第101話 ジェットとイオリ
第七官界の薄暗い荒野に獣の咆哮と、濡れた雑巾を壁に叩きつけるような音が轟きます。
聞こえるのは肉や骨が切断される音です。
イオリとジェットは襲いかかる百体のカルマに立ち向かいました。
作戦はただ一つ。
個々のカルマの肉体に宿る不滅のティグレを斬る。
それだけです。
「ジェット! イオリ!」
妖精ルークの唾をまぶたに塗ったことで、二人はカルマの体内にあるティグレがはっきり見えました。
ティグレは生命の源というべき、目に見えない小さな丸い玉です。
妖精の魔力で、今はその玉が太陽のようによく見えます。
あるいはカルマの心臓に。
あるいは額に。
あるいは喉に、不滅のティグレはありました。
イオリとジェットはティグレを次々斬りました。
もちろん簡単に斬れるわけがありません。
相手は人間以上の体格とパワーとスピードを誇る異形の怪物です。
一撃で敵を斬り裂く爪や牙、毒酸のように獲物を溶かす唾液にまみれた舌、岩をも砕く拳や足、目玉をくりぬく怪鳥の嘴……
イオリとジェットはそれらの攻撃をくぐり抜けてティグレを斬りました。
しかし二人の動きは、まるで別の生きもののようにちがっていました。
ジェットは敵の体内にあるティグレを見つけると、並足で接近しました。
急ぎません。
ただ淡々と迫ります。
カルマは驚きました。
人間も獣も怪物も、命懸けの戦闘ではむだに大きく動くものです。
ジェットにはそれがありません。
ゆっくりと、しかし確実に最短距離を歩いて接近するのです。
みすぼらしい修験服を着たジェットののんびりとした歩行が、カルマには瞬間移動の魔法に感じられました。
驚きのあまり一瞬固まるカルマのティグレを、ジェットはやすやすとバスタードソード稲妻で斬りました。
(ドストエフスキー先生と同じだ)
悠揚迫らぬジェットの動きが、カイの目にかつて大陸最強といわれた偉大な剣士の剣さばきと重なって見えました。
(ジェットはまちがいなく一流の戦士だ。でも戦いかたは戦場剣法で荒々しかった。今のあいつはちがう。まじでドストエフスキー先生みたいに動きにむだがない。ジェットのやつ、いつの間にこんな洗練された剣術を身につけたんだ?)
一方イオリの戦い方は流れる水のようです。
カルマの攻撃に逆らわず、かわしながら同時にティグレを斬る。
攻防兼備の動きは剣技というよりバレリーナの優雅な舞踏を連想させます。
「そこにしだれ柳があるだろう?」
オスカーは十歳のイオリに木剣を渡すと顎をしゃくりました。
風が強い川沿いの土手に、しだれ柳が生えています。
「あるけど?」
「枝の下に立て」
「なんで?」
「いいから立て」
面倒くさそうに告げる師の言葉に、イオリはしぶしぶ従いました。
風に流れる柳の枝が、顔をうるさく撫でます。
「枝を斬れ。いや木剣だから斬れねえけど斬るつもりで打て。それから枝をかわせ。枝は敵の剣だと思ってすべてかわすんだ。わかったな? じゃ、やれ」
「どんくらいやるの?」
「おれが『いい』というまでだ。いいかイオリ、この修行が終わるまで不知火丸を持つのは禁止だ。わかったな」
「へいへい」
イオリは肩をすくめてトレーニングを始めました。
始めてすぐイオリはこれは容易ではないと気づかされました。
風になびく枝はヘビのように木剣にからみつき、ときに変幻自在にしなってイオリの顔を鞭のようにぶつのです。
イオリの手と顔はたちまち傷だらけになりました。
(こんちくしょう)
イオリはむきになって木剣を振りました。
うしろでオスカーが腕組みして弟子を見つめています。
少女と木の奇妙な格闘は日が暮れても続き、暗くなった河原に空を打つ木剣の音がやけに寒々しく響きました。
「よし、いいぞ」
「え?」
夕日が川面を赤く染めています。
オスカーは意表を突かれてとまどうイオリの手から木剣を取りあげました。
イオリが初めて柳の木に向き合ってから、今日でちょうど一年になります。
師は弟子の空いた手に、赤い鞘に収まった不知火丸を預けました。
「修行は終わりだ。今日からその刀でカルマを斬りまくれ。今からおれがいうことを覚えとけ。剣士に一番大切なのは稽古じゃねえ。休むことだ。おまえみたいなバカはほっといても稽古をやり過ぎる。やり過ぎて体を壊す。だから少しでも疲れたら強い意志を持って稽古をさぼれ。体は本来鍛えるもんじゃねえ。いたわるもんだ。忘れんなよ」
「わかった」
イオリはひさしぶりに刀の鞘を払いました。
夕日を浴びた刀身が放つ光が、イオリの目をまぶしく打ちます。
この地味な特訓でイオリは打突剣【明暗】、居合術【風神の門】、制覇剣【喪神】を習得したのです。
イオリの視界が突然真っ暗になりました。
巨大なヒクイドリが前蹴りを放ったのです。
一撃で帝国兵士の甲冑をぶち破るおそろしい蹴りが、イオリの顔面を狙います。
恐竜のような爪がイオリの顔を斬り裂いた、と見えた瞬間です。
「ゴオッ」
ヒクイドリが怒りの声をあげました。
背中に翼を生やしたイオリが、ヒクイドリの眼前に浮かんでいます。
(見えた)
ヒクイドリの赤いトサカの真ん中に見えました。
小さく光る青い玉が。
不滅のティグレです。
「ゴオッ」
すかさず鋭いくちばしがイオリのお腹を狙います。
瞬きより速い突きです。
しかし幼い日々、変幻自在な柳の鞭に叩かれ続けたイオリにとって、それは牛の歩みのように緩慢な攻撃でした。
イオリは回転しながらくちばしをかわし、そのままトサカ目がけて刀を振りました。
(もらった)
思わず歓喜の笑みを浮かべたイオリの体が、突然後方に吹っ飛びました。
「……」
全身真っ白な、顔なし巨人の「遠当て」です。
巨人の空突きから放たれたエネルギーをまともにもらい、イオリは吹っ飛びました。
「うう」
うめきながら脇腹を押さえるイオリの顔色が変わりました。
(肋骨が折れた)
イオリの変調を悟った顔なしが悠然と近づいてきます。
そのときです。
「ゴオッ」
またヒクイドリが鳴きました。
今度はなんだか弱々しい声で。
ヒクイドリは足もとから灰になろうとしていました。
赤いトサカがいつの間にか半分になっています。
「おまえにどつかれる前にティグレを斬った」
イオリが青ざめた顔で不知火丸をかざします。
顔なしはイオリを無視してヒクイドリに近づきました。
しかし間に合いません。
顔なしの手が触れる前に、ヒクイドリは白い小さな灰の山となりました。
「……」
顔なしは無声の怒号をあげ、猛然とイオリに襲いかかりました。
(やばい)
焦るイオリが脇腹を押さえながら片手で刀を構えると、突然顔なしの体勢がガクン、と崩れました。
「おまえの相手はおれだ」
顔なしのアキレス腱を斬ったジェットは、片膝ついた巨人の首をただ一閃で打ち落としました。
「やった!」
「さすが団長!」
カイとジャックが歓喜の声をあげ、ルークは悲鳴をあげました。
「まだ生きてる!」
頭を失った巨人が、拳を腰だめに構えました。
「盾!」
ルークが手をかざすとジェットの前に魔法の盾が浮かびます。
(助かった)
ジェットの顔がとっさに安堵でゆるみます。
彼の前にあるのはあらゆる魔法やエネルギーをはじき返す無敵の盾ですから。
しかし
「うお!」
ジェットは木の葉のように宙を舞いました。
巨人の白い拳が魔法の盾を紙のように突き破ったのです!
宙を舞うジェット目がけて巨人は回し蹴りを放ちました。
「イオリ今だ!」
ルークが叫んだとき、イオリはすでに刀を構えていました。
足もとに巨人の生首があります。
顔のない巨人の額(?)の真ん中に、ポツンと小さい玉があります。
「ジェット覚えとけ! 不滅のティグレを潰さない限りカルマは死なない!」
そう叫んでイオリは生首の額をまっすぐ刺し貫きました。
ジェットの体をとらえる寸前だった巨人の足は、白い灰となって崩れ落ちました。




