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短編集『桜歩道』

黄昏れ

作者: 宮本颯太

 夕日が半分、水平線に沈みかけた頃。

 茜色の空を横切る海岸道路を一台のサイドカーが走っている。ライダーの(さい)(とう)()()は16歳になる姪の(さく)()を側車に乗せて、お揃いのフェイスシールド付きジェットヘルメットを被ってささやかなツーリングに出ていたのであった。

 摩耶は元白バイ隊員。大卒の22歳で警察官を拝命し、そこから10年近く勤めた職務を退官して今は一般企業の総務課で働いている。

 警察業務と今の仕事……。両者の業務量と責務の重さとを思い返して比較すると、その余りのアシンメトリーにサイドカーを運転しながら溜息が出た。


 ◆


 自宅までの長い道のりをサイドカーは走り続け、先程まで半分だった筈の夕日はまさに今、水平線の向こうの西天へと去った。そんな黄昏れ時の空の色を姪に見せたくて、摩耶はスピードを落として走行する。


 マジックアワーが空を彩り、太陽が沈んだばかりの水平線からは赤く淡い光がじんわりと広がって、光源である沈んだ太陽から離れていくに従って空の色は徐々に薄紫から紺色へと深まってゆく。それは夜の帷をゆっくりと下ろすグラデーションだ。


 咲良はサイドカーの側車から薄明を目を奪われている。

「綺麗だね」と摩耶が語りかけると、

「うん……」とだけ返ってきた。走行中ではあるが徐行に近い速度であるのと、他に走っている車両も無かった為か普通に会話ができるほどの静寂があった。


「ねぇ摩耶ちゃん」

「ん?」

「これの運転って難しい?」

 咲良が空を見つめたまま聞いた。

「うーん、まあ白バイとはまた勝手が違うからねぇ。慣れるまでは怖かったかな」

「そっか。でもやっぱり上手いね摩耶ちゃん」

 振り向いて来た咲良の顔は逆光でよく見えないが、微笑んでくれているのが分かる。

「あ、そう?へへ、ありがと……」と返した摩耶は自分の照れ笑いは薄明に照らされるのを思い出して恥ずかしくなったが、

(いや、大丈夫。フェイスシールドに空が反射して見えないはず……)

 と、自分を落ち着かせた。

「ふふふ」と静かに笑ってから咲良は再び薄明の空を見る。


「摩耶ちゃん……」

 対向車線から一台だけ走って来た車の音が咲良の声に被った。

「ん?咲良、今呼んだ?」

「うん。呼んだ」

「ああ、ごめんごめん。どうしたの?」

「あの……ありがとう。連れて来てくれて」咲良はもう一度、摩耶の方を見て言った。

 ふふふ、と今度は摩耶の笑みが溢れる。

「いいえ、こちらこそ。私もね、(さく)と一緒にこの空を見たかったんだ」

「そうなの?」

「うん。警察の時にパトロールでここ通ったらさ、凄く綺麗だったから」

「白バイで通ったの?」

「うん、白バイで。パトカーでも来たかな」

「そうなんだ」

「でも一人で見るとちょっと寂しい感じもしてね。『あーもう今日が終わっちゃうなぁ』って」

「ふふふ、摩耶ちゃんそんな風に寂しくなるの?」

「その時はそう思ったねぇ。やっぱ変わってるかな、私」

「そんなことないよ。私も時々そんな風に思う事があるんだ。特にその日がさ、友達と遊んだり話したりして凄く楽しかった日だったりすると『あー……』ってなる」


 それを聞いて「分かるわー」と摩耶が溜息混じりに笑う。

「あるよねやっぱり。あの謎の虚無感」

「そうそれ!虚無感!」

「あー……って感じだよね」


 しばしの間『虚無感』について楽しく語り合った後、サイドカーに沈黙が流れた。空はまだ、ほの温かい黄昏れに染まっている。


 ふと摩耶の心に少しだけ、寂しさが訪れた時だった。


「摩耶ちゃん」

 咲良がそれに気が付いて、そっと寄り添うように呼び掛けた。

「はいはい、どうした?」

 不意をつかれた摩耶は少し慌てながら返した。

「明日もまた一緒に来れるかな。もう一度ここに、この空を見に」

「え……?ああ、うん。もちろん。明日は日曜だし、全然OKだよ」

「……良かった」


 咲良が誘ってくれるなんて珍しい。しかし摩耶は、咲良の優しさにすぐに気がついて、ほんのりとした温もりに満たされた心から寂しさが引いていくのを感じた。

「ありがとう、咲良。明日も来ようね」

 摩耶の声に、ジェットヘルメットを被った頭が小さく頷いた。


 そうだ。明日もまた黄昏れの空を見に来よう。咲良と一緒に、この海岸道路をサイドカーに乗って……。


 薄明のグラデーションを摩耶は改めて目に焼き付けた。

 あの黄昏れはもう間もなく星を連れて夜の帷を下ろすだろう。


「よし。じゃあ暗くなる前に帰ろうか、咲」

 スロットルを開け、サイドカーのスピードが徐々に速くなると、楽しそうに笑う咲良の声が海岸道路の風に乗って黄昏れを駆ける。摩耶は今この瞬間の幸せをそっと胸に抱き締めた。

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