出会い。
12月。
タバコの煙をフゥーっと吐き出すと、夜空に吸い込まれていった。
夏斗は雪が積もった庭をぼーっと眺めては、時折タバコを口にくわえた。
何をする訳でもなく、ただ都会の喧騒から逃れたくて実家に帰ってきた。
「のんびりしすぎてなんだか変な感じだ…あそこは、あんなに生き急いでいたのに…」
「夏斗。一緒にお酒呑まないかい?」
「おう…ばあちゃん。今行くよ」
にこにこした顔に白髪だらけの頭。服は長年買い替えていないせいで首元がたるみ、紫色のセーターには所々シミも着いていた。
顔も酒の瓶を持ったその手もしわくちゃで、小刻みに震えていた。
俺が窓を開けっ放しでいたから寒かったんだろうか。
よっこいしょと立ち上がって、庭の窓を閉めた。
居間に行くと、爺ちゃんが先に座って待っていた。
「なつとぉ~待ってたぞ!こっちこ~い」
だはははっと上機嫌な爺ちゃんは、俺を手招いた。
テーブルの上にはお酒の缶が5本ほど転がっていた。ばあちゃんは、「あんたって人は、ほんっとだらしがないねぇ」と文句を言いつつ、手際よく片づけてお酒の瓶を置いた。その間に、俺は爺ちゃんの目の前の席であぐらをかいた。
「ばあさんはかっかしすぎなんじゃ。もっとこう…ドーンッと構えなきゃならん」
「何を言うてるんですか…酔っ払いもほどほどにしてくださいな」
爺ちゃんはゲラゲラ笑っていたけど、婆ちゃんはすごく迷惑そうだった。
「ほれ、なつとぉ~爺ちゃんと久々に呑もうやぁ」
「はいよ。爺ちゃんほど酒強くねぇけど付き合うよ」
あらかじめ用意されていたおちょこに酒が注がれるのを、何も言わずに見ていた。
爺ちゃんは根っからの酒好きで、呑まない日がないくらいだ。俺が子供の頃からそうだった。ただ尊敬しているのは、酔っ払ったとしても酒の無理強いはしてこない。俺はそれが凄く嬉しかった。
「うぅ…飲み過ぎたわ。酔い醒ましに出るのは良かったけど寒すぎる」
ジャンパーの中に3、4枚着込んで、風邪も引きたくないのでマフラーにカイロもつけてきた。
田舎だけあって、夜は街灯がポツポツ灯っているくらいだ。
コンビニも家からはかなり遠い。
「そういや、秘密基地ってまだ残ってんのかな?」
秘密基地というのは友達がいない俺が、小さい頃によく遊びに行ってた遊具も何も無いただ開けた土地の事だ。
あるのはちょっとした川だけだったから、人通りもなくて誰にも邪魔されないお気に入りの場所だった。
「もう20年ぶりくらいか。無くなってなきゃいいけどな」
一歩踏み出す度に、積もった雪がキュッキュッと音を立てる。
呼吸をすると白い息が上がった。
俺は東京が嫌になって逃げてきた。
逃げたと言っても仕事を辞めたわけじゃない。有給休暇をまとめて消化するためだ。でも、なぜあんなに憧れてた場所が、息苦しく感じるようになったのか。
俺にもよくわからなかった。毎日目まぐるしく進む日々に疲れただけか。
考え事をしながら歩いていたせいか、わりとすぐにそこへ着いた。
昔と変わらず開けたままの状態で、秘密基地はそこにあった。変わっていたのは1本電灯が付いていたくらいだった。
「……ん?」
今は夜中の12時を回っているにもかかわらず、先客がいた。不審者かと思い、しばらく距離を取って様子を伺った。
(こんな夜中に……何してるんだ?)
街灯の灯った場所で、高校生から20代くらいの少女が雪遊びに夢中になっていた。真冬にも関わらず、その格好は真っ白で長めのポンチョに赤いベレー帽を被っているだけの軽装だった。
女の子があんな格好で寒くないのか?内心ちょっと心配した。
しゃがんで背を向けていたからか、俺の存在に気づいていないらしかった。
しまいには歌を歌い始めた。
「ゆーきやこんこ、あーられやこんこ、ふってもふってもまだ降りやまぬ」
その歌声は透き通っていて、夜の世界に心地よく響き渡っていった。
空からしんしんと雪が舞い降り始めた。
「すげーキレイな声……」
俺は雪だるま作りに夢中な彼女に、思わず声をかけたい衝動に駆られた。
と同時に、少し怖くなった。
こんな夜中に人気もない場所。もしかしたら、あぶないやつなんじゃないかと。
俺はどうしようか悩んだ結果。
帰ろうと思って後ろ歩きで進んだ。
1歩2歩と順調に距離を離していたのもつかの間。
雪の下に埋もれていた何かに足を引っ掛けて、そのまま背中から地面に倒れた。
「うおっ!いっ…てぇ……」
どさっといい音と共に背中に衝撃が走った。32歳にもなって背中から転ぶなんて、想像もしてなかった。
なんというか、情けない。
俺は恥ずかしくなって顔を腕で隠した。
ドタドタ雪道を走ってくる音がして、上から声が掛けられた。
「だいじょうぶですか!?……怪我とか、どこか痛いとかないですか?」
「どうもすみません。たぶん大丈夫だと思います」
はははと乾いた笑みをしてみせた。
「それなら良かったです。起き上がれますか?」
「お恥ずかしい姿をお見せしてしまってすみません……」
起き上がろうとした時、初めてまじまじと少女の顔を見つめた。
真っ白でキメ細やかな肌、瞳は空の蒼さを象ったような透明感。唇は春に咲きほこる桜のような薄紅色だった。
冬の冷たい風が、彼女の柔らかな銀髪をいたずらに弄んでいた。
時間が止まった錯覚さえ覚えた。
ぼーっと彼女を見つめていた俺は、はっとして急いで立ち上がった。
「えっと、こんな夜中に女の子一人で居たら危ないじゃないか。きっとまだ学生だろ?だれかに誘拐されても危ないし、俺でよかったら家まで連れてってやるから、帰った方がいい……って親でもない俺が言うのも変かもしれねぇけど」
『キミの美しい姿に見惚れていたんだ』不器用な俺に、そんなキザな甘いセリフを言えるわけもなく、心とは裏腹に口から出たのはお節介だった。
彼女は数秒間ぽかんと口を開けていた。
「ふふふ……お兄さん面白いわね。こんな所にくるお兄さんだって変な人だよ?それに私は学生じゃないよ。社会人で一人暮らしだから心配しなくても大丈夫」
彼女はくるりとその場で回ってから、俺を見て不思議そうに首を傾げた。
「それよりも、お兄さんはどうしてそんな疲れた顔しているの?」
「きっと仕事疲れじゃないか?最近は会社が特に忙しかったし、それで休みたくてこっちに戻ってきたんだ」
頭をポリポリと搔いた。あまり自覚はないが、俺は疲れているように見えているらしかった。
「そっか。私ね、都会ってどんな場所かわからないんだ。ほら、ずっとここにいるからね」
「そうなのか」
都会は幻想に過ぎない。実際に住んでみても、選べる仕事の幅が増えるくらいで、ここもあそこもずっと1人でいることに変わりはなかった。
そんな場所へ彼女は憧れを抱いている。その瞳はきらきらしていて眩しかった。
無知でバカだった当時の自分を見ている気がして、心がチクッと痛んだ。
嫌なことを思い出しそうになって、頭を横にふるふると振った。すかさずポケットからタバコを取り出すと、ライターで火をつけた。
空から緩やかに粉雪が降り続けている。
俺の頬に当たっては一瞬にして解けて水に変わっていった。
流れていた沈黙に耐えきれなくなった少女は、伺うように口を開いた。
「ねぇ?もしも嫌じゃなかったら、名前教えてくれないかな?」
「それって、俺のか?」
コクコクと首を縦に動かした。
期待と不安の入り混じったような瞳で、俺を見つめていた。
「友達とか話せる人が居なくて、久々に誰かと話せて嬉しいの」
もじもじと膝を擦り合わせていた。
初対面で人に名前を教えるのは普通なら少なからず抵抗があるはずなのに、何故か俺は親しみさえ感じていた。
タバコを吸い終えてから、俺は彼女に視線を戻した。
「夏斗っていう。君は?」
「夏斗さんか……じゃあ私とは反対の季節だね。私はゆき!気軽にゆきちゃんって呼んでくれてもいいからねっ」
「ぷっ…なんだよそれ、自分から呼んでくれって言われるの初めてだわ。面白い奴だな」
今までにない感情だった。
数秒後に笑いが堪えられなくなって、2人で腹を抱えて笑い出した。
読んでくれてありがとうございます。
楽しんでもらえたら嬉しいです.。o○(また更新しようと思います)