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早馬が来た。転がり込むように渡された調査結果は、最後の一人が表舞台から消えたことを綴っていた。一秒でも早くと届けてくれた部下を労い、思わず拳を握りしめた。
ようやっとだ。ベケネ家を逆恨みした隣国により妻が狙われることはなくなった。
妻に王命による保護の必要は無くなったと、もう危険はないと、この結婚の無効を告げ、そのまま求婚して本当の夫婦になる。断られるとは思っていない。……断らせない。
すでに王には委細奏上してある。結婚は継続されるので手続き的には何もないが、結婚式と披露宴は近いうち盛大に行う。
家令と侍女長に今夜から夫婦の寝室を使うと告げると、二人は涙ぐんで準備のために下がっていった。皆、本当に妻を大切に思っている。それは、妻が皆を大切にしているからだ。
踊り出したい気持ちを抑えて妻の部屋を訪れ、「結婚の無効」を告げた結果、妻は気を失ってしまった。
青を通り越して唇まで真っ白になり崩れ落ちた妻を抱き留め、控えていた侍女に医師を呼ぶように大声で告げる。
妻を抱き上げて寝台に寝かせると、妻の目から涙が零れた。その顔は『やっぱり』という表情だった。
今までにない焦燥感が溢れ出てきた。
なんだ? 何か間違えたか? 結婚の無効を聞いて気を失う程の衝撃を受けて、なぜこの表情なんだ? 自分は何かを、とてつもない大事な何かを見落としている?
このままでは妻を失ってしまうかもしれないという恐怖が体中を駆け巡った。
妻の手が冷たい。手を手で包んで温める。
早く目を覚ましてくれ、ラーラ。そしてちゃんと最後まで聞いて、ラーラ。
医師が到着して診察を見守っていると、家令が執事を伴って別室にて話があると言ってきた。侍女に側にいるように告げ、家令と執事と共に部屋を出た。
……そこで聞けば良かったんだ。一瞬たりとも妻の側を離れてはいけなかったんだ。
執事からの報告は信じられないものだった。反面、先ほどの妻の表情が腑に落ちた。
先日、祖父の恋人のために作ったドレスの最終確認に縫製職人が館に訪れた際、執事が妻のドレスだと思い、妻に対応してもらったという。
無理もない。祖父の恋人のことは公にはしていないし、祖父が別館にいること自体を知っている者も限られている。そしてドレスは自分の名で発注されていた。執事が妻のドレスだと思うのは自然なことであった。
祖父と自分は髪と目の色が同じだ。
男性が女性にドレスを贈るだけでも親密な仲であるというのに、更には自分の色のドレスを贈るということは独占欲を示し、婚約者や妻にする行いだ。
妻には似合わないデザイン、妻のサイズではないドレスを見て、誤解しない方が無理だ。
妻は自分に『自分の色のドレスを贈る女性』がいると思っただろう。
妻が執事や職人に「今日は来なかった」と、なかったことにしたことからも、妻が自分の中にため込んでしまったことが窺える。
そして、もう少しで妻と本当に結婚出来ると浮かれていた自分は、そんな妻の様子にも気が付かなかった愚か者だということだ。
侍女から、何か思い悩んでいるようだと報告を受けていたにも関わらずに!
愚かな自分はウキウキしたまま結婚の無効を告げ……、妻の心がズタズタになってもおかしくない。
急ぎ妻の部屋に戻ると、扉の前に護衛がいなかった。
嫌な予感がした。
ノックもせずに扉を開けると、妻がいるはずの寝台は空で、「結婚の無効に同意し、以後一切の手続きをサヴェリオ・ルーセンベリ伯爵に委任します」と震える字で書かれ……涙で濡れた書き置きが机に残されていた。
悲鳴を上げそうだった。
護衛がいない、部屋に侍女もいない。どういうことだ!?
そこへ侍女が洗面器を手に帰ってきた。
ただならぬ気配の自分と空の寝台を見て顔を青ざめさせた。
妻の診察をした医師が立ち上がった瞬間に腰を痛め、護衛が背負って馬車まで運ぶためその場を離れた。もちろん、護衛はすぐ代わりを寄越すと言っていたという。
侍女は、医師から身体が冷えないように脂汗をかく妻の身体を拭いてやるように言われ、他の侍女に支度を頼もうとしたが、夫婦の寝室の支度のために人手が割かれており、仕方なくほんの少し離れただけだった。
急いで門へ向かうと、門番は妻は来ていないと言った。
まだ館内にいるのか……? いや、この敷地には正門の他に使用人たちの通用門が二カ所ある。もちろん、そこにも門番がいるが、妻の顔を知らなければ、使用人や出入り業者と思って通してしまうかもしれない。
一つ目の通用門の門番は、しばらく人を通していないと言った。
もう一つの通用門に向かうと、その場に門番がいなかった。
見渡すと少し離れた所で騎士といる所が見えた。
自分に気が付いた騎士が慌てて門番と共に通用門に駆けてきた。
門番の手には鳥の雛がいた。この地を守護していると言われているグゥフォだ。巣から落ちただろう雛に気が付いた門番が、近くの騎士に保護するように話をしていたという。
古来から大切にしている鳥の雛の一大事に、気が動転していたのは分かる。グゥフォを蔑ろにすると災害が起こるとも言い伝えられているくらいだ。
門番の気持ちは分かる、分かるが、なぜ門番が門を離れた! 騎士を門に呼べ!!
恫喝したい気持ちを抑え、門から出て妻を探し走り出すも、道沿いに人影はなかった。
時間的にそう遠くには行っていないだろうが、妻は韜晦を得意とする。外交一家として幼い頃から国々を渡り、ベケネ家の嫡子としてそう教育されている。だからこそ、三年前も一人で生き延びることが出来たのだ。
闇雲に探してもダメだ。人手がいる。
館に戻り、人を集めて捜索するも、一日経っても二日経っても見つからなかった。
それどころか、一週間経っても三ヶ月経っても、一年経っても、妻を見つけることが出来なかった。
足取りは所々摑める。だが、二重三重のミスリードに引っかかり、踏み込んだ時にはもぬけの殻……が続いた。うちの情報部が妻の手のひらで転がされていた。隣国との情報戦では引けを取らないというのに、辺境伯軍を軽く躱し続ける妻に称賛を贈っていいのやら泣き叫びたいやらで。
妻が生きていることは情報の端々から分かる。
だが、自分との結婚が無効になったと思っているはずで、変な虫が寄ってこないとも限らない。
そんなの許せるか。
妻の安全のため、捜索を公表はしていないが、各地方の代官には妻の保護を通達してある。
領主の恥などくそ食らえだ。一刻も早く会って誤解を解きたい。
王からは三年経っても見つからなければ、妻を死んだものとすると宣告された。
妻が家を出てから、もうすぐ二年。
焦るばかりだったが、仕事は待ってはくれずに、大量の書類を捌いていた時だった。
間違えようがなかった。手に取った書類を見た瞬間に固まった。
妻の字だった。
果ての町アンバイタスの代官からの報告書の一つに、隣国と、更にその向こうの国との貿易についての報告書があった。
原文とともに翻訳した書類があり、その翻訳が妻の字だった。妻は周辺各国の言語に堪能だ。それを仕事にしたのだろう。
見つけた!
妻はアンバイタスにいる!!
取る物も取らずに出立しようとした自分をアマデオが止めた。父の代から辺境伯軍の副団長を務めるこの男は、辺境の良心と呼ばれ領民から絶大な信頼を得ている。
「奥方様は見つかったと思えばまた逃げるでしょう。そうなれば今度は領外、国外に出られるかも知れません。そうなれば、身の危険は今以上になります。ここは領地巡視の順番が来ただけとアンバイタスを訪れ、結婚後初めての巡視なので領民は祝おうとするでしょうから、今回奥方様の同行はない、と流すのです」
「それでは私が再婚したとラーラが誤解してしまう!」
「それでいいのですよ。奥方様は、ご自分が見つかったわけでもなく、サヴェリオ様が再婚されたと思えば、逃げ出さずに姿を隠すだけになさるでしょう。とにかく、身柄を押さえるのが最優先です」
情報戦のミスリードは、アマデオが散々妻にされてきたことだ。
「代官のクルトにはなんと?」
「膝元に奥方様がいたのに、自分でそれに気が付かなかったことを悔しがるでしょうね。ははは! クルトは腹芸を見破られるような奴ではありませんが、奥方様の人を見る目は一級品です。奥方様であることを知らされたクルトの僅かな変化を感じ取るかも知れません。ここは黙っておきましょう。まあ、すぐに知らされなかったことを拗ねるかも知れませんが、あいつの好きな銘柄の酒でも持っていけば大丈夫ですよ」
辺境伯の良心……その実はとてもイイ性格をしている。情報戦で妻に煮え湯を飲まされているのを根に持っているな……? そして代官のクルトで遊ぶ気でいるな?
そもそも、アマデオとアンバイタスの代官クルトは父と同年代、そして『親友』だ。天才の父と親しく付き合っていける人間が善良なだけの筈がない。それだけでお察しだ。
「では、早速そのように手配しますが、よろしいですね? 坊ちゃんは奥方様に縋ってでも誤解を解かれますように」
坊ちゃんはやめろ。
分かっている。誠心誠意、妻に縋ることにするよ。
二度と失わないように。




