミの信者の手で憂き世を離れたのだ。彼らは今どこにいると思う? 『人々をアガルタへ転生させる。それがわれらの使命なり』行商人と馭者は今アガルタにいる。われわれは彼らを転生させた。これはとてもよいことだ。わかるね?」
「はい」
ダミアンの目が感激でキラキラ輝きます。
「よろしい。きみの名前は?」
「ダミアンです」
「これからも毎日お勤めに励むんだダミアン。行きなさい。ああ、きみがここで見たものはきみとわたしの秘密だ。ほかの信者にいってはいけないよ。いいね?」
「はい!」
元気に駆け出すダミアンを笑顔で見送る教祖に、医療服を着た小柄な男は不満げに声をかけました。
「師父、大丈夫でしょうか? あの子が秘密をばらすかも……」
「それでよい。もしだれかに話したら『この子は虚言壁がある。精神治療が必要だ』といってセーメンの寄生先にするだけだ」
午前の光に禿頭を光らせ、教祖はニヤリと笑いました。
「そうか」
その日の午後、森で早くもダミアンに秘密を打ち明けられたエイジは、腕組みして考え込みました。
「ダミアン、このことだれかにしゃべったか?」
「しゃべってないよ」
「アニーにも?」
「しゃべってないって!」
「わかった。じゃあこのことはおれとダミアンだけの秘密だ。ゲンコツ一発」
ダミアンはすかさず小さい拳をエイジの額に当て、エイジも同じようにしました。
互いの額に互いの拳を押し当てると、二人は声をそろえておまじないを唱えました。
「ゲンコツ一発火の玉だ。嘘ついたらゲンコツ百発おまえに食わす。ワンツースリー!」
手を離すとダミアンはニコッと笑いました。
ダミアンはエイジとの約束を守り、自分が見たものをだれにもいいませんでした。
アレクサンダーも子どもとの約束はこうすべきだったのです。
「マックス」
ノーラはそばで寝ているマックスを揺り起こしました。
時間は午前一時ごろで、エイジもナミもぐっすり眠っています。
「なんだよ?」
「外でなんかへんなことが起きてるよ」
「へんなことって?」
「わかんない。わかんないけどなにかが起きてる。それはまちがいないよ」
ノーラは勘のいい少女です。
マックスは彼女の勘のよさに、今までなんども助けられました。
「わかった。見に行こう」
二人はほかの子を起こさないよう、足音を忍ばせ宿舎の外に出ました。
「たぶんこっち」
ノーラが足を運んだのは中央広場です。
もうすぐ着く、というところでマックスはノーラの口を押さえ、建物の影に隠れました。
(あいつは)
広場に先日ここで手術を受けた、元スパイの若者がいました。
若者のほかに四人の人物がいます。
医療服を着た大男とチビ、そして教祖アレクサンダーです。
もう一人は人間ではありません。
赤い肌にツノを生やした巨漢の悪魔です。
「ではソニー殿」
教祖にうながされると悪魔は背中に負った大剣を抜き、まっすぐ振りおろしました。
「変身」
悪魔がしわがれた声つぶやくと、稲妻が若者に落ちました。
光の粒子が鱗粉のように闇を舞い、若者は巨大な怪鳥に変身しました。
アレクサンダーが満足そうにうなずきます。
「汝の業を解放せよ。望みの場所へ行き、望むものを殺すのだ。行け」
教祖にうながされ夜空に飛び立つ怪鳥を、マックスとノーラは震えながら見送りました。




