エピソード2:家族ごっこ③
翌日、光のページェントが始まって最初の土曜日、時刻は14時ちょうど。
『仙台支局』の応接用ソファに座っていたユカは、近づいてくる足音に気付き、立ち上がった。
「統治、来たみたい」
ユカの声を聞いて、自席で作業をしていた統治も立ち上がり、彼女の隣に並ぶ。
数秒後、ノックの音とほぼ同時に、扉が開いた。
「……ここが……」
「失礼しまーす」
中に足を踏み入れた2人が、各々の声と共に周囲を一瞥する。
1人は、先日訪ねてきた庄司翔子。ハーフアップにまとめた髪の毛とトレンチコート、ロングスカートにショートブーツという出で立ち。その目つきは鋭く、警戒するように周囲を見渡している。
そしてもう1人、翔子と似ている男性が一人。黒い髪の毛はスッキリと整えられており、黒縁メガネが落ち着いた印象を与える。ダウンコートにジーンズ、足元はスニーカを着用していた。
外見は似ているけれど、纏う雰囲気は翔子と異なっており、こちらの方がより手強そうな印象さえ受ける。ユカは自身の感想が表情から悟られないよう、意識して口元を引き締めた。
「名杙統治です。初めまして」
「山本結果です。よろしくお願いします」
統治とユカがそれぞれに頭を下げる。翔子はユカの方ばかりをジロジロと見つめていたが、隣にいる彼から静かに肘で小突かれ、きまりが悪そうに視線をそらした。
「失礼しました。庄司正治です。ほら、翔子もちゃんと挨拶くらいしなよ」
「……庄司翔子です」
不承不承、という言葉が似合う表情と口調で名乗る翔子。統治は冷静に「飲み物はコーヒーでいいですか?」と尋ね、2人が同意したことを確認すると、用意のために一度奥へと引っ込んだ。
交代するようにやってきた政宗が、二人の前にハンガーを差し出す。
「遠路はるばるありがとう。コートかけるならこれを使って」
その申し出に、彼――正治は首を横に振った。
「いえ、結構です。ありがとうございます」
要するに、ここに長居をするつもりはないらしい。正治の拒絶を真正面から受け止めた政宗は、静かにハンガーを引っ込める。
「分かった。じゃあ、荷物は適当に置いて、そこのソファに座っててね」
政宗はこう言い残すと、自身の必要なものを取るために自席へと戻っていった。手持ち無沙汰になったユカが統治を手伝おうと踵を返そうとすると、ソファに座った翔子が、不満そうに口を開いた。
「山本さん、だっけ。土曜日なのにこんなところにいていいの? 親御さん、心配するんじゃない?」
「いえ、大丈夫です」
もう親はいないので、という事実を口の中で飲み込んで愛想笑いを返すが、その反応が気に入らなかったのか、翔子は更にむくれた表情でユカを凝視し、言葉を続けた。
「山本さん、小学生かと思ったけど……うーん、中学生くらい? あのさぁ、子どもはちゃんと学校に通って、勉強するのがお仕事なんだよ。背伸びしたい気持ちも分かるけど、だからって電話対応で嘘をついたり、我が物顔でここに居座るのはどうかと――」
「――お待たせ。コーヒー、熱いから気をつけてね」
次の瞬間、統治と共に戻ってきた政宗が、笑顔で翔子の前に来客用のカップアンドソーサーを置いた。わざと彼女の言葉を遮った、そうとしか思えないタイミングで。
翔子は憮然とした表情で政宗を見るが、彼は彼女の方を見ることはなく、したり顔でユカの隣に腰を下ろした。そして、机を挟んだ向かい側に座っている2人を一瞥した後……完璧な営業スマイルをインストールすると、残り3人分のコーヒーと茶菓子を置いた統治へ「ありがとな」と告げる。
統治が静かに一例して踵を返す――この部屋から出ていく様子がないことへ、正治が分かりやすく不快感を示した。
「すいません、我々はこれから非常にセンシティブな話をするのですが、それにしては部外者……というか、無関係の方が多くありませんか?」
「そう? この2人は俺の部下でもあるけれど、それ以前に、同じ業界で切磋琢磨してきた仲間なんだ。当然、今回の件も話をしているし、今からの話もこの2人に共有すること、それが、俺が君たちの話を聞く条件だけど……嫌なら出ていってくれていいよ」
「……分かりました」
ここは政宗のフィールドで、自分たちは話を聞いてもらう立場である。
それを改めて実感した正治は、とりあえず大人しく引き下がって……本題に入ることにした。
「既に翔子から聞いているかと思いますが、佐藤さん、貴方は俺たちと異父兄弟にあたります。母方の祖母のことは……どこまで覚えていらっしゃいますか?」
この問いかけに、政宗は首を横に振る。
「正直なことを言うと、ほとんど覚えていないんだ。俺は家で過ごす時間が君たちよりも圧倒的に短かかったから、身内よりも保育園の先生の顔と名前のほうが覚えているかな」
どこかおどけたような口調の政宗に、翔子が目を吊り上げて声をあげようとした。刹那、正治が彼女を手と目線で制し、「黙ってて」と釘を刺す。
そして、穏便を心がけつつ、口調の端々に不快感を滲ませながら言葉を紡いだ。
「俺たちにとっては……親代わりでもある、優しい祖母なんです。あまり、ふざけたような口調で語らないでいただきたいのですが」
「ごめんね、急に現れて金をせびる親族にはこれくらい言ってもいいのかなと思って」
次の瞬間、ユカが政宗のシャツを強引に引っ張って、自分の方を向かせた。そして、気持ちは分かると言外で訴えつつ、冷静に苦言を呈する。
「政宗、今のはちょっと言い過ぎ。それに、本題はそこじゃないやろ?」
「……悪い。そうだったな。まず、2人に見てほしい書類があるんだ」
政宗はそう言って、封筒を2人の前に差し出した。
『診断書在中』
中央にそう記された封筒、左下には『透名総合病院』と記載されており、裏面は未開封を証明する封緘印が押してある。
代表してそれを手に取った正治が視線で説明を求めると、政宗は軽く息を吐いた後、隣に座るユカをあたらためて手で示した。
「それは、こちらの山本さんに関する『診断書』。彼女は見た目こそ幼いけれど、年齢は20歳、ここの社員として働いてもらっている優秀な人材だよ。中にその理由が書いてあるから、軽く目を通してくれるかな」
「っ……!?」
「は、ハタチ!? 何いってんの!? こんな幼いのに、そんなことあるわけないじゃん……!!」
正治が慌てて封筒を開いた瞬間、翔子が少し強引に中身を引っ張りだした。そして、軽く目を通した後……正面にいるユカを無言で凝視する。
まるで、異質なものを見るような眼差し。ユカは特に嫌いではない、自分が異質だということは分かりきっているし、この『公的な書類』があるおかげで、精神的優位に立つことも出来そうだから。
種明かしをすると、中に入っていた診断書は、伊達聖人が正式な書式でそれっぽい内容をそれっぽく書いたものだ。
誕生日や年齢、肩書等は事実だが、病名は『ホルモン分泌の乱れによる遅成長』、病状は『原因不明の奇病でホルモンの分泌が人の数百倍遅く、身体的な成長が著しく遅くなる難病』などなど、医学的には特に根拠がない、そこそこ適当なことが、盛大に、堅苦しく記載されている。
これは先日、統治からの提案で、ユカが聖人へ頼んでいたものだった。電話の向こうの聖人は「また自分は私文書偽造をしないといけないんだね……しくしく」と、非常に楽しそうな声で告げた後、いつも通り協力してくれているのである。
「ま、正治……この病院、本当にあるよ……!!」
スマートフォンで即座に病院名を検索した翔子が、その画面を正治に示した。それを見た政宗が苦笑いで肩をすくめる。
彼女たちのこの行為は、政宗の行動を疑ったがゆえのものだ。これを堂々と目の前でやってのける大胆さに敬意を評したいところだが……それと同じくらい、苛立ちも、つのる。
政宗は深呼吸をして自分を落ち着かせた後、狼狽える2人を見つめて言葉を続けた。
「それを偽装してまで渡す意味がないと思うけど……ちなみに病名で調べても、特に何も出てこないよ。それくらい珍しいし、難病指定なんて夢のまた夢、そんな病気だから」
ダメ押しとして、ユカは自身の健康保険証を机上に置いた。2人はそこに記載された誕生日を確認して、自分たちとほとんど変わらない事実を認識し……表情が混迷を極めていく。
一方、政宗は「ありがとう」とユカに保険証を返すと、2人を見つめて、情報――半分は虚偽だが――を示した理由を告げる。
「こんなセンシティブな書類、身内じゃない第三者に見せたくなかったんだけど……翔子ちゃんが彼女のことを見た目だけで子ども扱いして盛大に非難していたし、この組織が小学生を働かせているなんて、良からぬ噂を流されるのは本当に困るから。ことと次第によっては名誉毀損も考えたいくらい、駅前で騒いでいたよね?」
刹那、正治が翔子を睨みつけた。翔子は「だ、だって……」と言い訳を探していたが、何を言っても政宗から言い返されることに気付き、俯いて口をつぐむ。
その様子を確認しつつ、政宗は冷静に話を続けた。
「あと、この件でその封筒の病院に問い合わせなんてしないでね。それは、その書類を書いた医者が偽物だって言ってることになって、俺のメンツにも関わるから」
政宗はこう言って、改めて2人を睨んだ。刹那、恐らく問い合わせるつもりだったのだろう、2人がほぼ同時に視線をそらす。
すると、正治がチラリとユカを見た。そして、次に政宗へ視線を戻し、オズオズと声をかける。
「すいません……山本さん御本人に質問をしても?」
その問いかけに政宗がユカを見ると、彼女が首を縦に動かしたから。政宗は「どうぞ」と許可を出した後、静かに足を組み替えた。
斜め前の正治から見つめられたユカが、脳内で自分の『設定』を繰り返していると……彼は少し口ごもった後、思い切って口を開く。
「ぶしつけな質問になってしまうかもしれませんし、答えたくないならそれで構いませんが……山本さんは、その、ここで働くのではなく、ご両親のもとで治療に専念したりしなくて……いいんですか?」
彼の問いかけに、ユカは淡々と、用意していた答えを返す。
「あたしの親は、2人とも死にました」
「あ……」
正治が言葉を失う様子が、少しだけ滑稽に思えて。ユカは笑みを浮かべないよう、口元を引き締める。
親は生きているもの、そんな思い込みが出来る環境が、少し羨ましいとさえ思ってしまった。
「別にいいんです。この病気が分かる前から没交渉でしたし、一人っ子なのでお二人のように兄妹で助け合うこともできません。親族……は、いるかもしれませんが、親と相性が悪かったので、積極的に調べたくもないんです」
「そうですか……すいません」
「事実なので気にしないでください。あたしや彼の仕事は、お二人が思っている以上に特殊で……成果報酬型なんです。実力を磨いて仕事を続ければ、治療に必要なお金を稼ぐことができます。だから、職場がなくなってしまうと困るんです」
ユカはそう言って、改めて、正治を見据える。
これ以上関わらないほうがいい、そう、視線に込めたつもりだ。
気迫を感じた正治が言い淀んでいると、翔子が「で、でもっ!!」と食い下がる。
「たっ、確かに、山本さんは病気で大変かもしれないけど、それはおばあちゃんも同じでしょう!? 他人の山本さんはサポートするくせに、家族のおばあちゃんは助けてくれないの!?」
刹那、政宗の目がより細くなった。それに気付いた正治が「翔子」と彼女を諫めるように声をかけたが、ほぼ同時に政宗が口を開く。
これだけ遠回しに拒絶しても、気付いてもらえないのならば。
真正面から『事実』をぶつけて、退散してもらうしかない。
例え……それで、相手が傷ついたとしても、もう、政宗の知ったことではない。
「確かに……俺は幼い頃、その人にお世話になったかもしれない。けど、それは当たり前なんじゃないのかな。翔子ちゃんは、そう思わない?」
「当たり前!? 当たり前、って……」
「君たちも薄々気付いているとは思うけどさ……君たちと俺は2~3歳差で、父親が違う。それにも関わらず、俺たちは別々の家で過ごしていた。これ、どういうことだと考えてるの?」
刹那、正治が早々に視線をそらした。
彼は気付いてる、そして恐らく、彼女も……多少は。
「そ、れは……お母さんは仕事が忙しいし、産後、肥立ちが悪くて、お兄ちゃんの育児までできなかったから、おばあちゃんが……」
この期に及んで情報のみを羅列する翔子に、政宗はこれみよがしなため息をついた。そして、努めて冷静に言葉を続ける。
「……現実的に考えてみると、俺たちの母親は、前の夫が死んだ後、2歳にも満たない子どもを放っておいて、別の家庭を作ったんだ。俺は、その家庭に入れられなかった」
刹那、ユカは思わず声を出しそうになり……すんでのところで踏みとどまった。
知らなかった。
彼が、そんなに幼い頃から……孤独だったことを。
「いっそ施設にでも預けてくれればよかったのに、それすらも煩わしかったんだろうね。だから……俺達の祖母にあたる人は、そんな娘の尻拭いとして最低限関わっただけ。俺はそう思ってる。翔子ちゃんがそう思わないのは、どうして?」
「それ、は……」
感情論を許さない、彼の静謐な問いかけに答えられず、翔子は目を泳がせながら、膝の上で両手を握りしめた。正治は何も言わない。言ったところで政宗を論破出来ないことに、とっくの昔に気付いているから。
対抗手段を失った2人へ、政宗は最後の問いかけをぶつける。
「言っておくけど、祖母も住み込みじゃなかったからね。1人で夜を過ごしたことも数え切れないよ。寂しいなんて思ったところで、誰も助けてくれないんだ。その状況でも……俺は祖母に感謝して身銭をきるべきなのかな」
穏やかに告げる彼の表情に、悲哀は感じられない。感情を排斥した眼差しで見つめられ、2人は何も言えなくなる。
政宗は2人の沈黙を確認した後、一度息を吐くと……改めて、己の意思を告げた。
「正直に言うと……俺はもう、君たちと関わりたくないんだ。俺を育ててくれたのは、宮城の伯父さんだけだよ」
双子の弟・正治くんの登場です。彼は卒業後に公務員として就職が決まっている、という設定があります。正しく治める、という字の並びなので、自分に都合の良い正論をぶつけるキャラにしてみました!!
そして、またもや文書偽造に手を染める伊達先生……そろそろ捕まりますよ……。




