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エピソード0:経由地㊤

 弁護士という仕事は、刑事裁判で朗々と意義を申し立てるような、そんな華々しいイメージがあるかもしれないけれど……当然、そんな活動ばかりではない。

 例えば、法律のプロとして手続きの代行をしたり、困っている市民の相談に乗ったり。ご近所問題から企業間の折衝まで、幅広い分野に対応できる能力が必要だ。

 宮城県の沿岸部・東松島市で生まれ育った長谷川芳雄(はせがわ よしお)は、生まれ育った地域を起点に、相談業務や行政主催の法律相談会への参加で生計を立てていた。

 そんな彼のもとに舞い込む依頼は、その多くが顔見知りによるもの。そして、芳雄自身がすぐに内容を把握できるようなものがほとんどだけれど。

 たまに……とんでもない方向から、予期せぬ依頼が舞い込むこともある。


 例えば、芳雄の姉・長谷川容子(ようこ)が、15年以上前に持ち込んだのは……実の祖父母から養育を放棄された少年を東松島にいる親族の男性が引き取る際、今後、引き取る男性が不利にならないようにするにはどうすればいいか、という内容だった。

 少年の名前は、末広伊織(すえひろ いおり)。小学校低学年の未成年だ。父親は彼の生前に亡くなり、生まれの母も亡くなった。その後は祖父母が育てていたが、とある理由で彼の養育はこれ以上無理だと言っているらしい。

 一方、この少年を引き取る『親族の男性』は、芳雄も顔なじみで、容子の会社の同僚でもある、佐藤彰彦。

 彼は未婚で子どもがいないため、これまでに実子を含めて子どもの養育実績はない。しかもその少年とも初対面に近いという。

 ただ、少年は彰彦の兄の息子のため、2人は甥っ子と叔父という関係になる。要するに、赤の他人ではないのだ。


 彰彦といえば、独身貴族の見本のような男性だと思っている。

 平日の昼間は現場で汗を流し、帰宅後は晩酌。休日も家事はそこそこ(最低限)に気が済むまで晩酌……と、己のペースのみで生きてきた印象が強かった。芳雄も地元の居酒屋で彰彦と飲む機会は何度もあったが、その度に飲みすぎて店内で寝てしまい、容子と協力してタクシーへ乗せる、という終わり方がデフォルトだったのだ。

「悪いなぁハセちゃん、いつもすまねえなぁ……」

 酔った彰彦が屈託のない笑顔でこんなことを繰り返すから、毒気をそがれて苦笑いを浮かべることばかり。

 そんな、これまで自由気ままに生きてきた彼が……果たして、まだ幼い少年――伊織を、きちんと育てることができるのだろうか。

 心配をした芳雄は、彰彦にどうしてそんな決断をしたのかを尋ねた。



 そして……その理由に納得し、この依頼を引き受けることにしたのだ。



 彰彦と伊織が一緒に暮らすようになって、数年。

 最初はぎこちなかった2人だが、聡明な伊織と人情家の彰彦は、予想以上に相性が良かったらしい。休日には2人が他の子どもと一緒に海岸で遊んでいる姿を見かけることもあった。芳雄の子どももそこに混ぜてもらったことが何度もある。伊織はこの地域の子どもとして、とても自然に馴染んでいた。

 一方、前述のように、伊織は聡明な小学生だった。小学校の教師が彼へ熱心に私立中学校への受験を勧めるほど、彼は抜きん出て優秀だった。

 彰彦の決意と応援もあって、伊織は問題なく中学受験を突破した。その少し前には、中学生になったら彰彦と同じ『佐藤』姓を名乗りたいと2人から相談を受け、書類の整理を手伝ったり、申請が通るように助言をしたりもした。

「ハセちゃん、本当にありがとなぁ……これで伊織も立派な中学生だ」

 そう言って目を細める姿は、立派な父親。

 厳密な血の繋がりはないけれど、それ以上の縁で結ばれている2人を見ていると、家族のカタチが一つではないことを改めて思い知らされた。



 こんな日々がずっと続く、そう、思っていたけれど。



 彰彦が不慮の事故で亡くなり、その直後、伊織が……まるで後を追うように道路へ飛び込んだ。

 運命の歯車が一度狂ってしまうと、こんなにも、こんなにも残酷な外れ方をするのかと思い知らされた。


 その後、伊織は一命をとりとめる、回復した彼の身元を引き受けたのは、彰彦が勤めていた会社の社長夫婦だった。伊織の実の祖父母は遠方で生きていたため、本来ならば彼らが引き取るべきなのかもしれないが……念のために連絡をした際に遠回しに断られたため、芳雄が社長と話をして、そのような形をとることにしたのだ。

 この結果は予想していたため、特に驚くようなことではない。

 ただ、その頃から……塩竈の旧家・名杙家の人間が、伊織の周囲にいたような気がする。

 芳雄も『名杙』という名前は聞いたことがあったが、特に関わることはなかった。ただ、悪い話もまことしやかに囁かれている名家だ。そんな家の人間がどうして伊織と接触しているのか、詳しいことは何も分からないまま。


 そして、伊織は高校の進学――内部受験なので進級、と、呼ぶべきかもしれない――をきっかけに、高校付属の寮に入った。

 そして、入寮における伊織の保証人は、社長夫婦ではなかったらしい。



 そこから、彼が……東松島に戻ってくることは、なかった。



 彼がどこでどう生きているのか、分からないまま、時は流れ……彰彦と伊織が一緒に住んでいたアパートは、災害による津波で跡形もなく流されてしまって。

 かつて2人が遊んでいた海岸も形を変え、電車の駅も内陸へ移設された。

 そして、海と陸地を隔てる、長く、高い、コンクリートの防波堤が新設された。



 海は、何も変わらないのに。

 壁の内側は、変わり続けている。

 変わることを、余儀なくされている。



---------------------------------------------------------------------------------


 名波蓮(ななみ れん)がその葉書に気付いたのは、12月になる前日の夕方だった。

「更新の、お知らせ……」

 彼が居住地にしているワンルーム、ドアの内側に溶接されているポストの中に、郵便はがきが一枚。今日はバイトもなかったため、学校で必要な勉強をしてきた蓮は、とりあえず冷え切った部屋の暖房をつけた。寒い室内で膝上丈のダッフルコートを着たままハガキを見つめ……絶妙に曇った眼鏡が煩わしくなってくる。

 蓮が生活しているとはいえ、彼宛の郵便物が届くことは皆無と言ってもいい。文通をする相手もいないし、年賀状のやり取りにはまだ早い。たまに形式的に放り込まれるダイレクトメールを適当に捨てることがルーティンになっていたため、危うくこの葉書も他のチラシと一緒にゴミ箱に葬り去るところだった。

 裏面を簡単に読むと、蓮が使っている部屋の更新を知らせるものだということが分かる。ただ、この部屋は蓮の名義で借りているわけではないので、彼がこの葉書を受け取っても何も出来ない。上にいる大人へ渡すしかなさそうだ。

「後で持っていかなきゃな……」

 テーブルの上にそれだけを別にして置くと、表面が天井を向いた。そして、印刷された宛名が誰なのか気付いた瞬間……蓮は思わず目を丸くする。


「……富沢、彩衣様……」


 正直、意外だった。

 確認したことはなかったけれど、この部屋を借りているのは、伊達聖人だと思っていたから。


 そして、ハガキを見つけてから30分後。


「れーんくーん、楽しいお知らせとそうでもないお知らせ、どっちから聞きたいかなー?」

 報告のために上の階を訪ねると、部屋の主はリビングで座ったまま蓮を出迎え、開口一番にこんな問いかけをする。

 今日、この部屋には、相変わらず胡散臭い聖人1人だけ。病院でもないのに白衣を纏っているその姿は、見慣れすぎてなんとも思わくなっていた。足元が素足で健康サンダルなのは、怪しい健康法なのかもしれない。知りたくないので聞くことはない。

 彩衣の姿は見当たらないので直接渡すことはできないが、まぁ、聖人に渡せばなんとかしてくれるだろういい大人なんだからと結論付けた蓮は、感情を排斥した眼差しを向けて返答した。

「どっちでもいいです」

「選んでいいよって言ってるんだよ?」

「どのみち両方聞くことになるじゃないですか。試験勉強があるのでさっさとお願いします」

 御託はいいから本題を話せとジト目を向けると、聖人はそんな蓮をまじまじと見つめ……。

「蓮君……最近、華蓮ちゃんに似てきてない?」

「本体は僕です!! だから、この時間が無駄なんですよ……」

「蓮君が選択を他人に委ねるからだよ。些細なことでも自分で決めていかないと、こうやって、全てがグダグダになってしまうんだ」

「そうですね、勉強になりました。では、そうでもないお知らせからお願いします」

「最初からそう言えばよかったのに」

 ねー、と、楽しそうに笑う聖人を蓮がにらみつけると、聖人は「ハイハイ」と両手をあげて肩をすくめた。

「先月に見つかった、名波華さんと思われるご遺体の鑑定結果なんだけど……結果が出るのにもう少し時間がかかるそうだよ。年末年始を挟むから、早くとも年明け以降になるだろうって」

「そうですか……」

 あれから音沙汰がなかったので多少は覚悟していたが、改めて聞かされると少し落胆してしまう。

 ただ……。

「……いずれ分かるのであれば、待てます」

 不思議と、周囲を責める気にはならない。今も誰かが、彼女のために頑張ってくれている、そう思うだけで少し救われたような気がするから。

 蓮の言葉に頷いた聖人は、次に、足元に置いていたカバンから、A4サイズのクリアファイルを取り出し、机上に置いた。

「じゃあ次は、楽しいお知らせね」

「これ……年末年始、特別手当……何ですか?」

 聖人が蓮に見せたのは、『年末年始特別手当について』と記載された書類だった。

「本当なら、政宗君からもらうものだと思うけど、自分、今日は名杙本家に用事があったから、ついでにもらってきてあげたんだ。簡単に言うと、12月に『東日本良縁協会』の管轄内で働いた場合、基本時給にこれだけ上乗せされるからシクヨロ、っていうお知らせと、「ちょりっすかしこまー」ってサインする書類だね」

「なるほど……説明が雑ですけど分かりました」

 蓮はその書類を手にとって、簡単に内容を確認した。

 そして、素直な感想を述べる。

「『良縁協会』って……意外とちゃんとしてるんですね」

 刹那、聖人が笑顔で「コラコラ」と釘を刺す。

「そんなこと思ってるってバレたら、切られちゃうよ。今の当主は、こういうのをなあなあにしない人だからね。統治君がトップになったら、電子決済が主流になるかもしれないし」

「これ、ここで書いていけばいいんですか?」

「ノンノン。悪いけど、持って帰って署名をしたものを、明日、ファイルごと政宗くんに提出してくれるかな。あ、書く名前は『名波蓮』でいいからね。勿論、『片倉華蓮』でもいいけど。どっちにするの?」

「考えておきます。そうだ……」

 蓮は手に持っていたはがきを机上に置いて、聖人を見据える。

「これ、僕の部屋のポストに届いていました。富沢さん宛なので、伊達先生に渡していいのか分かりませんが……」

「何かな? ああ……部屋の更新、そんな時期か。ありがとう、これは自分が預かっておくね」

 ハガキの内容を確認した聖人は、笑顔で蓮に頷いた。一方の蓮は持ち帰る書類をクリアファイルに片付けつつ、気になっていた疑問を口に出す。

「僕が使っている部屋は、伊達先生が借りているんだと思っていました」

「あ、そう?」

「そう、って……だって、我が物顔で僕の部屋に侵入してるじゃないですか。昨日も電子レンジ使いましたよね?」

「ご名答。よく分かったね。もしかして自分、監視されてる?」

「そんな無意味なことしません。内側が湿っていたので、どうせ、冷凍チャーハンでも温めたんだろうと思って……って、そうじゃなくて……もう誰でもいいです。僕は確かに渡しましたので、よろしくお願いいたします」

 これ以上掛け合いを続けても有益でないことを悟った蓮が自主的に話を切り上げ、クリアファイルと共に踵を返す。そして、振り向くこともなく部屋を後にした。

「寄り道しないで帰るんだよー」

 聖人の声は、蓮が閉じる玄関扉の音と重なった。すぐに遠ざかっていく足音を聞きながら……改めて、ハガキに目を通す。


 『更新のお知らせ』

 契約が切れるのは来年の3月末。ここで更新をすれば、あと2年、賃貸契約が延長される。

 とはいえ、これは聖人の一存では決められない。

 今、蓮が使っている部屋は、元々――彩衣を航から物理的に引き離すために用意した座敷牢なのだから。

 実兄である航が彩衣に固執するようになり、それが人ととしての一線も超えてしまったため……彩衣をここに住まわせた。そして、名杙に『縁切り』を行ってもらい、今に至る。

 本当は2年前に引き払っても良かったけれど、手続きを失念してしまい、ズルズルとここまできてしまった。とはいえ、聖人自身は特に負担をしていないため、まぁいいかと思って過ごしてきたけれど。


 今年の4月、名杙本家に対して反逆の意志を示した少年・名波蓮の処遇をめぐり、大人同士の(押し付け合)いが起こる。


 そこで聖人は彼の身元引受人に立候補――実際は裏である程度根回しはしていた――をして、この部屋に新たな役割を与えたのだ。

 あれから、季節がめぐり、冷え込みも厳しくなって。

 聖人が名杙本家に立ち寄った際、名杙現当主から、4月以降の蓮の処遇について……当主の考えを告げられていた。

 それは……。


「……そろそろ、あの部屋を引き払う頃合いなんだろうね」


 聖人にそう思わせるような、そんな、まだ漠然とした未来の話。

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