エピソード1:年末の魔物④
時は戻り、時刻は18時40分頃。
政宗は仙台駅のステンドグラス前で、先程連絡を取り合った女性――庄司翔子を待っていた。
電話で簡単に話をしたところ、どうやら母方の祖父――その存在すら知らなかった――が亡くなり、金額は多くないが、保険金を含めた遺産相続の話が持ち上がったらしい。
祖父の配偶者――政宗の祖母にあたる女性――は存命なので、彼女に半分、そして、その子ども――政宗の母親――にその半分、孫には母親の更に半分の相続権がある。
子どもにあたる彼らの母親は既に亡くなっており、他に兄弟がいないので、今回は配偶者と孫が相続対象になるとのこと。
『私と……双子の弟がいるんですけど、2人で相続放棄の手続をしています。おばあちゃんに全部あげて、施設に入ってほしいんです』
さり気なく凄まじい事実が明かされたような気がするが、そこをほじくり返すと余計な手間を取られそうだと思い、政宗はスマートフォンを強く握って自制した。
そして、彼女がコンタクトを取ってきた目的を確認する。
「なるほど……それで、俺からも同じ一筆が欲しい、と」
『そういうことです』
「事情は分かったけど、流石に電話だけで信用できる話じゃないよね。一度会って話をすることが出来ればとは思うけど……というか、今、どこにいるの?」
電話の向こう側は、政宗が思った以上に雑多な空気が伺えた。週末に関東出張を覚悟した彼へ、翔子は意外な答えを告げる。
『仙台駅の中にあるスタバです』
「仙台駅!?」
思ったよりも近くからコンタクトを取ってきた事実に、政宗は素っ頓狂な声を上げた。一方の翔子は「はい」とどこか得意げに頷いて。
『大学のゼミが終わって、新幹線使ってきました。じゃあ、今から会えますか?』
と、いうわけで、急に増えた身内と会うことになった。ただ、本当に血の繋がりがあるかどうか、確証はない。
そのため、彼女の『因縁』を見て、それが自分の持っている1本と同じならば間違いないし、異なっている場合は検討するフリをしてやり過ごし、調査を入れようと決めていた。
待つこと数分。多くの人が待ち合わせをしているところで、自分の方へ慎重に近づいてくる気配に気付いた政宗は……余所行きの表情と声色をインストールした後、穏やかな笑顔でそちらを向いた。
同時に瞬きをして、視える世界を切り替える。
そして。
「――初めまして。庄司翔子さん、ですか?」
彼女の顔と共に頭上の『因縁』を確認し、2本のうちの1本が、自分が鏡で嫌というほど見てきたものと同じであることに気付き……政宗は、引きつりそうになる頬を必死に制止していた。
その後、落ち着いて話が出来る個室付の居酒屋――事前にネットで予約済――へ案内した政宗は、翔子を正面へ座らせて、にこやかにメニューを差し出す。
「ここは俺が払うから、好きなものを頼んでいいよ。交通費もかかっただろうし」
「ありがとうございます。うわぁ、何にしようかな……って、クジラ!? クジラって食べるの!?」
メニューを目で追っていた翔子が、驚いて目を丸くした。毛先にパーマを当てたセミロングの髪の毛と、黒いニットにチュール素材のロングスカート。今どきの、明るい印象の女性だ。先ほど確認した『因縁』と彼女の言動から、わざわざ嘘をついてまで近づいてきたとは思えない。
だからこそ、ここで対応を間違えるわけにはいかない。政宗は仕事の時と同じ雰囲気と口調で、相手を接待するように、にこやかに声をかける。
「宮城では捕鯨をやっているところがあるから、割とメジャーな食料だよ。癖もないし、気になるなら注文してみていいんじゃないかな」
「へー、そうなんですね。あー、でも、やっぱ宮城なら牛タンかなぁ……正治には悪いけど、先にお兄ちゃんにゴチになっちゃおうっと」
翔子がどこか楽しそうに呟く言葉に、政宗の口元が引きつったが……すぐにそれを定位置に戻し、話を切り出すことにした。
「単刀直入に聞くけど、俺のこと……どうやって調べたの?」
「調べた? あー、まぁ確かに、実の兄が偽名まで使って、ちょっと胡散臭い商売をしているとは思いませんでしたけど」
身内だから安心しているのか、翔子の言葉に少しだけ遠慮がなくなる。とはいえ、政宗はまだガードを一切外していない状態なので、営業スマイルのまま釘を差した。
「なるほど。俺のこと馬鹿にしてるなら、割り勘でもいいよ?」
「あぁぁスイマセン、そうじゃないんですけど、流石に初見で疑うじゃないですか。『良縁協会』ですよ、結婚相談所でもなさそうだし」
メニューを見ながら顔をしかめる翔子へ、政宗が改めて問いかける。
「それで……俺の質問に答えてくれないかな。流石に見ず知らずの女性から『お兄ちゃん』なんて呼ばれると、疑っちゃうからね」
先ほどの翔子の言葉を少し嫌味っぽく引き合いに出してみた。一方の彼女はそんな政宗の気持ちなどどこ吹く風。机上のスマートフォンを一度確認した後、あっけらかんと口を開く。
「私も正直、難しいことはよくわかってないんですけど、遺産相続の手続きに、戸籍が必要らしいんですよ。それで私と弟の戸籍を取り寄せなきゃいけないねって話になった時、おばあちゃんが、実はお母さんには前の旦那さんとの間に男の子が1人いるって言い出して。いやー、びっくりしました」
「そうなんだ。それで?」
「んで、おばあちゃんの昔の年賀状から、宮城にいる佐藤さんっていう人のところにいることは分かったんですけど、連絡、取れなくて。弁護士さん、だったかな、とにかく書類関係を任せている人に調べてもらったら、佐藤さんが亡くなっていることが分かりました。そこから……なんか色々、佐藤さんを知っている人にこちらの事情を話して協力してもらったら、お兄ちゃんが『佐藤政宗』っていう名前で働いていることが分かったって連絡があって。なんか、みんないい人だったらしいですよ。伊織君に……あ、本名は伊織っていうんですよね、とにかく伊織君に血の繋がった家族がいたなんて、って、喜んでいたそうです」
彼女にしれっと自分の本名が知られていることを悟り、政宗は内心で盛大に頭を抱えながら……何とか笑顔で警告をした。
「なるほど……急に申し訳ないけど、俺がいない場所で、不必要に本名で呼ばないでね。場合によっては訴えるから」
「えぇー!? いいじゃないですか。伊織って可愛い名前ですよ」
「……」
政宗は今すぐ立ち去りたい衝動を必死に抑えつつ、店員を呼ぶボタンを押した。そして、適当につまめるものとソフトドリンクを頼んだ後、改めて翔子に念を押す。
「悪いけど、本名は表に出したくない情報なんだ。お兄ちゃんでも何でもいいから、とにかく本名では絶対に呼ばないで。でないとサインしないよ?」
笑顔でしっかり圧をかけると、流石に気後れした翔子が「わ、分かりましたよ……」としっかり頷いて。
「じゃあ……お兄ちゃん、サインしてくれるんですか?」
「別にいいよ。ただ、俺側で用意しなきゃいけない書類もあるだろうから、そういうのが分かる一式を、その弁護士さんから、ここの住所に送るように伝えてくれる?」
政宗はそう言って、自身の名刺を翔子へ渡した。悪いが、自宅の住所を教える気にはならない。
翔子が名刺を財布に片付けた瞬間、ソフトドリンクが二人の前に運ばれてきた。翔子はコーラを飲みつつ、ウーロン茶にストローをさしている彼を見やり。
「単刀直入に聞きますけど……お兄ちゃん、結婚ってしてませんよね?」
「そうだね」
「ご予定は? そういうお相手は?」
「どうしてそんなことを? 結婚式に呼んでほしいとか?」
「まぁ、それも少しはあるけど」
「あるんだ」
今どきの若い子はグイグイくるな、と、内心で称賛していると……翔子はチラリと彼を上目遣いで見つめた後、声のトーンを下げる。
「実は……おばあちゃん、あんまり体の具合が良くなくて。病院に併設されている施設に入れてあげたいんですけど、その……お金が足りないっていうか……」
翔子はそう言って、チラリと政宗を見た。
政宗はあえて視線を彼女へ向けず、届いた飲み物を一口すすってから口を開く。
「そのための相続放棄なんじゃないの?」
「それもそうなんですけど……仮に入れたとしても、毎月の利用料が高くて、我が家もだいぶ厳しいことになってしまうみたいで」
「じゃあ、もっと無理のない施設を探す必要があるんじゃないかな。関東だったら選択肢も多いだろうし、行政にも相談するといいよ」
何となく彼女の言いたいことは察しているが、それを自分から引き出す気にはならない。
のらりくらりと一般論を告げる政宗の態度に翔子が我慢できなくなるまで、さほど時間はかからなかった。
「そうなんですけど!! お兄ちゃんはおばあちゃんが可哀想だと思わないんですか!?」
言われると思っていたし、身構えていたけれど……実際に口に出されても、政宗の感情は驚くほど動かなかった。
可哀想? 誰が? そんな気持ちさえ湧き上がる。
「どうして? 急に増えた親族にそこまでの情は、悪いけど……」
「だってお兄ちゃん、お母さんともおばあちゃんとも一緒に過ごしてますよね!? 少なくとも、おばあちゃんにはお世話になった実績があるじゃないですかっ!!」
感情のままに捲し立てた翔子は、気持ちを落ち着かせたくてコーラをすすった。そして、一度息を吐いた後……どこか、恨みがましい視線で政宗を見やり。
「私は……お母さんのことは何も覚えていないし、おばあちゃんはずっと、具合が悪かったから……一緒に遊ぶとか、全然、できなくて。だから、おばあちゃんがお兄ちゃんを預かってたって話、聞いて、羨ましいなって――」
刹那、政宗は荷物を持って立ち上がった。
そして、閉ざされた扉を――前を見つめたまま、口を開く。
「……ここまでの食事代は払っておくから。これ以上は自己負担で」
「えぇっ!? ちょっ……まだ話は――!!」
「――ごめん。悪いけど……これ以上君の話を聞きたくないんだ。書類だけ送ってくれれば手続きはするから、それだけよろしくね」
一方的に告げた後、政宗は個室を後にした。そして、レジにいた店員に事情を説明して会計を済ませた後、逃げるように店の外へ飛び出す。
既に日が落ちているため、冬の冷たい空気が通り抜けていく。火照った頬に丁度よかった。
これ以上、あの場にいたら。
これ以上、彼女の話を聞いていたら。
自分は……どこまで、冷静でいられただろうか。
「羨ましい……か」
駅へ向かう人並みに紛れながら、先程の単語を繰り返す。
そして、誰にも聞こえないように……冷たく吐き捨てた。
「……ふざけんな」
彼からあらましを聞いたユカは、口の中に残った米をお茶で流し込み、心からの同情心で声をかける。
「それは……お疲れ様」
ユカの言葉に「ああ」と息を吐いた政宗は、心底疲れた声音で呟いた。
「マジで疲れた。価値観と認識が違いすぎてる。できれば……書面以外で関わりたくないな」
すると、彼の正面に座っている統治が、確認するように問いかける。
「先方は納得してくれると思うか?」
この問いかけに、政宗は力なく、首を横に振った。
「……分からない。彼女の話を信じるなら、双子らしいからあと1人いるはずだけど、そっちがどう出るのかも分かんねぇし……ただでさえ忙しい時期になるから、余計なこと、考えたくねぇんだよな……」
「佐藤の事情は把握した」
彼の本音を確認した統治は、努めて冷静に言葉を続けた。
「わざわざ仙台までやってくるような女性だ。これで終わるとは思えない。もしも周囲で気になる動きがあったら教えて欲しい。業務に差し支えるようなら……」
「分かってる。そうならないことを祈るよ」
政宗はこう言って、少しぬるくなった味噌汁をすすった。
翌日、時刻は朝の8時30分を過ぎた頃。
ユカと政宗は仙台駅から『仙台支局』があるビルへ向けて、ペデストリアンデッキを歩いていた。
曇天と冬の冷たい空気の下、出勤や通学をする人がぞろぞろと行き交っている。関係者の通用口から入るために、少し奥まった位置の階段を下りつつ、ユカはカバンの中から入館証を取り出して、身をすくめた。
「うー……北風が寒かねぇ……」
「仙台は風が強いからな。ケッカも風邪引くなよ」
「分かっとるよ。政宗と一緒に――」
一緒にしないでほしい、そう言いかけたのだが、階段の途中で不意に足を止めた政宗につられ、ユカも思わず足を止める。そして、彼がどこを見ているのか、視線を追ってみると……。
階段の下で、こちらを睨むように見上げている女性が1人。
間違いない、ユカがそう思って身をすくめた次の瞬間、彼女――翔子がツカツカとこちらへ近づいてきた。
そして、数段下からユカの手元……にある入館証を視認し、一気に眦を釣り上げる。
「山本、って……え!? 昨日、電話に出たのって小学生だったってこと!?」
「あー……」
ユカが言い訳を探して政宗に視線で助けを求めると、彼は苛立ちを必死に笑顔で覆い隠そうと奮闘しつつ、努めて明るく声をかける。
「おはよう。こんなところまで……わざわざどうしたの?」
「いやいや、それよりも、いお――」
「――ん?」
「いっ、お……お、お兄ちゃん、私のことより、どうしてこんな子どもを雇ってるの!? やっぱりやばい組織じゃん!! 信じられない!!」
これ以上騒がないでほしい、関わらないでほしい、政宗は焦りと怒りを必死に制御しながら、事務的に口を開く。
「そうだね。だから……今後は書面でのやり取りだけにしよう。それがお互いのためだと思うよ」
ただ、困惑している今の翔子には、何を言っても焼け石に水だった。
「わ、訳分かんない……こんな子どもを学校にも行かせずに雇ってるなんて絶対に怪しいじゃん!! だったらおばあちゃんに援助してよ!! 血が繋がった家族がこんなに困ってるんだよ!? なのに――」
「――帰ってくれ!!」
刹那、政宗の怒鳴り声が周囲に響き渡った。道を歩いていた人々が、何事かと視線を向ける。
客観的に見ると男性が女性に対して一方的に怒っているようにもみえるため、ユカも内心で焦りつつ……今の自分が彼らに何を言っても無駄だということも分かっていた。だから、一度深呼吸をして、彼の上着を強く引っ張り、端的に告げる。
「行こう。人に見られとる」
「……」
政宗は両手を強く握りしめたまま、無言で、翔子の隣をすり抜けた。彼の半歩後ろに続くユカは、形式的に軽く会釈をして、その場から離れる。
通用口から建物内に入り、足早にエレベーターに乗ったところで……政宗は斜め上を見つめ、大きく、大きく息を吐いた。
「……悪い。うまく対応できなかった」
「ううん。あれは……しょうがなかよ。手は出しとらんけん大丈夫。麻里子様やったらぶん殴っとったやろうね」
「何だよ、その励まし……」
彼がかすれた声で苦笑いを向ける。
その表情が、これまでに見たどんな彼よりも痛々しくて……ユカは何も言えなくなってしまった。
相続に関する優先順位は現在の我々の法律を参考にしています。とはいえ、素人の付け焼き刃による作品世界内の設定ですので……もしもご自身がそういう問題に直面した際には、ちゃんと専門家に確認しましょう!!
そんなことよりも!! ブチギレ政宗のイラストは、狛原ひのさんが描いてくださいました!! 嬉しいけど彼の心情を察するとあまり喜ばないほうがいいかな!! 関係ないか!!
これまでの政宗は、笑っていたり、ヘタレモードで焦っている顔が多かったかと思うので、こうしてマイナスの感情をむき出しにしようとして自制している、人間臭い彼を見ることが出来てニヤニヤしています。ありがとうございます!!