カイトウ
「狂気」
気が狂うこと。また常軌を逸した心。
(小学館 『日本国語大辞典 第二版 第四巻』)
一.
私があの人…名前は伏せて、サトウと呼称しよう。サトウと私が出会ったのはもう十年近く前。小学校高学年のクラス替えの時だった。
それまではクラスの異なるただの同学年の人間。それまでサトウと私は全く関わりがなく、たまたまこの時に席が前後となり、話すようになったのが全ての始まりだった。
偶然のこの出会いは私にとって、とても面白いものであった。
小学校高学年、生まれてやっと十年くらいであったのにこの時までサトウと話したことがなかったことが悔しくてたまらなかった。それだけ妙にサトウとうまが合ったのだ。
サトウは特別運動ができたわけでも、飛びぬけて勉強ができていたわけでもない。俗に言われる、“どこにでもいる子ども”であった。子どもにある、いたずらをするとかもやっていたわけではなかったと思う。
ただ、サトウはその時から一際異彩を放っていたことがあった。
それは“何かへの執着心にも似た探求”。およそ十そこらの子どもと思えない様々な知識に驚いて、一度尋ねたことがある。
「サトウは色んなことを知っているんだね」
サトウは笑ってこう答えた。
「知りたいんだ」
「何を?」
「正しさ、を」
「正しさ」
「そう。正しさ」
放課後の教室。図書室から借りてきた本を読んでいたサトウは、しおりを挟んで本を閉じた。
「世の中には私の知らないことがたくさんある。世の中の正しいといわれることをたくさん知ることが、身につけることができたら。私も正しくなれそうな気がするんだ」
まるで自分は正しくないもののように話すサトウに、ほんの少し壁のようなものを感じながら、教えてくれた理由に私はうなずくしかできなかった。
二.
サトウの執着心にも似た探求心は、中学生になっても変わることはなかった。
授業中は教師の進行を妨げることはなく、至極真面目な授業態度であったが、何か気になることがあると授業後や放課後に教師を質問するために職員室に出入りして質問攻めにする姿を良く見かけていた。
「先生。ここの内容ですが…」
「先生、先程の授業の中で言われていたここの箇所についてですが…」
気になったことはとことん確認するその姿勢を、真面目な生徒として好ましく思う教師もいれば、やはり面倒と感じていた教師もいたようであった。
進学してからも相変わらずサトウと一緒に過ごしていた私へ、サトウの質問癖はどうにかならないかと相談してきた教師もいたくらいだった。
逆に私にサトウを見習え、という教師もいたが。
自らの評判が二分に分かれていたのを知っていただろうに、サトウは一切意に介さなかった。
「仮にだよ。先生たちから嫌われて、通知表や内心に影響出たらどうする?」
中学二年の冬のある日。
高校受験の文字が見えてきても、全く在り方を変えなかったサトウ。
放課後。クラスの人間は帰宅しているか、部活動でほとんど教室にいない時間。外からは運動部の声と、吹奏楽部が練習する楽器の音が混ざる日だった。
いつものように教師を質問攻めにしてから教室に戻ってきたサトウは、教師からの評判についてどう感じているか、なんて私から聞かれるとは思わなかったのだろう。質問に珍しく目を丸くして、少し考える素振りを見せた。
見せた、とは述べたが多分考えていたのはほんの数秒、長くて十数秒だった気もする。
若い頃の思い出故か、体感時間が長く思えたのも知れない。
「どうして怖がる必要があるの?」
サトウが続ける。
「私にとって怖いのは“正しいもの”を知れないことだ。知るためなら何と思われても、先生たちへの質問は惜しまないよ」
カチリと黒板の上にある時計の針が進んだ。
私はその時に初めてサトウと友人になった気がした。
周りからは仲の良い二人と思われていただろうが、私の中で、それまでサトウとは“気の合う同級生”から先には進めていない気がしていた。
小学生の時分に感じた壁を持ったまま、今に至っていたと思っていた。
今の今。
サトウが見せる探求心の理由を、揺るがない核を見せて話してもらったことで壁が砕けて“サトウ”という人間に触れることができて、やっと友人になった気がしたのだ。
「そういうスズキはどうして私と一緒にいるんだい?私とつるむことで色々言われてるんだろう?一部の教師からは好かれていないのを分かっているのに」
心底不思議そうに、今度はサトウが私に問う。
「君が友人として好ましいからかな」
どこまでも真っすぐに、ぶれることなく求めていくその姿が。
「私にはないものだから、教師がどうこう言おうと君と一緒にいることが私にとっては大事なんだよ」
勝手に感じていた壁が壊れて、上辺ではなく友人と言える。きっとこれまで教師が何を言っても右から左に流してきたのは、今日この日のためだったと思えるほどに。
「サトウと一緒に過ごす中で私も私にとっての“正しさ”を知ることができるかもしれないし」
夕方五時のチャイムが鳴る。
あかね色の光が差し込み教室の中、あの小学生のクラス替えで初めて話をした日から、今まで見たことのない嬉しそうな表情のサトウが、私の目の前にいた。
以降。
何の因果か高校も一緒だった私たちは変わらず一緒に過ごしていた。“正しさ”を知るためのサトウの姿勢も、サトウを見守る私も何一つ変わらず。
そうして私たちは大学進学で初めて離れることとなったのであった。
「きっとサトウは変わらないんだろうね」
卒業証書を握ったサトウはうなずいた。
「うん。変わらないよ。私はこの先も変わらない」
証書の入った筒が私へ向けられた。
「私は変わらない」
「そして君を変わらない。私と知り合って、私を友人として。私を見守り続けて、私を知ろうとしてくれている君も」
「君が何も言わない、君の性質もこの先きっと変わらない」
高校を卒業後。
私は県内の大学へ、サトウは地元から離れて進学をした。小学校から一緒だった私たちが初めて離れた瞬間だった。
三.
それからサトウは地元で開催された成人式にも顔を出すことはなく、私たちは高校卒業後から何年もお互いに顔を合わせることはなかった。
高校時代に携帯番号とメールアドレスを交換してはいたが、お互いに頻繁に電話をするような性格でもなく、ただ電話帳に登録をされている番号となっていた。
離れてから知ったのだが、サトウは筆まめな性格であった。電話やメールをすることはないのに、何故だか季節の便りは絶えることはなかった。年賀状も毎年毎年送ってくる性格であったらしい。
進学で離れたのは惜しかったのだが、離れないと知らなかっただろう一面を知ることができたのは悪くなかった。
書き出しはいつも時節の言葉から始まる手紙は、サトウらしい細かい箇所を大事にする性格を感じることができた。メールにすれば出しに行く手間もないだろうに。
「大学ではこれまでのような質問をしても丁寧に教授たちが教えてくれるから、とても日々が充実している」
「成人式には久々にそちらに帰りスズキの顔を見たかった。フィールドワークの日程上、参加が難しくなってしまった。なかなかそちらに帰れずに申し訳ないとは思っている。」
「君もバイトや研究で忙しいのに手紙をくれるので、自分も頑張ろうと思える。忙しいのに何年も文通に付き合ってくれてありがとう」
私はサトウと違って至って平々凡々な大学生活をおくっていたので、最近の授業やどんなゼミに進もうと思っていること。バイトであったことなど、代わり映えのない内容しか伝えることができなかったのにそれでも喜んでくれていたらしい。私は私でこの手紙のやり取りで高校以降のサトウの続きを追えるような気がして楽しさを覚えていた。
大学も一緒であったらこのようなやり取りはなかったのだから。
「大学を卒業後はまず日本をあちこち行ってみたい。今の研究に関することだけではなく、自分の知らない物事が多くあるから、それらに一つでも触れたい」
就活の足音が聞こえ始めたとき、そんな将来の展望が綴られていた。ずっと変わらない部分があることに、この時の私は安堵したことを何故か今でも覚えている。大学卒業、就職と世間一般では当たり前の流れに乗ってほしくなかったのかもしれない。
そうしてそれぞれの大学を無事留年もなく卒業し、私は実家を離れた。
実家を離れたけれど地元には残っており、引っ越し先も伝えていたのでその後も文通は続き、ある日届いた手紙にはこう書かれていた。
「もうすぐどこかで久々に顔を見せることになるかもしれない」
四.
顔を見せることになるかも、と綴られた手紙が届いてから数か月経ったと思う。
今度実施される地元の地方自治体首長選挙の候補者として、サトウの名前があった。
文通で大学時代もずっとやり取りをしてはいたものの、顔を見たのは実に高校の卒業式以来。
卒業時よりも当然大人になった顔つきに、小学校の頃からずっと変わらない瞳がやけに印象的であった。
サトウの性格…中身にはあまり変わりないことは繰り返してきたやり取りからも分かってはいたが、選挙演説で核たる本質も全く変わっていないことを知った。
選挙演説でサトウはこう語った。
「今の政治は正しいと言えるのでしょうか」
この首長選挙は任期満期で行われたものではない。一部の地方議員などの不正に関して、首長が責任を取って辞任した後任を決めるための選挙。その選挙演説が解禁された、最初の演説の最初の言葉であった。
通り過ぎようとしていた人々のうち、数名の足が止まったのを私は見た。
憤りを感じて、しかし自分では動くわけではなく。そんな矛盾を抱えた人の心を掴むには十分すぎる演説の出だし。その後はよくある自分が当選した際の公約をサトウは語った。
「若輩者の私ではありますが、皆様と共に“正しい政治”を目指して参ります。どうか応援をよろしくお願いいたします」
サトウは他の候補者と比べてもかなり若い出馬であり、これまでの地盤などもなく、政策自体も弱かったのだろう。“正しい政治”を行うことはなく落選した。
しかしながらあの演説開口一番、迷いなく言い切ったサトウの言葉に賛同する人々も出てきたようであった。
五.
サトウが落選した選挙から数か月後のある日。
いつものように季節の便りが届いた。お互い地元にいるにも関わらず、大学時代からの文通はいまだ途切れることなく続いていた。メールや電話は全くしないのだから、私たちには手紙というツールが肌に合っていたのだろう。
私は仕事、サトウは選挙前後でどうにも時間が取れず、高校卒業以来、ちゃんと話すこともまだなかった。
演説を聞きに言ってはいたから、そこで話せば良かったのだろうが。それはサトウの妨げになるような気がしたのだ。
手紙はこれまでの通り時候の挨拶から始まり、選挙に出たこと。準備が大変であったこと。
政治は自分の肌に合わないことを学んだといった感想の後、次のようなことが綴られていた。
曰く。
選挙で賛同した一人がサトウを代表にした、とある団体を立ち上げたということであった。
その団体は宗教団体とは異なるが“世の中を問う”、“世の中の正しさについて”を考える団体らしい。
あまり表立って何かをするタイプではなかったサトウの学生時代を見ていた私としては、珍しいというのが知らせを見た一番の感想であった。
反して。選挙演説でも語った、サトウが昔から追い求めている“正しさ”をこの先もずっと求め続けるのであれば、こういう団体の存在も手段としてありなのだろうとも。
手紙の続きにはこうあった。
「スズキが今住んでいる地域には関わりがないとは思うが、万が一団体の勧誘が誰かからあろうと絶対に入会を断ってほしい」と。
何度も。何度も念を押すように書かれていた。
いつも届いていた手紙の文章では一度も見たことない、全く異なる、目の前にいたら鬼気迫っていたような文がらしくなく、久々にサトウの人間らしい部分に触れた気がした。
選挙で見たサトウはどうにも作られたようなものに見えて、見るのが辛かったのを悟られたような。
私がサトウの感情に触れるのが好きであることを知っているような。そんな文章に、私は口元が緩んだのを実感していた。
そのうちにサトウの団体本部から離れたこの場所でも加入者が出てきたのだろう。
街中で団体のチラシが配られ、道の途中で数回勧誘をけることになった。団体には興味があったのでチラシを受け取りはしたが、手紙で念を押されたように勧誘だけは何度受けても断り続けた。
あの一文の意図が。拒否の真意がはっきりとは分からないまま、季節の便りが二回届いて、更に半年が過ぎた。
直近で届いた手紙にはこうあった。
「そろそろ長い間抱え続けていた問いに答えを出そうと思う」
相変わらずメールも電話もすることはなく、顔も合わせることはない中で届いた手紙だった。
六.
問いの回答を出す、とあった手紙から数日後。気候も穏やかな晴れた日の昼下がりであった。
その団体本部にて、サトウは幹部を中心に人を集めて問うた。
「あなた方がずっとここの代表に据えている私は、本当に正しいのでしょうか」
「私が正しいのであれば、その保証はあなた方ができるのでしょうか」
「私は私自身の正しさをこれまでずっと問うて、いまだに問うて問うて。問うて。何の保証もできないのに」
「仮にあなた方が私の正しさを保証してくれるのであれば、そのあなた方の正しさは一体何が。誰が。何を理由に保証してくれるのでしょうか」
「まだ正しさを見つけられていない私のような人間を代表として、ついてきている、あなた方が保証できるのでしょうか」
「私の中に正しさを見出したからこそ、あなた方は異論なく異議なく、迷いなく、ついてきたのでしょう?」
「私の正しさとは。一体何なのでしょうか」
言葉を浴びせるように。畳みかけるように。団体本部に集めた人間へ問い質したらしい。
元々サトウの選挙演説で酔心したような人々であること。人々を問い詰めるように。それなのに天気や世間話をするような明るさで。延々と同じ言葉を、問いを繰り返されたことに精神が耐えられなくなった人たちが出たらしい。
信じていた物事を根底から崩され、自分の考えを否定されたような。サトウを盲信していた人ほど詰められるようなその問いに耐え切れず、俗に言う“狂った”状態になってしまったのだろう。
本部施設のものを使用して設備を破壊、中にいた他の人間を殺害。そんな錯乱した状態の人間でも信じていた代表へ手を出すことはできなかったらしい。
まさに混乱としか表せないその状態を見て、サトウは服毒して自死をした。
残された正気の人々は物陰などに隠れ警察を待ち、耐え切れなかった人々の一部は自死を。
一部は駆け付けた警察により確保された。この事件のニュースを見た私は先日届いた手紙の一文の意味に気がついた。
そして悟った。
サトウの自死は、団体の人々へ投げても問いに対する答えが。望むような答えが得られなかったことに対しての諦めと、絶望と悲しみだったと。
報道番組にてサトウは狂っていて、その狂気が団体に広がった果ての事件とする意見が多数であった。確かにサトウは狂っていたと言われても仕方がないだろう。
自分一人の中で押さえていれば“変わり者”であったのに、第三者に害が及んでしまえばそれが狂気とされてしまうのは当然である。
それだけのことをした。
おそらくサトウが誰も傷つけず、あの性質を何らかの形で活かしていれば、生まれ持った好奇心と探求心に引きずられすぎなければ、いまでもあの団体は人畜無害のものとして続いて、今でも代表のままであっただろう。世間から少し変わった団体、その代表をする変わり者とされただけだったろう。
自身の行動原理でもあったどうしようもないあの性質が第三者を巻き込み、害してしまった瞬間にサトウは狂った人間、狂人となってしまった。
サトウは狂っていたのかもしれない。
何かに取り憑かれたように“正しさ”を求め続けたために。
七.
サトウの事件から一週間経った頃。
私の元にサトウの名前で宅配便が届いた。
届いた小包の中には手紙が一通。わざわざ小包にしたのは日付指定をしたかったと、いつもの時候の挨拶から始まった手紙に綴られていた。
手紙はサトウの気持ちが様々記されていた。
長年自分の正しさについて考えてきたこと。それも私と出会う小学生の頃よりも以前から。
団体の代表を引き受けたのも、そもそも団体の立ち上げを許可したのも、人が集まればその中から誰かから答えを得られるかもしれない。その考えがあったこと。
答えが出なければもういいと思っていたこと…自分がおかしいのはずっと自覚していたから、もういいと思ってしまったと。
そしていつかの手紙へ絶対に団体の勧誘を断るよう、書いていた理由も記されていた。
私がサトウの在り方を決して否定しなかった。かつサトウに流されるでもなく。
サトウの問いに対して「何故だろうね」と返してはいたが、まるで興味がない回答ではなかったこと。これらの反応がそれまでのサトウの周りにはいなかった。
あのクラス替えと高校卒業時のやり取りがなければ、サトウはもっと早くに何かをしようとしていたと。
私がサトウの周りにいなかった貴重な人間であったから、手紙のやり取りをずっと続けたし、団体には巻きこまれてほしくなかったと。
(余談だがメールと電話をしなかったのは、単にサトウの性格的に向かなかったらしい。)
巻きこまれて、もしも私が変わることがあれば、それこそサトウには耐えられなかったと。
「君は私の在り方を見て、私がどうなるかを見るのが昔から好きだったのを知っている。私がいなければ多分君の性質はずれることはないはず」
「自分からのこれまでの手紙と、この手紙はどうか捨ててほしい。見つかったら君は警察に連れていかれてしまう」
「そしてこれが私から君への最後の言葉」
「どうかこれからも息災で」
最後に私を気遣う一文で手紙は締められていた。
手紙をそっとファイルへ収納し、私は声を上げて笑った。
ああ。ばれていた。
そうだ。私はサトウが好きだった。
サトウの在り方を見るのが。その先がどうなるのかを見るのが好きだった。遅かれ早かれ、サトウは何かをするのではないかとあのクラス替えの時に見て、感じたその時から。
私はサトウを好きだったのだ。
特別言葉にしたことはなかったのに、サトウは私のこの癖に気づき、それでもずっと文通をしてくれて、団体の勧誘を止めるくらいの位置に置いてくれていたのか。
私の在り方も正しさの一つと、きっとサトウはそれくらいの気持ちでいたのだと思うと、声を出して笑うしかなかった。
そうして、ひとしきり笑ったあと。
携帯の電話帳から、高校同級生の番号を見つけて私は電話をかけた。
「あ、もしもし。久しぶり。そうそう、サトウのことは…うん…」
「ところでさ」
「サトウって、本当に狂ってたのかな」
電話の向こうの同級生へ、私はこう尋ねた。
理由はただ一つ。
最後の手紙でサトウが指摘した私の性質がゆえに。サトウの先をどうしても知りたくなってしまったがゆえに。私自身の興味を満たしたい、ただそれだけのために。あの事件みたいにならないように考えながら、私は同級生に問いかける。
サトウが諦めた問いの答えを見つけるのが、しばらく私の人生の目標となりそうだ。
答えが見えた時、私は一体どうなるのか。どうなってしまうのか。
いつかの未来を楽しみにしながら。
〈終〉
自分の中で「狂気とは」というのを数年前にふと考える機会があり、生まれた作品です。
ここからオムニバス『あわせ鏡』も生まれました。
同音異義の「きょうき」詰め合わせセット、少しでもお楽しみいただければ幸いです。