おわり
妻が身じろぎをして目を開けた。
ここがどこか状況が把握出来ないのか、うつろな目で部屋を見ている。
「目が覚めたか?」
耳元で囁くと、慌てたのか逃げようと妻が身体を捻った。逃すはずがないだろう?
「ラーラ、その、身体は大丈夫か?」
優しくしようとした。
けれども、妻の声、肌の匂い、温かさ、滑らかさ、吐息……。とっとと理性がぶっ飛んだ。何度も責め立て、妻が気絶しても自分が止められなかった。
「だいじょびばぜん」
ガラガラ声で妻が抗議した。
これは誘っているんだろうか?
「すまない。その、とてもよくて……」
正直に謝ると、顔を真っ赤にして涙目で睨んできた。
……やっぱり誘っているんだろう? 妻の期待に応えてこそ夫だろう。
「煽るな」
耳たぶをかじってまた愛撫を始めた。
「六つも年下の君に、こんなことしたいと思っていると知れたら、嫌悪されると思ってずっと隠していた。それでなくても十五の君はご両親を失って一人で逃げ続ける生活をしていたのに。私の側では、まずは穏やかであって欲しかったんだ」
右手で腹を撫でると、妻が身体を震わせた。
「三年かかったが、ご両親の仇は取った。残党も叩き潰した。これで憂いなく、君を愛でられると思ったら、……最初からやり直したくなったんだ。王命での保護から始まったのではなく、私が君を望んで、君に望まれ、選んで欲しかったんだ」
「それでげっごんのぶごうを?」
げっごん……妻が可愛すぎて鼻血が出そうだ。
「……ん、なんかホントごめん。喉、つらいね?」
首筋に吸い付いて跡を残す。
「王命による保護は果たされた。この結婚は無効となる。……ここで君は倒れてしまって。そして一人で出て行ってしまった」
「だっで、ほがにずぎなびどがいるど……びごんざれるどがぐごしでだ」
やっと、妻が心の内を話し始めてくれた。
溢れ出てくる妻の涙を指ですくい、頭を撫でる。
しかし、さっきの話は本当に丸々聞いてなかったんだな。
「びごんなんてしないよ」
妻の身体をくるりと回して向かい合う。
コツンとおでこをくっつけて、心のありったけを込める。
どうか、伝わって欲しい。
「愛している。メルルラーラ、君を愛している。命ある限り君の側にいる。命なくしても君を愛するよ。だから、どうか王の命ではなく、ラーラの意思として私と結婚して欲しい」
妻と目が合う。心が溶け合い始めたような感じがした。
「あの日も、誓って館の皆は君を放っておいたのではない。私が急に頼んだことで忙しくしていたんだ。……夫婦の寝室を使うと言ったから。その一瞬の隙で君は行ってしまった。……館に帰ったら、皆に声をかけてやってくれ。皆、自分が悪いと思っているんだ。……一番悪いのは私だ」
妻の視線が和らいだ。堪らず目を合わせたまま深く口付けをする。このまますべて溶け合って混ざり合ってしまえばいい。
「ラーラ、君にきちんと愛していることを分からせなかった私が一番悪い。すまなかった。……君は跡をくらますのが上手すぎて、本職のこちらが後手後手に回り、追いつくのに二年もかかってしまった。こればかりは義父上と義母上を恨むよ」
一人娘を思っての教育だったろうが、ここまで卓越した人材になるなんて二人も思っていなかったに違いない。
けれども、妻の一番の役目は自分の妻であること。自分の側にいることだ。
「ラーラ、私の妻として、ずっと側にいてくれるね?」
妻の目が泳いだ。
きっと、とても葛藤している。
愛して愛されていたと思っていたのに、他の女性にドレスを贈っていた自分を信じ切れないのだろう。
傷付けてごめん。
手放してあげられなくてごめん。
変に拘って愛を告げなくてごめん。
陰謀に巻き込まれる前に守れなくてごめん。
たくさん泣かせた……側にいなくてごめん。
自分は。
メルルラーラが決めたことを受け入れる。
妻が身じろぎをして、自分の頭を抱き締めた。
え、胸……食んでもいいってことだろうか?
ちゅ。
妻が自分の旋毛に口付けをした。それからこめかみに、瞼に鼻に唇に、そっと触れるだけの口付けを震えながら落とし、微笑んでくれた。
喜びが弾けた。
目が潤む。
妻が、自分を真っ直ぐに見てくれている。
「私を、選んでくれたね。……信じてくれたね。嬉しい、愛している、もう少しも離れたくない。……君が思い悩んでいたこの髪と瞳の色を使ったドレスの件だけど、この色合いが領主館にはあと一人いるよ?」
抱き締めて妻の額に口付けを返した。
「は? ドレズ……わたじがしっでいるの、しっでいるの!?」
今日だけで妻の新しい顔たくさん見たけど、まだ出てくるとは……。可愛いなぁ。
「もちろん。ちゃんと執事が報告してくれているよ。領主館でもごく一部にしか知られていなかったからこの執事も知らなかったんだ。あのドレスは別館にいるお祖父様の新しい恋人のドレスだよ」
今日一番のアポ面で妻が固まった。
分かる。その驚愕、分かるよ、妻よ。
だからじじいが別館にいることも知らせず、挨拶以降会うこともさせなかったんだ。
「うん、もうすぐ七十かな。お元気だよねぇ」
父が対応していなければ、うんと年下の叔父や叔母がたくさん誕生していたかもしれないほど、お元気なんだよね……。
「で、他に聞きたいことは?」
ありましぇん、と妻の言葉は深い口付けに消えていった。
一週間ずっと籠もっていたら、アマデオとクルトに「奥方様を殺す気ですか? 少しは仕事をしてください」と怒られた。
いや、ずっと気絶させているわけじゃないのだが。
妻のこの二年の出来事を聞いているだけで、側にいなかった自分が悔しいやら悲しいやら、自分の知らない妻の話が楽しいやら。時間はあっという間に過ぎていった。
皆の生ぬるい視線なんて痛くも痒くもないよ。でも妻は気恥ずかしいらしく、赤い顔で目を潤ませていたたまれなさそうにしている。これは誘っているのだろうか。そうか、誘われて応えなければ男が廃るな。
……本気で怒らなくてもいいと思う。妻よ。
今日も目が覚めると隣に妻がいる。
それのなんと幸せなことか。
ほんの少しのすれ違いや言葉足らずが、とんでもない結果に繋がることを身を以て知ってから、なんてことのない日常がいかに得がたく尊いものか、確かめながら過ごしている。
今の自分はそれをきちんと知っている。
少しふくらんできた妻のお腹をさすると、まだ眠りの中にいる妻がむにゃむにゃと微笑んだ。
ああ、愛おしくて堪らない。
二人の朝、二人の食事、二人の部屋。
やがて三人の、になる。
妻はたくさん子どもが欲しいようだが、一人でもいればいいと思っている。
自分たちに万が一があったとしても、辺境伯の血筋で言えば弟も妹もいる。
出産は命がけだ。どんなことにも絶対はない。
……子どもに妻を取られそうなんて、少ししか思っていない。
これもまあ、妻と話し合ってきちんとお互いの気持ちをぶつけ合うべきだな。
またすれ違えば、今度は永遠に失うかもしれないのだから。
この日常が過去の夢幻とならず、共に生きるその手が皺くちゃになるまで続きますように。
ずっと。
そう、切に願って、妻を抱き締め目を閉じた。
読んでくださり、ありがとうございました。
サヴェリオはこの先も「じぃ~」っとメルルラーラを見続けることでしょう。
言葉足らずのサヴェリオと人の話を聞かないメルルラーラは、この先も些細なことで大きくすれ違うでしょうが、お互いを見て、ひとつひとつ乗り越えていけるかと思います。
他人の心なんて所詮想像することしか出来ないので、話し、聞き、歩み寄るしかないことを身を以て知ったサヴェリオは、個性豊かな辺境の人材に囲まれて、振り回されながらも領の更なる発展に寄与します。
そのひとつがアンバイタスから広まったトゥメイト投げ祭りだったりして。
どこのトゥメイト投げ祭りでも、『領主に集中砲火を浴びせて赤緑マンにする』ことが流行り、サヴェリオが領民から秘かに「トゥメイト伯」と呼ばるようになるのは、もう少し後のお話です。
その傍らには、赤緑でぬちょぬちょになろうが抱き付いてくる愛しい妻と子どもたちの姿がいつまでもあったとか。
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