決着
煩いほど鮮明に己の聞こえる吐息。その集中力は極限までに研ぎ澄まされていた。
肩で息をする少女の双眸に映るのは憎き両親の仇。
体感的には数時間は戦っていると錯覚させるほどの疲労が蓄積されていた。
「はあああああああああああああッ!」
刀身から火花を散らす鍔迫り合い。それはすでに数十回にも及んでいた。
得物はどちらも日本刀。
剣客同士の戦いであるが故に実力に開きがあれば短時間で結果が出ただろう。
しかし状況は拮抗状態。未だにどちらが上だといえる決定的なものはなかった。
『短期間でよくぞここまで練り上げた』
「あなただけは必ず私の手で倒す」
『怒りでそこまで強くなるとは人間という生き物は真に興味深い』
純粋な戦闘力だけならばヒトキリは琴音よりも数段上手だった。
にもかかわらず琴音が単騎でヒトキリと互角以上に競り合える理由――。
それは何がなんでも自分の手で敵討ちをしたいという強い目的意識と胡達が付与したフローがうまく調和し、結果として琴音の潜在能力を極限まで引き出すことに成功した事に起因していた。
『ぐむっ……』
「生身なら今の出死んでますね」
『小癪ッ!』
ヒトキリの剣筋は光の線と形容できるほどに速かったが、琴音は近未来を予知するがごとくそのすべてを的確に捌けるほどに冴えていた。
どのような使い手であっても癖という呼吸は必ず存在する。
それが読めない前半は劣勢だったものの戦局は徐々にだが確実に琴音に傾きつつあった。
「ぐっ……!?」
突発的な地震のような眩暈とともに琴音の胃を逆流してきたもの――。
ヒトキリから距離を置いた琴音が勢いよく吐き出したのは夥しい量の赤い液体。
「なんで……」
大きなダメージは受けていないにも関わらず突然の吐血。
それは琴音の精神に影響を与え一瞬ではあるが反応を鈍らせる。
『好機ッ!』
「この程度でッ!」
『さらに斬撃が速く……!?』
人間と同等あるいはそれ以上の知能を有するヒトキリは気付いていた。
――琴音の実力には大きな波がある、と。
フローが浅い時は取るに足らないものだったが、フローが深い時は今までに戦ったどの術者よりも脅威。
なまじ実力が不安定であるがゆえに仕掛けるタイミングを見極める難しさ。
下手をすれば返り討ちになるため、ヒトキリは攻めあぐねていた。
『だがこれ以上は好きにさせん!』
肉を切らせて骨を立つ。妖魔特有の高い再生力を持つからこそ可能な選択肢。
リスクなくして確実には倒せないと判断したヒトキリは痛み分けを狙った。
「――――ッ」
琴音は瞬時にヒトキリの狙いに気付き後ろに跳んでそれをやり過ごす。
だが、それすらもヒトキリにとっては想定の範囲内だった。
「しまっ……」
やり過ごすことを見越しての飛ぶ斬撃。
黒紫色の斬撃は瞬く間に琴音の眼前まで差し迫った。
「させるかよッ!」
絶体絶命の少女を庇う影――。
それは琴音にとって最大の理解者であるのと同時に最愛の人物だった。
「祥雲ッ!」
一度ならず二度も助けられた。祥雲の腕は以前と同様にパックリと裂け傷口からは血が溢れる。
「どうして……」
「待たせたな。予定じゃもっと早くに駆けつけるつもりだったんだが」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう! 祥雲の腕が……」
「霊力で抑えてある。痛みなんてほとんど感じないから気にするな」
「気にしますよッ!」
「こっちは後回しでいい。それよりもお前にはやるべきことがあるだろう」
「私がやるべきこと……」
「わからないなら俺が代わってやろうか?」
「……いえ、私にやらせて下さい」
自分は一人じゃない。祥雲は行動でそう示してくれた。
琴音の涙腺は今にも崩壊しそうだったが、小さく息を吐いて気持ちを落ち着かせる。
――見据えるは両親の仇である怨敵。
再起動とばかりに心を奮い立たせた琴音は刀を納めて抜刀の構えをとった。
「……いきます!」
勢いよく地を蹴りヒトキリの懐を目掛けて突っ込む琴音。
先刻までとは打って変わって別人のような雰囲気。油断はできない。
ヒトキリはそんな琴音を迎撃すべくありったけの妖気を込めた太刀を振るった。
『なんと……』
一方的に弾かれるヒトキリの太刀。
バランスを崩したヒトキリの腹が裂けた。
『ぐむッ……』
ぱっくりと裂けた部分から血のように黒い瘴気を噴き出すヒトキリ。
人体であれば即死となり得ただろう。
だがヒトキリは妖魔。人の常識などというものは通用しない。
『死ね、人間!』
すぐさま反撃に転じたヒトキリは琴音の額に横一文字の斬撃を走らせる。
咄嗟に仰け反ったことで最悪の事態は避けられたものの、琴音の額からは真っ赤な鮮血が滴り落ちた。
「この程度ッ!」
怯むことのない琴音の斬撃でヒトキリの左腕が裂ける。
周囲に響く刀同士がぶつかる不協和音。
それは死闘と呼ぶに相応しい凄惨な様相を呈していた。
「援護しようにも距離が近すぎるな」
「よせ」
「なぜ止める?」
「これは琴音の戦いだ。余計なことをするな」
腕を横に突き出して琴音に加勢しようする鉄山を制止する祥雲。
そんな祥雲を見る鉄山の表情は承服できないと言わんばかりものだった。
「傍観を決め込むなんて正気か?」
「何度も言わせるな。これは琴音の戦いだ」
逆鱗に触れるがごとく尋常ではない表情で鉄山を睨みつける祥雲。
「お前……」
今までに見たことがない表情だけあって鉄山は諦めるように不貞腐れるとその場に座り込んだ。
「琴音ちゃんが死んだらお前の所為だからな」
「あいつは死なない」
「なにを根拠にそんなことを――……」
「琴音は俺の弟子だからな」
恥ずかしげもなく堂々とそう言い放ったことで目を丸くする鉄山。
言いたい事がいろいろとあり過ぎて何を言えばいいのかわからない。
混乱のあまり鉄山は祥雲の顔を覗き込んだ。
「戦ったお前なら知ってるはずだ。琴音は実戦に強い」
「そりゃまあ、わかるけどよッ!」
「琴音は相手の強さに比例して強くなる。この戦いの結果がどうなるかなんてもはや誰にもわからねぇーよ」
本来ならヒトキリは九字護身が相手にしなければならないほどの強敵。
術者として本格的な修業を始めて半年に満たない霊能者が戦っていい相手ではない。
常識でいえばそのはずだったが戦況は一進一退。
もはやそれは理屈ではなかった。
「はあああああああッ!」
獣のような咆哮を上げてヒトキリと斬撃の応酬を繰り広げる少女。
すでに体力、気力、霊力が限界を迎えているのか、琴音の穴という穴からは赤い液体が止め処なく滴り落ちていた。
「そら見ろ、現実はアニメやゲームのようにうまくいくはずねえ。これ以上無理を続けるとマジで死ぬぞ。仮に運良く助かったとしても霊能者としては再起不能だ」
琴音の状態を見兼ねた鉄山が祥雲の胸座を掴んでそう捲し立てる。
しかしそれは祥雲とて百も承知。言われるまでもない。
どういった結果になろうとも静観すると決めた祥雲は動じなかった。
「俺達が加勢すれば琴音は勝てるだろう。だが、それだと琴音の囚われた心は永遠に救われない。この戦いこそが琴音が過去と決別できる唯一のチャンスなんだ」
「けっ、そうかよ。どうなっても知らんからな!」
「……すまん」
ようやく鉄山が折れたことで戦いは琴音とヒトキリだけのものとなった。
そんな外部のやりとりなどお構いなしに死闘を繰り広げる両者。
万物すべてが終わりを迎えるのが道理であるように、琴音とヒトキリの戦いもまた最終局面を迎えつつあった。
「うっ……」
琴音の頬を掠めるヒトキリの斬撃。
一歩間違えば目を失っていたという事実が琴音の感覚を鈍らせる。
その隙を突くように仕掛けたのはヒトキリ。
それはほんの一瞬だった。
『切り捨て御免!』
飛ぶ斬撃の兆しである黒紫色の瘴気がヒトキリの太刀を覆う。
琴音が至近距離でそれを受けて助かる見込みはない。
そんな極限の状況下で地面を蹴って一度ヒトキリから距離を置いた琴音は再度刀を鞘に納めて抜刀の構えをとると、そのままヒトキリ目掛けて真正面から突っ込んだ。
「はああああああああああああああああああッ!」
タイミングはほぼ同じ。
二振りの刀が雌雄を決するように激突する。
「――――――――ッ」
何がどうなったかもわからないうちに軽く感じる刀身。
奇しくもそれは死闘を繰り広げた両者が時を同じくして感じたことだった。
「ここまで……か……」
刀身が砕け落ちると同時に身体中から血の飛沫を噴き出した琴音がその場に崩れ落ちる。
ドクドクと染み渡るような痛みに苛まれる中ですべてを出し尽くした琴音は憑き物が落ちたような顔をして、ゆっくりとその瞼を下ろした。
「ほら見ろ。やっぱり奇跡なんてものは起こらなかった!」
「それはどうかな?」
先に倒れたのは琴音。それは間違いない。
鉄山は琴音の負けだと判断したが祥雲の見解はそうではなかった。
『潮時か……』
太刀が砕け散ると同時にヒトキリを覆う大量の瘴気。
それはヒトキリと太刀は一蓮托生であることを意味しており、刀の破壊こそが妖魔としてのヒトキリの弱点だった。それを証明するように瘴気となって消え失せるヒトキリ。
――つまりは引き分け。
図らずともそれが祥雲の見解であり正しい結果だった。
「琴音ッ!」
結果が出るなり琴音の傍へと駆け寄る祥雲。
地に臥した琴音を抱き上げた祥雲はその身体を揺らし何度も呼びかけた。
「おい、しっかりしろ!」
「うっ……」
「よし、生きてるな! 辻桐、頼む」
「御意」
ヒーリングの素質に恵まれなかったことを歯痒く思いながら祥雲は琴音を辻桐に託す。
最悪は死んでもおかしくなかったが琴音は生きている。
祥雲にとって今はそれだけで十分だった。
「おいッ、二条!」
「わかってる。どうやらこれが本当の最終ラウンドらしいな」
門番であるヒトキリが消滅したことで不安定になる十二区の巣穴。
周囲の空間を歪ませながら徐々に半透明となり消えかかる中で最後の足掻きとばかりに渦の中から召喚したのは数えきれないほどの妖魔の群れ。
「最後の最後でとんだ貧乏くじだな。ついてねえ……」
「最後に活躍ができる場面があってよかったじゃねーか」
「後ろの女子二人は死守するが、お前を守る気は毛頭ないからな」
「ハゲが〝毛頭〟なんて言葉使うなよ。ギャグにしか聞こえねーぞ」
「この戦いが終わったら真っ先にぶっ殺してやるから覚悟しとけ」
「悪いが誰が相手だろうと死ぬつもりはない」
二人が軽口を叩きあっている間に勢いよく迫ってくる妖魔の群れ。
それを迎撃するのは満身創痍に近い二人の九字護身。
十二区攻略戦の最終局面であるこの戦いは後に死国戦における最後の一幕として語られ、若手九字護身の台頭を意識させる出来事として広く周知された。




