エピソード1:年末の魔物②
12月の一大イベントを間近に控えた平日、時刻は間もなく17時30分。
『仙台支局』の応接スペースに、学校から直行してくれた学生メンバー4人――名倉里穂、柳井仁義、名杙心愛、森環――を集めたユカは、全員を見渡すことが出来る位置に立ち、手元の書類をかざした。
「今、みんなに配ったのが、12月に誰がとう動くのかを一覧表にしたものやね。事前に聞いた予定を考慮したけど……都合が悪くなった場合は、あたしまで早めに教えてね」
この言葉にぞれぞれが頷いたところで、ユカは改めて、自身の右隣に座っている仁義を見つめた。学生メンバーをまとめて欲しいことは事前に話をして、了承を得ている。それをここできちんと共有しておきたい。
「基本的に、あたしが指示を出すことが多くなると思うけど……あたしも個人で動いて捕まらんときとかは、柳井君に情報を集約して欲しいんよ。柳井君は去年の12月を経験しとるし、今月からは通常通りの活動が出来るけんね」
ユカの言葉に真っ先に反応したのは里穂だった。ジャージ姿の彼女はポニーテールを大きく動かして、隣に座っている彼を見つめる。
「ジン、そうだったんすか……!! 良かったっす……!!」
「うん。だから宜しくね」
こう言って穏やかに頷いた彼は、心愛や環に向けても軽く会釈をした。
すると、手元の資料を見ていた環が、「すんません」と手をあげてユカを見つめる。
「要するに……この時間内は、名倉さんと一緒にうろつけばいいってことなんすか?」
「まぁ、要するにそういうことやね。何事もないのが一番なんやろうけど……去年の実績を見ると、やっぱ、3日に一回くらいは突発的な事案があるみたいやし」
環の言葉に頷いたユカは、改めて、自身が作成した一覧表に視線を落とした。
今回、学生4人の動き方としては、統治とも相談してパターンを決めた。
まず、平日の17時から19時まで。
次に、休日の17時から19時までと、19時から21時まで。
それ以外に必要な対応は、原則としてユカと統治が分担して行い、必要ならば仁義と里穂へ個別に頼む算段になっている。特に仁義は『仙台支局』の近くに住んでいることもあり、例外的に平日も21時まで対応可能ということで了承を得ていた。
警戒を強化したいのは、イルミネーションが点灯する直前から約3時間――17時30分から20時頃まで――だ。しかし、いくら高校生が一緒にいるとはいえ、中学生が我が物顔で動き回っていい時間帯だと思わない大人もいるだろう。特に環が何時まで動けるのか、そこが懸念事項の一つだった。
統治と政宗は、以前、環の保護者――母親を訪ねており、彼が得てしまった能力と今後について、簡単に説明をしていた。以降、保護者同意の元で『縁故』としての知識を教え、今に至っている。
時は遡り、6月上旬、平日の午後。
環の母親・青山千遥――環の父親にあたる男性と離婚し、旧姓を名乗っている――は、事前に連絡をしたとはいえ、唐突に訪ねてきた統治と政宗にさほど驚きもせず、「狭いですが、どうぞ」と、アパートの中へ招き入れてくれた。
年齢は30代後半、長い髪の毛をきっちりと後頭部で一つにまとめ、キビキビと立ち回っている印象を受ける。正直、環がどこまでもマイペースなので母親も同類なのかと思っていた二人は内心で面食らいつつ……リビングのコタツ机に、彼女と向かい合う形で並んで腰を下ろした。
まず、中学校で臨時講師をしている統治が名乗り、話を切り出そうとした、次の瞬間。
「……確か、環の『視え方』に関することですよね。先生のお隣にいらっしゃるお兄さんが、専門家の方ですか?」
千遥から話を切り出されたので、政宗は思わず目を丸くして統治を見やる。
「統治……電話でどこまで説明したんだ?」
「いや、俺はここに伺うことくらいしか……すいません、その話は、どこで?」
焦りを隠しきれない統治に、千遥は特に動じる様子もなく麦茶をコップに注ぐと、二人の前へ置いた。
「環から聞きました。私が、『名杙先生って人から電話がかかってきた』って話をしたら、恐らくこういう話になるだろうって」
彼女の様子に一切の焦りも迷いもないことに、政宗と統治の方が動揺してしまう。気持ちを落ち着かせたくて麦茶をすすった統治は、一度呼吸を整えて、彼女を見据えた。
事前の情報では、千遥は看護師として仙台市内の大きな病院で働いているとなっていた。要するに、実家の得意先で働く人物なのだ。
とはいえ、これまでに名杙と関わった記録があったわけではない。統治は「失礼ですが」と前置きをした後、千遥がどこまで把握しているのかを具体的に確認することにした。
「お母様は彼に起こった変化について、どの程度までご存知でいらっしゃいますか?」
この問いかけに、千遥は一瞬口ごもったが……黙っていても何も変わらないことに気づいているのだろう。二人の前で淡々と情報を紡ぐ。
「私も、今は市民病院で看護師として働いていますが、実は、以前勤めていた病院で、環と似たような症例の患者さんに関わったことがあるんです。その際、患者さんに関する情報を、名杙先生と同じ苗字の方へお伝えしたこともあって……患者さんの症例が特殊だったことと、『名杙』というお名前の漢字が珍しかったので覚えていました」
「そうだったんですね……」
「あの、環は……大丈夫、なんでしょうか?」
探るように問いかける千遥へ、今度は政宗が口を開く。
「森君の体に関しては、特に問題はありません。率直に申し上げて、彼はストレスに対する耐性が強いように見受けられるので、彼自身が関わろうとしなければ、大きな問題にはならないかと思います。ただ……」
彼はここで言葉を切ると、どこか不安そうな表情の千遥へ、一気に畳み掛けた。
「彼の特殊な素質に惹かれる、そんな、一般では視えない存在はがいることも事実です。彼自身は今の自分と折り合いをつけて生きていく希望がある様子なので、もしも今後、そのような存在からちょっかいを出されたときに、対抗できるチカラを身に着けてほしいと、俺たちは考えています」
「そうなんですね」
「ただ、これはあくまでも、俺たち側の意見です。そして、俺たちは彼に宿った能力を消すことも出来ます。実際に今の森君と同じ状況になって、それを望む方も多くいらっしゃいます。そのため……一度、お二人で今後について話し合ってから――」
「――環が現状維持を望んだのであれば、私はそれで構いません」
刹那、政宗の提案を遮るようにはっきりと言い放つ千遥に、2人は思わず目を見開いた。
そんな反応を前に、千遥は自身の前にある麦茶を一口すすると……息をついて、言葉を続ける。
「環には……大人の事情で、色々と我慢させてしまったことがあると思っています。だから、環が自分でやると決めたことは邪魔をしないようにしようと決めています」
政宗はそれ以上深く尋ねることはせず、代わりにカバンから書類を一枚取り出した。
そこには、『仙台支局』の住所と連絡先、主な職員の名前と役職など、簡単な情報が箇条書きで記載されている。
「俺達の組織は対外向けの資料が限られているので、こんな簡素なものですいません。森君に関しては、この書類に記載されているメンバーでしっかりと守ります。何かあれば、この携帯電話の番号まで遠慮なくご連絡ください」
こう言って改めて頭を下げると、千遥もまた「ありがとうございます」と、どこか安心した口ぶりで返答し。
「ちょっと変わった子だと思いますが……よろしくお願いします」
というやり取りを経て、環は今、『仙台支局』で研修を受けている。12月の動き方についても既に大まかな了解は得ており、後は実際の稼働表を提出して同意をもらう手筈になっていた。
学生メンバーが表を確認しているところで、ユカは「ちょっと全員、『縁』が視える状態にしてくれん?」と声をかけ、自身もまばたきをして、視える世界を切り替える。
次の瞬間――
「――あー、ども!! お世話になりますっすー!?」
視線が向けられたことで切り替えを察した彼女が、謎の口上(?)と共に敬礼ポーズでウインクひとつ。赤みがかった茶髪をポニーテールに結い上げ、目元を強調したメイクは普段以上に迫力がある、ように感じる。首から下はVネックの白いニットワンピースと、ブラウンのニーハイブーツという出で立ち。首元にはゴールドチェーンのネックレスが光っている。
彼女は川瀬空。『仙台支局』の業務に協力してくれる『親痕』だ。
ユカはそんな彼女を横目で見やり、疑問を投げかける
「川瀬さん……なんですか今の語尾」
「えーっと、リホちゃんの真似!! パイセンってことで!!」
「そういうのいいです」
「えー」
ユカに冷たくあしらわれ、空がぷくっと頬を膨らませた。しかしすぐに環の存在に気付くと、物珍しげに彼の方へ近づいていく。
「あ、えぇっと、君って……そだ、ココアちゃんと同じガッコーにいたよね。お祭りで見た!!」
「うす」
「名前って聞いてもおk?」
「森環です」
「モリタマキ……あれ、タマキってもう1人いたような……そうだ、事務のタマキちゃんだ!! えー、じゃあ、なんて呼ぼう。モリタマ君?」
「うす」
適当なイエスマンになった環を、心愛が怪訝そうな表情で見つめる中、ユカが「話を戻すけどね」と強めに割って入った。
「イベントの最中は、川瀬さんも常に見回りをしてくれとる。川瀬さんからヘルプが入ったら、とりあえずそっちを優先してくれていいけんね。報告が出来るように、日付とか時間とか、ボイスメモで残してもいいかもしれん。勿論、情報管理は各自抜かりなくってことで」
ここで里穂が「ケッカさーん」とユカを呼び、全体の視線を自分へ向けさせた。
「ボイスメモってことは、スマホのレコーダーとか使ってもいいんすか?」
自身のスマートフォンを掲げる里穂に、ユカが自分のスマートフォンを取り出して、仕事用のアプリを起動した。これは統治がメインとなって開発している、『仙台支局』独自のものだ。
「実は、来週あたりにアプリのアップデートを予定しとるっちゃけど、そこに、ボイスメモの機能が追加される予定なんよ。アプリ経由で録音された音源はクラウド保存されて、本体には残らん仕様になっとる。ネット環境がない場所ではまだ使えんっちゃけど、アップデート後のアプリ経由であれば、声で情報を残してよかよ。重ねてになるけど、スマホ本体に保存するアプリは使わんでね」
「はぇー……『仙台支局』は相変わらず最先端っすねぇ……!!」
里穂が自身のスマートフォンをしげしげと見つめると、ユカがそんな彼女へ追加の依頼を告げる。
「あと、初心者向けの音声ナビとかも追加したいけんが、里穂ちゃんにまたボイスを録音して欲しいって言っとったよ」
「おぉ……!! 分かったっす。やっぱり、ケッカさんやうち兄、政さんはすごいっすよ。私達も頑張るっす!!」
力強く頷いた里穂に仁義と心愛が同意して、環もまた、1人静かに頷いた。
その後、学生メンバーと共に今後の動き方について打ち合わせをすすめていると……事務所との仕切りになっている衝立から、職員の支倉瑞希が飛び出してきた。
「あ、あのっ……山本さん、打ち合わせ中すいませんっ……!!」
「支倉さん? どうかしたんですか?」
見た目からしっかり狼狽している瑞希にユカが顔をしかめていると、瑞希の後ろから電話の子機を持ったアルバイト・片倉華蓮が顔を出す。
そして、保留中の受話器を突き出して、こんなことを言った。
「佐藤支局長の『妹』と名乗る女性から、佐藤支局長宛に電話がかかってきています。どうすればいいですか?」