第89話 お兄ちゃんの力
「はぁっ……! はぁっ……! こ、ここまでくれば大丈夫かな?」
「あ、ああ……」
首都の郊外、まだ開拓されていない土地の木々の中で、マリンとシーヴェルトは膝をつく。
夜の市街地を懸命に走り、追っ手の目を掻い潜って、やっとここまで来た。
だが、もうマリンの足は限界だ。走りにくい服装でずっと走りっぱなしだったためだ。
それに怪我をしたヴェルを引っ張っていたのもある。
――そうだ。怪我!
マリンがはっとして見ると、ヴェルが左手を抑えて苦悶の表情をしているのがわかった。
「ぐっ……」
「ヴェル……。手、見せて!」
ヴェルの手は魔法によって焼けただれている。そこにあった紋章は火傷により、大半が欠損した状態だ。
しかし、そこから流れる血はまだ止まっていない。
「酷い……! 何か、何か切るものない? あっ、剣貸して!」
「何をする気だ……?」
「いいから!」
マリンはヴェルの腰から抜いた曲剣で服の袖に切れ目をいれる。
そして、一気に引き千切ると、その布をヴェルの手をきつく結んだ。
「これで血は止まるかな?」
「すまない。マリン……」
「謝らないで! 私のせいだから……! 私のために……ごめん」
本当は屋敷から連れ出してくれて……それだけでよかった。
最初はヴェルまで追われる身になってほしいとは思わなかった。
だから、自分を庇って怪我までさせてしまったことに、マリンは唇を噛む。
会ってから一週間も経っていないのに、どうしてこの人は自分のためにこうまでしてくれるのだろう。
そんな疑問が頭を過ぎるが、それをヴェルに問うのは憚られた。
なぜなら、「一緒に来て」と言ったのは自分だからだ。
それに――。
――聞いてしまったら、彼はなんというのだろう?
その答えを聞くのが、なぜか怖い。
誇りのためだというのか、責任を感じているからだというのか、それとも……。
「いいんだ。マリン」
「ヴェル……?」
「君を守るためなら、俺はどれだけ傷つこうと構わない」
「えっ……」
ヴェルの目が、真っ直ぐにこちらを見る。
その瞳に射抜かれて、マリンは息が詰まるような言い表せない情動を感じた。
急な運動をしたからだろうか? ヴェルを巻き添えにして後悔しているからだろうか? 彼の手から流れる血を見たからだろうか?
「ま、マリン。少し痛む……!」
「え? あっ、ごめん!」
気がつくと、マリンはヴェルの手を両手で強く握っていた。
慌てて手を引っ込めて後ろを向くと、顔が熱く感じる。
気がつけば、もう夜が明けていた。
顔が熱いのは強い朝日に照らされたからだと自分を納得させて、空を見上げる。
木々の葉っぱごしに見える空は広い。
このまま、ヴェルと二人でどこまでも逃げていいのかもしれない。
マリンは少し前までは、ずっとあの小さな家で、あの街で一生を終えるものだと思っていた。
それがいつの間にかに領主様のお屋敷で働くことになって、王国に行って、かと思ったら連邦に来て、今は森の中だ。
人生、なにがあるかはわからない。
こんな広い世界を駆けまわっているのだから、少し彷徨うくらいなんでもない。
兄とお嬢様がいないのは寂しいけれど、ヴェルと一緒なら――。
――一緒なら……なに?
と、考えた瞬間、風を切り裂くような音と、土砂を噴き上げる衝撃があった。
「きゃあっ!?」
『シーヴェルト卿! 貴様は国家反逆罪に問われている! その女を引き渡さずは極刑に処す!』
「くっ……! やはり血痕を辿られていたか……!」
目の前に降り立ったのは三騎のゴーレムだ。
先頭に立つゴーレムは隊長格なのか、他の二騎とは形状が違う。
そのゴーレムは頑強そうな骨格に、大きな砲を携えて、その砲口をこちらに向けていた。
マリンを庇うように前に立ったヴェルが声を張り上げる。
「彼女は渡さん!」
『では、その女と共に死ぬか!?』
「彼女は【巫女】だぞ!」
『だとしても、守護騎士ではない我々には関係はない。殺したとて、どうせすぐに他の女が選ばれるであろうよ』
「神樹の恩寵でこの国が成り立っていることも忘れたか!?」
『神樹が我々を生かしているのではない! 我々が神樹を管理しているのだ! 貴様と話す舌などもう持たん! おとなしく死ねッ!』
怒号と共に砲口に光が灯った。
ヴェルがすぐさまこちらに飛びついて、抱きしめられる。
その瞬間、マリンには時間の流れが鈍化したように感じられた。
死にたくない。生きたい。けれど、このまま生を終えてもいいと、いなくなってしまってもよいと思えるのは、自分を包んでくれるこの熱のおかげだろうか。
仕方がない。ここまで頑張って生きてきた。お母さんとお父さんがいなくて、寂しくても生きてきた。
ヴェルも頑張ってくれた。最後にこうしていられるのもヴェルのおかげだ。
でも、だけど、心残りがないなんて言えない。だってお別れを言えない。ずっと私を守ってくれた、守ってきてくれた人に……。
――会いたい。会いたいよ。私の一番尊敬する、あの人に……!
マリンはぎゅっと目を瞑って、これから来る痛みを待った。
轟音と共に衝撃があって、瞼に溜まった涙が垂れる。
だが――。
『まだ俺は良いとは言ってないぞ! マリン!』
「えっ……?」
――痛みは来なかった。
代わりに聞こえたのは、愛おしく、聞きなれた声だった。
目を開くと、目の前に黒髪の巨大な少女が立っている。
その肩に花びらのような装甲を広げて、マリンを消し飛ばさんとしていた光を弾き飛ばしていた。
『その男も! ここで死ぬのもな!』
「あっ……ああっ……! お、おっ……!」
声が震える。涙が止まらない。こんな状況なのに、笑みが零れてくる。
――来てくれた。やっぱり来てくれた! 幼い頃からの私の、私だけの英雄……!
「お兄ぃぃぃぃぃっ!」
マリンは力いっぱいに、その呼び名を叫ぶのだった。
◇ ◇ ◇
『二人とも屈んでろ! ――よっと!』
「うあっ!?」
「きゃっ!?」
ゴーレムの砲撃から守ってくれた王国の漆黒のドールから声が聞こえ、シーヴェルトはマリンを抱いて身を小さくした。
すると、地面を削る音がして、柔らかく、そして素早く巨大な手の中に包まれる。
一瞬の暗闇から一転、周囲が明るくなると、ドールの胸部が目の前で開くところだった。
その中で待ち受けていたのは、マリンと目元がよく似た黒髪の青年だ。
「お兄っ!」
「マリン!」
マリンが勢いよく飛びつくと、青年はしっかりとその華奢な体を抱き止める。
それを見て、彼がマリンの兄であると実感すると共に、自分の役目が終わったと感じてシーヴェルトは全身の力が抜けた。
ひとしきり兄妹の再会を噛みしめた青年は、マリンの肩越しに視線を送ってくる。
「本当なら部外者はご遠慮願うんだけどな。今までマリンを守ってくれた礼だ。乗れよ」
「あ、ああ……」
シーヴェルトは言われるがままに身を乗り出すと、青年が手を伸ばしてきた。
その手を握り返すと、強く引っ張られる。
感じたのは、戦い慣れした雰囲気だ。握力や腕力という簡単なものではない。実戦を経験したものだけが感じられる圧のようなものだ。
それは、前部座席に座っている銀髪の女性からも感じられる。
「悪いけどマリンにシートベルトをつけてやってくれ。わかるか?」
「ま、任せてくれ」
バシュっという音と共に展開された予備座席にマリンを座らせ、シーヴェルトは手間取りつつもシートベルトを固定した。
その間、青年は座席側面に配置されたボタンへと高速で指を走らせている。
『貴様が逃げ出したという【凶鳥のメスガラス】か』
「勝手に変な名前つけてんじゃねー! ややこしくなるだろうが!」
『ふん、【巫女】を確保して、外交の道具にでもするつもりか?』
防盾を構えたドールに対し、ゴーレムは砲を構えたまま引く気はない。
すると、マリンが身を乗り出して、青年に話しかけた。
「お兄、どうして……?」
「聞いて驚け、見て二度驚け! 実はな、空飛ぶ船を手に入れて、その無人機でお前らを――」
「そうじゃなくて、戦争になっちゃうかもしれないんだよ? 私一人のために、こんな……」
消え入りそうな声でマリンが言うと、青年は鼻で笑う。
「戦争? 外交? 知らねーよそんなの。国だろうが、世界だろうが、お前を天秤にかけたら宇宙までブッ飛ぶくらい軽いんだわ」
『そこまで【巫女】が大事か。異邦人』
その言葉に、青年はおろか、前部座席に座る女性までもが笑い声を上げた。
どこか狂気を孕んだその笑いに、シーヴェルトはぞっとする。
「ははっ! いいか? お前らはやっちゃいけないラインを超えた。この意味がわかるか?」
『貴様の理念など知るものか!』
「いいね。それでいいよ。覚悟が出来てるならいい。俺はな……」
ゴーレムとドールが同時に身を屈めた。
始まる、とシーヴェルトは咄嗟に補助席の取っ手を掴む。
「スーパーシスコンなんだよッ!」
叫びと同時に、青年が――いや、女性もレバーを押し込んだ。
衝撃があって、騎乗席内の風景が一気に大空へと切り替わる。
「きゃあああっ!?」
急激な加速にマリンが悲鳴を上げるが、シーヴェルトは青年たちの手元から目を離せなかった。
示し合わせるまでもなく、同じ動作を精密に行う騎士たちの戦いに、心が躍る。
『なんだあの上昇性能は!?』
『撃ち落とせ!』
ピピッという音がして、風景の中で水色の軌跡を描く複数の物体が強調された。
放てば目標を追尾する、疑似的に作り出した魔法生物――精霊弾だ。
それが近づく中、別方向からも二騎のゴーレムが飛翔し、手に持った銃を連射してくる。
と、認識した途端に上下が入れ替わり、地面を上方に見た状態で騎士たちがレバーのボタンを弾いた。
そして、女性は左の精霊弾へ、青年は右のゴーレムへ首を向ける。
しかし、手元の動作は完璧に同期していた。
精霊弾は左袖から放たれた連射により撃墜され、ゴーレムは右手に持った銃剣の射撃――それもたった一発ずつで沈められる。
そのとき、警報が鳴った。
『覚悟ォォォッ!』
後ろだ! そう叫びそうになったが、すでに二人は同時に後方へと振り返っている。
シーヴェルトは見た。その表情が愉悦を感じているように口端が吊り上がっていることを。
人間とは思えない反応速度でぐるりと回ったドールが、いつの間にかに変形した銃剣を振り抜く。
その回転でシーヴェルトの体は振り回され、騎乗席内の壁に打ちつけられた。
鋭い音がして、隊長格のゴーレムとすれ違う。
次に見た光景にシーヴェルトは打ちつけた肩の痛みも忘れるほど絶句した。
ドールの背後で、ゴーレムが持った刀ごと真っ二つになり、地面へと落下していったのだ。
――なんという技量、精度、力、速さ、全てが圧倒的だ。
「これが、ドールの力……!」
「いいや、違うね」
思わず呟いたシーヴェルトの言葉に、青年が反応する。
「お兄ちゃんの力さ」
おおよそ人の兄とは思えない凶悪な笑みを浮かべて言う青年に、女性が微かに笑うのをシーヴェルトは聞くのだった。
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