エピソード1:年末の魔物③
「はぁっ!? 政宗の、い……妹!?」
初めて聞いたパワーワードに、ユカは思わず大きな声を出した。
そして、時計を見上げる。現在時刻は17時45分。政宗が戻ってくるのは18時過ぎだと聞いているが、営業時間外になるため、本日中のコールバックは出来ない。
そもそも……彼に妹がいたという話を、一度だって、聞いたことが、ない。
ユカは華蓮を連れ立って自席に戻ると、メモ帳とボールペンを引っ張り出した。そして、学生メンバーに「とりあえず資料ば確認しとって!!」と声をかけた後、一度、呼吸を整える。
今は統治もいないため、この場の対応は自分がやるしかないのだ。
「あたしが話してみる。名前とか名乗っとった?」
「ショウジ、と、仰っていました。電話の向こうは女性なので、恐らく名字かと」
「ショウジさん、ね。ありがとう。さて、と……」
ユカは相手の名前をメモの一番上に記載した後、『福岡支局』の事務主幹・徳永瑠璃子の電話対応を思い出しながら、もう一度呼吸を整えた。
そして、落ち着いた喋り方と低い声色を意識しながら、対応を引き継ぐ。
「――お待たせしました。『仙台支局』の山本と申します」
刹那、電話の向こうの人物が、分かりやすく狼狽した。
『えっ……!? すいません、佐藤政宗っていう、男性の支局長さんに話があるんですけどっ!?』
語尾の端々に不満があることがありありと分かる。ユカは内心で面倒だなと思いつつ、努めて冷静な対応を心がけた。
「申し訳ありません。只今佐藤は席を外しておりますので、先程の片倉より承りました。佐藤へは戻り次第、責任をもって申し伝えます。ご要件をお聞かせいただけますか?」
ユカの提案に、彼女は『うーん』と不満そうに呟いた後。
『じゃあ、私の携帯番号を伝えるので、折り返すように言ってくれませんか? あまり、他人に話したくない内容なので』
ユカは一瞬、安易に承っていいのか迷ったが……ここで断って話をこじれさせないほうが得策だと判断し、ボールペンを握りしめる。
「分かりました。では、お名前をフルネームで、次に、電話番号をお願いします」
『……名前は、庄司翔子です。番号は……で。必ず、絶対に連絡するようにお伝えくださいっ!!』
電話口の女性――翔子が口にする情報を復唱しながら、ユカは脳内で彼女の名前を検索し……少なくとも自分は知らない人物だという結論に至る。勿論、政宗が同じだとは思わないが、いきなり電話口で妹だと名乗る女性を信じることも難しい。
「庄司さん、ですね。承りました。日時のお約束は出来かねますが、きちんと――」
『――だから、ぜっったいに今日中に連絡するように伝えてください!! 失礼しますっ!!』
翔子はこう言って、一方的に電話を切った。ユカは口をひん曲げて受話器を見つめた後……それを所定の位置へ戻し、ため息をつく。
「……何なん? 詐欺?」
この電話番号はあまり表に出回っていないはずなのだが……ユカが顔をしかめていると、自席で仕事を再開していた華蓮が、画面を見ながら口を開いた。
「佐藤支局長、妹さんがいらっしゃったんですね」
「どうなんやろうね。あたしは聞いたことがないっちゃけど……」
ユカがメモに記載した情報を見つめて眉をひそめると、衝立の向こう側にいた里穂が、オズオズと顔を出して……状況を探る。
「ケッカさん、政さんに妹さんって……マジですか?」
「どげんやろうね。柳井くん、何か知らん?」
この中で最も情報通であろう仁義に問いかけるが、里穂の隣にやってきた彼もまた、困った顔で首を横に振った。
「僕も初めて聞きました。調べてみますか?」
「んー……」
ユカは数秒間思案した後、メモを手にとって移動し、政宗の机の横に立つ。そして、それを机上に置いた後、衝立の向こう側へ移動した。そして改めて全体を見つめ、指示を出す。
「対応は政宗に任せるけんが、とりあえずこのことは他言無用で。本人が確認して喋りだすまでは、そっとしとこう」
視界の中にいる全員が頷いたことを確認したユカは、過去、彼と交わした言葉を思い返していた。
10年前の夏、福岡の屋上で交わした、こんな会話だ。
――佐藤さん……お父さんやお母さんは、いないんですか?
――いないよ。父親は俺が生まれる前に死んだって聞いているし、母親も……小学生の時に死んだ。俺の母さんは仕事で忙しい人だったから……正直、あんまり印象にないんだ。
あの時の彼は、こう語っていた。その後、宮城の伯父の元で暮らし始めたが、その伯父も亡くなったと聞いている。
これまでの会話を思い返してみても、政宗の口から、妹の話を聞いた覚えがない。
彼に身内がいるのだとすれば、喜ばしいことだと思う。
けれど……。
「……楽しい話だといいっちゃけどね」
ユカがそう呟いた次の瞬間、扉が開く音が聞こえた。
「……は? 妹?」
ユカからメモと共に引き継ぎを受けた政宗は、コートを脱ぎながら思いっきり顔をしかめる。
彼と同時に戻ってきた統治もまた、防寒具を片付けながら訝しげな表情を向けた。
「佐藤、妹がいたのか?」
「たった今増えたところだ」
「普通は増えないんだがな……その名前に心当たりは?」
統治がジト目を向ける中、政宗は険しい表情のまま「正直言うと……」と見解を告げる。
「名字で少し引っかかってるんだ。もしかしたら本名での対応になるかもしれないから、ちょっと外で……車の中で電話してくる」
統治とユカが頷いたことを確認した政宗は、社用車の鍵とスマートフォンを持って部屋から出ていった。その背中を見送ったユカは、視線を時計に向けて……18時を過ぎていることを確認すると、努めて大きな声を出す。
「はい、18時過ぎたけんねー。今日はもうここまで!! 里穂ちゃん、柳井君、心愛ちゃん、森君、こげな時間までありがとう。色々気になるとは思うけれど……さっきも言った通り、政宗が納得して話すまで、そっとしといてあげてね」
ユカなりに言葉を選んで告げると、いち早く反応するのは里穂だ。
「分かったっす。とりあえず、12月が終わるまでは風邪引かないようにするっすよ。クリスマスも冬休みも寝てるなんて冗談じゃないっす!!」
里穂に引っ張られるように、残りの3人もそれぞれに頷いた。
彼女は明るく聡明で、場の空気を的確に読む。その気遣いが、今はとてもありがたい。
「そうやね、健康管理はマジでお願い。じゃあ、そういうことで」
学生4人と、荷物をまとめた華蓮、5人を見送ったユカは自席に戻り……椅子に深く腰掛けて、ため息をついた。そして、ファイルを整理していた瑞希に話しかける。
「支倉さん、さっきの電話……直接、ここにかかってきたんですよね?」
「あ、はい。そうなんです」
瑞希の言葉を受けて、統治もまた、顔をしかめる。
「ここの代表番号を知っているということは、過去に関係した誰かだろうか」
『仙台支局』は、代表番号を表立って公開していない。通信環境や体裁を整えるために用意しているが、顧客からの連絡は政宗が所持しているスマートフォンに直接かかってくることがほとんどだ。
固定電話にかけてくるのは、警察や行政といった公の組織や、『福岡支局』などの身内、後は、過去に『仙台支局』と関わって、政宗や統治から直接連絡先を渡された人物のみ。とはいえ、個人で関わった誰かであれば、前述のように、携帯電話へかけてくることの方が多い。
「山本、声の主に心当たりは?」
統治の質問に、ユカは首を横に振る。
「正直……全然。福岡でも聞いたことない感じやし、なんか……我が強そうというか、こっちが探ろうとすると強めに警戒されそうで、とりあえずイエスしか言えんかったっちゃんね。ごめん」
「いや、相手の連絡先を手に入れただけで十分だと思う。後は……佐藤に任せよう。支倉さん、今後も佐藤を含め、誰かの身内を名乗る人物から連絡があって本人が不在の場合は、連絡先を聞いて折り返すように伝えてください」
「わ、分かりました……!!」
瑞希が両手を握りしめて頷いたところで、ユカは改めて時計を見やる。
時刻は、18時10分。
扉が開く気配は、特にない。
政宗が戻ってきたのは、それから15分後、18時30分に近づいた頃合いだった。
顔をしかめながら自席に戻った彼は、テキパキと荷物を片付けていく。そして、声をかけるタイミングを伺っていた3人へ、疲れた声で予定を告げた。
「……今から会ってくる」
「今から!? え!? しょ、庄司さんって仙台の人やったと!?」
「いや、神奈川からわざわざ訪ねてくださったそうだ。時間がないを連呼するばっかりで、これはもう、電話じゃ埒が明かないと思って……悪いけど戸締まり頼む。支倉さん、資料の提出は明日の午前中までにお願いします」
「は、はい。あの……」
「どうかしましたか?」
「い、いえっ……!! 寒いので、お気をつけてっ……!!」
「ありがとうございます。じゃあ、お先に」
政宗は薄い笑みを浮かべた後、荷物を持って足早に事務所を後にした。残された3人は顔を見合わせ、とりあえず事務所内の施錠を始める。
「佐藤支局長……顔が、強張ってました、よね……」
キャビネットを施錠しながら呟く瑞希に、ユカもまた「そうですね」と頷いて。
「まさか、身内が増えるなんて……思ってなかったんじゃないでしょうか」
ユカ自身も現状が全く分からないので、当たり障りのないことしか言えない。瑞希もまた、ユカと同じ立場であるため、何とかこの場を繋ごうと、精一杯、プラスのことを言おうと思案した。
その結果。
「で、でも、妹さんが自分を探してくれていたなんて、嬉しいことですよね!!」
「そうですね」
ユカは引きつった笑いが表に出ないよう気をつけながら、機械的に施錠を続ける。
世の中には、言わないほうがいいこともあるのだ。
身内から恨まれたことがない人には、特に。
その後、『仙台支局』の施錠を終えた3人は、仙石線で帰路についた。
ユカと統治は小鶴新田駅で下車。瑞希は終点の石巻まで乗るため、扉越しに軽く手を振る。
電車がホームを離れ、見えなくなったところで……ユカは一度、大きく息を吐いた。
「統治……あたし、嫌な顔しとらんかった?」
「いや、問題なかったと思う」
「そっか……良かった」
自分の態度が瑞希に不快な思いをさせたのではないか、そう危惧していたユカは、統治からのお墨付きに、やっと胸をなでおろした。
――妹さんが自分を探してくれていたなんて、嬉しいことですよね!!
果たして、本当にそうだろうか。
家族関係が良好な瑞希には、分からないかもしれないけれど……死してなお、子どもを恨む母親もいるのだ。
兄妹だから、母親だから――家族だから、いつか分かりあえるなんて、
幻想だ。
けれど、それを瑞希には言いたくなった。
言ってしまったら彼女を傷つけるし、自分自身も惨めになってしまうから。
人気のなくなった階段を改札へ向けて登りながら、パスケースを取り出した統治がユカを見下ろして声をかける。
「今日は俺も、そっちの部屋で夕食を食べさせてほしい。佐藤には連絡済みだ」
「分かった。ありがとね、統治。じゃあ、買い物して帰ろ」
2人で改札をくぐり、風が冷たくなってきた外の世界へと足を踏み出した。
先程、事務所を出る際に彼が浮かべていた表情には、心当たりがある。
――いやー……今日は、申し訳ない。俺のせいで……。
10年前の福岡研修で、政宗が『遺痕』相手に心を乱され、縁切りが出来なかったことがある。
それについて3人で話をした時、政宗が浮かべていたのは……今日と同じ、場を取り繕うためだけの表情だった。
あの時はその直後に本音でぶつかって、絆を強くすることが出来たから。だから……今日も、3人で過ごす時間を作りたい。
作らなければ、きっと彼は……荷物を背負いすぎて、動けなくなってしまうから。
暗闇に輝くスーパーのネオンに向けて歩き、他愛のない会話を続けながら……2人の心は、ここにいない彼に寄り添っていた。
そして、約1時間後、時刻は19時30分を過ぎた頃。
統治が豚丼の具材を仕上げ、米が炊きあがったところで、政宗が帰ってきた。
「あ、政宗、おかえりー」
「佐藤、先に手洗いとうがいをすませてくれ」
リビングの扉を開くと、香ばしい香りと、普段どおりの2人がいる。
その明るさが眩しくて、目を細めてしまいそうになったけれど……政宗はようやく肩の力を抜いて、泣きそうな顔で笑った。
「……ただいま。あー、腹減った。統治、俺の分は大盛りな!!」
その後、3人で食事の用意を済ませ、ある程度食べ進めてから……政宗が自分から、今日のことを語る。
「庄司さんに会ってきたけど……彼女、マジで俺の妹だった。『因縁』が1本、俺と同じだったよ」
「うわぁ……」
政宗にしか出来ない、かつ、絶対に間違いのない真実を見せつけられた彼の気持ちを察して、ユカが思わず顔をしかめる。
言葉を見失ったユカに代わって、統治が本題を切り出した。
「それで、彼女の目的は?」
「簡単に言うと……母方の身内の遺産放棄と、資金援助ってところだな」
政宗は淡々と告げると、香ばしい豚肉を白米と一緒に噛み砕いた。
政宗に突然増えた双子の名前(名字含め2人分)は、音声企画で政宗役をお願いしている須田さんに考えていただきました。サブキャラの名前を考えるのが心底苦手なのでありがたさの極みでございます。その節は本当にありがとうございます!!




