♨1 序章【運命】の出会い
この物語は、空っ風吹き溢れる鶴舞う形の上州からやって来た、老湯♨が2012年6月ESR天津に入社してから、どのように歩んできたのか、振り返っていきます。順分満帆というよりは、波乱万丈。事実に基づいて書いておりますが、記憶が曖昧なところもあり、妄想が膨らんでいるかも。。。。ご了承くださいませ(^_^;)
日本では、
カタツムリが葉っぱの上を這う、
ジメジメと蒸し暑い様子が思い浮かぶ
梅雨の2012年6月、
天津の空は、
珍しく「これでもか!」と言わんばかりの
カラっとした青空が広がっていた。
まだ、PM2.5がそんなに騒がれていなかったが、
その当時は日本と中国の空の色は違うんだ、
ぐらいしか感じていなかった。
その日、老湯♨は
南開大学商学院(MBA)を7月に卒業を控え
卒業準備のため、南開大学に行っていた。
用事を済ませ、白堤路沿いにある商学院を出発。
気持ちはちょっと、ナーバス気味に、
徒歩で、王顶堤にある家へ出発した。
(なぜナーバスかというと、
以前通学は
黒の大型電気バイクに
乗っていたが、
数日前、商学院の駐輪場に置いていたら、
誰かに盗まれた
保安も監視カメラもあるが、
なぜか犯人捕まらず、、、、グ○なのか!!?
ただ電気バイクは危なく、以前転んで、
一週間動けなかったので、
大きな事故を起こす前に、
なくなって、逆に良かったかのかな?
とも思う)
当時の老湯♨は、
まだ、日本に帰国して就職しようか、
中国に残って就職しようか、
考え中で、とりあえず、
知り合いから、
【智联招聘】というサイトがあり、
中国で仕事を探す人は、これに登録する、
ということを聞いていたので、
特に考えることもなく、
自然の流れという風に
登録していた。
そもそもどうして、老湯♨が
中国に来たかというと、
老湯の叔父は赤木県道沿いにある餃子屋さんを
父はJR新前橋駅徒歩10分の中華料理屋(春華)を経営、
子供の時から、中国と縁があり、
【運命】を感じいていた。
大学時代も、短期留学で、中国を訪れ、
道端で、裸同然の格好で、トランプ遊びをしたり、
かと思えば、高層ビルが立ち並び、
高級ブランドスーツや、高級腕時計をした
サラリーマンが闊歩していたりと
自由且つ、スリリングなところに
魅力を感じ、憧れ、
いずれは中国へ行ってみたいと思っていた。
大学教授の勧めもあり、
2007年3月天津の南開大学の言語学院で、
まずは中国語を学んだ。
2,3ヶ月で、
日常で生きていくのに、
必要な中国語を喋れるようになった。
2008年、金融危機の影響もあってか、
外国人留学生は少なく、
比較的、簡単な試験で、
さらには、指導教官も北海道に留学したことがある、
人的資源を教えいてる日本語が話せる教授で、
その教授が面接をしてくだださり、
老湯♨の中国語はたどたどしかったが、
面接も無事突破!
(翌年からは入学するのが難しくなったようでした)
2009年9月から、
南開大学商学院大学院に晴れて入学するこができた。
周りの生徒さんは皆、中国人で、
外国人留学生は老湯♨一人。
幸い、同級生に以前天津の
大手日系企業で働いていた、
日本語が上手な天津人男性がいて、
何かわからないところがあれば、
彼に聞いたりして、
単位をなんとか取得。
時にはぎりぎり60点の合格した授業も(^_^;)
そして、
2012年7月MBA無事取得。
さて、話は戻って、
商学院から出発して、10分が過ぎ、
王顶堤立交桥の橋の下のあたりにいた。
ちょうど、あと5分ぐらいで
王顶堤堤中里にある家につく。
当時所有していたNOKIAの赤黒の携帯が、
これから大きな「物語」が始まるかのごとく、
鳴り始めた。
当時設定していた着メロは
ベートーヴェンの
「運命」。
老湯:「喂,你好」
相手:「もしもし、老湯さんでしょうか?」
老湯:「?!」
これからどんな運命が待っているのか?
乞うご期待!
人口1500万(2018)の狗不理包子が名物の天津を舞台として、老湯♨は今後どうなってしまうのか?!
You never actually own your story.You merely look after it for the next generation
「物語を語り継いでいきましょう~」