第88話 その傷は癒せない
「んぅ……?」
マリンはいつの間にかに寝入っていた眠りから、ふと目を覚ました。
まだ外は完全に日が昇っているわけでもなく、誰かに起こされたわけでもない。
ただ、大きな音と地震があった――気がする。
確証はない。だが、何かが起きたという朧げな記憶と、頭に訴えかけてくる感情がそう言っていた。
解放感ともいうべき感情を、マリンは感じている。
それは言葉にならない、声のようなものだ。
まだ生まれたての赤ん坊のような声で、けれど一つの事実ははっきりとしていた。
――自分はその声の主に求められている。
なぜ自分なのかはわからない。いつからこの声が聞こえるようになったのかもわからない。この声に従うべきなのかもわからない。
それでも、マリンは思うのだ。
生まれた命が誰にも祝福されないなんて悲しい。せめて自分だけはこの子を祝福してあげよう、と。
マリンは右手の甲をさすりながら、沸き上がる慈愛のような心で祈るのだった。
そのとき、ゆっくりと部屋の扉が開く。
入ってきたのは片手に何かの容器を持ったヴェルだった。
「マリン? 起きていたのか?」
「うん。なんか地震なかった?」
「そうか? 何かまた強い光が空を奔ったのは見たが……」
ヴェルは言いながら、容器を小さなテーブルに置いて、外を見る。
だが、マリンは香ばしい香りを放つその容器に目を奪われていた。
「何買ってきたの?」
「ああ、夜店の売れ残りしかなかったが、一応食事を買ってきた。だが――」
「食べたい!」
まだ朝食の時間には早いが、深夜に起こされて動き回ったおかげでマリンの胃は空腹を主張している。
マリンはさっそく容器の乗ったテーブルを、テキパキとベッドの近くに移動させた。
ついでにベッドとは反対側に椅子を置き、これで二人分の座る場所を確保する。
「冷めちゃうよ! 早く食べよ!」
「あ、ああ……」
ぐいぐいとヴェルを引っ張って椅子に座らせると、マリンはベッドに座った。
少し狭いが、テーブルがあってよかったと思いつつ、袋を開けて見る。
そこには――。
「うわぁ。真っ赤っかだ!」
――見るからに辛そうな料理が広がっていた。
「……それしかなかったんだ」
ヴェルは露骨に残念そうに額に手をやる。
マリンはそれを不思議に思いつつ、ヴェルの分を彼の目の前に置いて、この国の文化に倣った祈りの形を手で作った。
「せっかく買ってきてくれたんだし、食べよ?」
「ああ。だが無理そうなら米だけでも――」
「じゃあ、イタダキマス! あーん」
パクっとスプーンで口に含むと、まず旨味が広がる。
その後から燃えるような辛さが襲ってきた。けれどそれが……。
「美味しい!」
「んな!? 大丈夫なのか!?」
「え? 全然美味しいけど……」
ヴェルは懐疑的な目でこちらを見てくる。
何がそこまで彼を消極的にさせるのか、マリンはわからず小首を傾げた。
その仕草を見てか、シーヴェルトは意を決したように息を吸った後、同じように口をつける。
そして――。
「ブフォッ!? ゴホゴホッ!」
――思いっきりむせた。
「ヴェル!?」
「や、やっぱり辛いじゃないか! ゲホゲホッ!」
「み、水飲んで!」
「いや、水よりもこっちの……ゴホッ! んぐ……辛さにはこれに限る」
ヴェルは一緒に買ってきていた白い液体を飲んで、急激に噴き出してきた額の汗を拭う。
「んふ……。もしかして、辛いの苦手なの?」
「得意ではないだけだ!」
「ンフフッ」
ああ、まずい。笑いが堪えられない。
マリンは抑えていた笑いを、ヴェルの強がりによってついに爆発させた。
「ふふ、あはは!」
「わ、笑うな」
「だ、だって……! いつもは強そうなのに、この国の生まれなのに辛いの苦手って……! あはは!」
ヴェルは強い。それはいつも纏っている雰囲気と、ここまで逃げてきたときの戦闘からもわかる。体の強さだけでなく、心も強いのはマリンも感じていた。
だが、そんな男の子にも、弱い部分もあるのだとわかって、つい笑ってしまったのだ。
いや、そうじゃないのかもしれない。誰にだって弱い部分はあって、ヴェルは自分を不安にさせないためにいつも強がってくれていただけなのかもしれない。
兄もそうだった。両親がいなくなって、兄だって寂しいだろうに、気丈に振舞ってくれた。
したこともない料理を頑張って、働いたこともないところで踏ん張って、自分を飢えさせないでくれた。
そんな兄の姿が、ヴェルに重なる。
「ふふっ、楽しいね。ヴェル」
「俺が苦しんでいるのがか……?」
「ううん、こうやって誰かと食べるの。やっぱり楽しいよね」
不思議と零れてくる笑顔をヴェルに向けると、彼は息を吐いて肩の力を抜いた。
その仕草に、マリンは嬉しくなる。
せめて、二人っきりの安全な場所でいるときだけは、素のままでいてほしい。
「ああ、そうだな」
「そうだよ」
向かい合わせで互いの目を見つめ合いながら、マリンは遠く、兄と二人で生活していたあの小さな家を思い出すのだった。
そのとき――。
「きゃっ!?」
――音と共に衝撃があって、部屋全体が大きく揺れた。
見れば、窓の外にゴーレムが着地している。
その目は水晶で出来ているが、こちらを見ていることは明らかだった。
『シーヴェルト・バーシン! おとなしくその巫女を引き渡せ! すでにここは包囲している!』
「くっ……! 見られていたか!」
ヴェルは歯噛みすると、すぐさま立ち上がり、窓を開いた。
そして、こちらを見て、目で促してくる。
「マリン、行くぞ!」
「うん!」
ヴェルが窓を開いた時点で、マリンには彼が何をしようかわかっていた。
マリンは遠慮なくヴェルに飛びつくと、その腕に支えられる。
「うおおぉ――ッ!」
もう怖さはない。きっとこの頼もしい腕は、自分を落とすことなどしない。
ヴェルは雄叫びを上げて、開いた窓から跳躍した。
外にいたゴーレムは咄嗟に腕を伸ばしてくるが、ヴェルの身体能力の方が上だ。
一人を抱えているとは思えない軽やかさでゴーレムの頭を蹴ると、そのまま奥の建物に飛び移る。
自分を案じているのか、着地で深く膝を折って衝撃を和らげて、ヴェルは屋根の上を疾走した。
だが、その奥には建物がない。
ヴェルは唸りつつも、他に道がないことをわかっているのか、大通りに飛び降りる。
すると、建物の影にいた鎧を着た集団が声を上げた。
「いたぞ! 撃て!」
「巫女を殺すつもりか!?」
ヴェルは言いながらマリンを地面に降ろし、食事の前の祈りの形と同じようにパンと手を合わせる。
「神樹に願う! 我らに守りを!」
叫びに、ヴェルの左手の紋章が光るのをマリンは見た。
だが、その光は一瞬で、すぐに収まってしまう。
「なにっ……!?」
ヴェルには予想外の出来事だったのか、驚きに顔を歪めた。
すでに敵はゴーレムが持つ銃を人間大にしたような武器をこちらに向けている。
「マリンッ!」
ヴェルの判断は早かった。マリンを庇いつつ、素早く魔法の詠唱を行う。
背中越しに氷の防壁のようなものが展開されるのをマリンは見た。
同時にけたたましい破裂音と共に、ガラスが割れるような音を聞く。
「ぐあっ!?」
「ヴェル!?」
見れば、ぶらんとヴェルの腕が下がって、そこから赤い液体が滴った。
血だ。
ヴェルは防壁を張ったにも関わらず、手の甲を撃たれたとマリンにもわかった。
それを見て、マリンは一瞬だけ唖然とするが、今できることを頭の中で探る。
――逃げる。それしかない。どこまで行けるかわからないけれど、最後まで諦めない!
「ヴェル! 逃げよう! こっち!」
「ぐっ……!」
マリンはヴェルの腕を引っ張って、近くの建物の影に走った。
幸い、あの銃は連射できるものではないらしく、攻撃は飛んでこない。
「マリン! どうやら俺の守護騎士としての力が失われているようだ……。君だけでも――」
「嫌っ! もう嫌なの! 残されてる側なのはもう嫌なの!」
両親はどこかで、戦って逝ってしまった。
兄に改めて星へ還ったと言われて、それは確信に変わっていた。
マリンにとって、両親の記憶はあまり多くない。
父と母がどれだけ愛してくれていたかもわからないし、どんな思いで逝ったかもわからない。
マリンは思うのだ。
死んでしまったあとに残された人の気持ちは、その人にしかわからない。死んだ人の想いだけじゃ、その傷は癒せない。
――私にはお兄がいた。けど、ヴェルの代わりはいない。ヴェルが死んだら私は……!
マリンは溢れ出る涙を拭う余裕もないまま、ヴェルの手を離さずに走るのだった。
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