貴方、本当に拾われたのですか?
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「あ、イブさん。お待ちしておりました!」
「わざわざ個別でお出迎えとは、大層な好待遇じゃないの」
リドナの街は、それなりに大きい。それなのに唐突に目の前に現れた街の入り口は閑散としていて、不思議がっていたらイブさんにいわゆる裏口だと教えられた。
そこで僕が目指していたルートが正道ではなかったことを思い出した。
砂色のレンガで組み立てられた建物が立ち並ぶ通りが一直線に続く道は壮観だ。
そのレンガの上の屋根は色とりどりで、橙と桃色のグラデーションに染まった空の色と相まってなんともにぎやかで、見ていて心が躍るようなそんな景色だった。
まばらに歩く人が持っている串に刺さった肉が気になりじっと見ていたら、イブさんが聞いてくれた。気付かれて恥ずかしかったけれど、イブさんはカラカラと笑って素直でよろしい、と雑に僕の頭を撫でた。
先の通りには串肉を含む様々な屋台が立ち並ぶ、にぎやかな場所があるらしい。後ほど寄ってみようという話になった。夕飯は屋台で、という言葉に心惹かれたのは内緒だ。
物珍しさに幼い子供の様にキョロキョロと辺りを見回っていると、砂色のレンガと木材を組み合わせて建てられた、ひときわ大きな建物が目に入る。
あれがこの街のギルドだよ、とイブさんに教えられて近くまで来たところで、出迎えられたというわけだった。
蜂蜜色の腰まである長い髪を下ろしているその女性は、白いシャツと赤いネクタイ、濃紺の上着と黒い膝丈のスカートをはいていた。
僕より年上と言うのはわかるけれど、どうにもイブさんとは別の方向にわかりにくいタイプの女性だった。
「いえいえ!砂竜の出現は私共にとっても想定外でして……。動けるハンターがいなくてマスターと一緒に右往左往するしかなかったんですもの。騎士団に依頼するには時間がかかりますし、マスターが動こうにも先日怪我をしておりまして。貴女が現れた時に、私初めて神を信じる気になりましたの」
ギルドの職員だろうか。一気に勢いよく言い切ったその女性が手を組んで天を見上げたのを見て、イブさんはあきれたように笑った。
一方僕は「もし間に合っても騎士団に依頼していたら塵しか入ってきませんし」とぼそりと冷たくつぶやいたのが聞こえてしまい、顔が引きつっていた。
多分イブさんにも聞こえていたのだろうけれど、全く動じてなかった。僕は昔から、顔芸がへたくそだ。
しかし、塵しか入ってこないというのはどういう意味だろう。
騎士団もハンターも、今までの生活の中ではほとんど関わりのない事だったため、"なんとなくは知っているけれど説明しろと言われれば全く答えられない"という状態だったりする。
「そりゃあ大層なことだね。全くの偶然ではあるけれど、そのままきみの信じる神様とやらを信じてあげておくれ」
「えぇ。そうさせていただきます。加護をつけてくださる懐の深い神だと嬉しいのですけれどね」
あ、この人すごいな、本当に信じていないんだと僕でもわかるほどに淡々と冗談めいて言っていた。
僕が知っている人は少なからず祈りをささげていたから、衝撃を受けてしまった。
「マスターの怪我はどうだい?と言ってもまだ一日しか経っちゃいないけど」
「えぇ、えぇ。マスターは大丈夫です。うちは緊急の依頼もめったにない平和な街ですので、金がもったいないからと教会で治さなかった守銭奴マスターは、反省して本日完治いたしましたの。最初からしていれば満点でしたのに」
「まぁまぁ、予想外の出来事だったんだし、仕方がなかったんじゃないかな」
刺々しい声色で淡々と告げる女性にイブさんがフォローをする。どうやら随分と溜まっていたようだ。
神を信じたことがないと言った口で教会という単語が出るのは、何とも不思議なものだと思う。
お金さえ払えば怪我を治してくれる教会は、治療を必要とする人が信徒である必要はない。治すのは治癒魔法の使える人間で、その人間が仕えている場所が教会であるだけのことである。
治癒魔法が使える人間は、特例を除いて教会で神官として働くことになる。だから、治す側も神様を信じているとは限らない。
いつ聞いてもなんだか歪な制度だと疑問を抱くのだけれど、誰も異を唱えないし昔から変わらない不思議な制度だ。
「えぇ。その通りです。私も覚悟しておりませんでしたので。けれどこれに懲りて使うべきところで節約する癖は直していただきたいと思うのです。あぁ、いけない。すみません、思わず愚痴をこぼしてしまいましたわ」
「ここのマスターは強いひとだと聞いてるからね。だからこそきみが急に来た人間に任せるしかなかったところで悔やんでるってのは伝わってきた。だからそんなに責めるんじゃないよ」
「……えぇ、えぇ。わかっております。すみません。この度は本当に、本当に依頼を受けてくださってありがとうございました。街代表として、僭越ながらお礼を申し上げます。ささやかながらお礼も用意いたしましたので」
一歩後ろに下がり深々と頭を下げた女性に対し、イブさんは嫌そうな顔を隠さず手を軽く振って答える。
まばらにいた通行人が、何事かと視線をこちらに向けていた。
「いらんいらん。あたしはただ依頼をこなしただけのただのハンターだよ。特別なことはしてない」
「ですが……」
それでも食い下がる女性に嫌そうな表情を困ったものに変えたイブさんは、腕を組んで考える素振りをしてから、パッと表情を明るくさせて言った。
「それじゃあお茶でも一杯淹れておくれよ。美味しいものを頼むね。お願いしたいこともあるんだ」
「それでは割に合わないような気も致しますが……そのお願いというものはこちらのできうる限りのことをさせていただきます。それでは中へ……あら?」
いまだ納得しきっていないであろうその女性は、今初めて気付きましたと言わんばかりにこちらを見た。
タイミングが掴めなくて話に入っていなかったし、僕より背の高いイブさんの後ろにいたし、声もかけられなかったので気付かれてないというのは気付いていた。
建物に入る前に気付いてもらえて本当によかった。タイミングが掴めず申し訳ない。
「貴方は……この街の子どもではありませんよね。イブさんのお連れ様でしょうか?今朝はいらっしゃらなかったと記憶しているのですが」
不思議そうに聞いてくる目の前の女性に、イブさんは顎に手を置いて少しだけ考える素振りを見せた後、猫のような緑の目を細めて言った。
「あぁ、この子はね、うん。拾った」
「……はい?」
目の前の女性はどうにも予想外だったようで言葉を理解しきれてないようだった。
視点を変えて考えてみれば、ギルドで対応しきれなかった強力な魔物の討伐を依頼したハンターが依頼を達成して戻ってきたらなぜか少年が付いてきている、しかも拾ってきたらしい、という状況だ。
当事者の僕だって今日一日だけで急展開過ぎて驚いているところである。
ところでイブさん、その通りだけれどもう少し言い方なかったの?という意味を込めて目線を送ると、イブさんはそれに気付いてカラカラと笑っていた。
「素直でかわいい子でね、弟子にしたんだ。ついでにこの子の登録もしてあげてくれないかい?お願いというのは、そのことさ」
「えぇ、はい、え?」
会話の流れ的に僕のハンター登録だろうか。
基本的に、ハンターギルド未登録者の正当防衛以外での魔物の討伐は禁止されている。以前密猟による素材の流通不足と横領が大きな問題となったためだ。
イブさんと僕に交互に送られる視線が困惑に彩られている。
なんだかいたたまれなくなり、口を開く。僕は、また自己紹介を忘れていた。
「あの……初めまして。今日からイブさんの弟子になったリオです。よろしくお願いします」
「あらご丁寧にどうも。失礼いたしました。私はハンターギルド<リドナ>支部の職員、ヴィオラと申します。……貴方、本当に拾われたのですか?」
声をかけた途端、自力で立ち直ったであろう彼女は、何とも言えない視線で疑問を投げかけてきた。
「えぇと……まぁ、はい、流れで……」
残念ながら僕に、あながち間違ってないその疑問を正しく直して伝えるだけの説明力はなかった。
そしてこの場に、年齢を勘違いしていたヴィオラさんが僕のことをイブさんの息子ではないかと訝しんでいたことに気付いた人間も、存在しなかった。