約束の少女
すべての廃墟で妖魔を狩りを終えた頃にはすっかり夕暮れ。
何も苦戦したとかではない。所有する土地があまりにも広すぎるのだ。
所要時間の大半は廃墟間の移動時間。
部活帰りのように疲れ切った表情で帰宅した祥雲はふと違和感に気が付いた。
「ん……?」
視界に入ったのは見知らぬ白い靴。いかにも若い女が好みそうな洒落た靴が行儀よく揃えて並べられていた。
首を傾げたところで来客の予定なんてものはなし。近所の世話焼き婆さんが作り過ぎた料理を善意で持ってきてくれたという可能性もあったが、それなら履物は安物のサンダルと相場が決まっている。
「じゃあ、誰だよ……」
リビングの明かりは点いている。つまりそこに誰かいると考えるのが自然。
可能性の一つとして空き巣の線もあるので、ごくんと生唾を呑み興奮する気持ちを落ち着かせた祥雲は忍者のような忍び足でリビング前まで移動すると細心の注意を払いながらゆっくりとドアノブを下げた。
「…………ッ」
覚悟を決めた祥雲は特殊部隊のような機敏な動きで突入する。
作戦領域に入ってすぐに感じた人の気配。
それはテレビの前に置かれた白いソファーの上からだった。
「なんだお前は?」
「ひゃ……!?」
祥雲の声に反応してビクッとする人物。
慌てふためき起き上がった女は祥雲の姿をその目に捉えた。
「あれ……ここは……?」
「俺の家だが」
祥雲の前には高校生ぐらいの少女。
いくら記憶を辿ろうとも知り合いに該当する人物などはなし。
少女を赤の他人だと結論付けた祥雲は先制攻撃とばかりに問い質す。
「どこの誰かは知らんが不法侵入とはいい度胸だ。警察に突き出してやろうか?」
改めて周囲を見てみるとソファーの傍には旅行用のキャリーバッグが二つ。
少女の私物を尻目に祥雲は再び少女に視線を移した。
「勝手にお邪魔してすいません。あの……」
不法侵入についての謝罪に加えて何か言いたげな様子。
察するにワケあり。おそらくは泥棒の類ではないだろう。
祥雲がいろいろと考えているうちに少女はソファーから降りると床に正座し、フローリングの床に頭を擦りつけた。
「ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
まるで婚姻の挨拶。
あまりにも唐突過ぎる言葉に祥雲は目を丸くして言った。
「は……?」
どれだけ頭を働かせようとも理解できる範疇を超えている。
現状は祥雲にとって想定の範囲外でしかなかった。
「なにを言っている。それはどうゆう意味だ?」
「なにって結婚の話ですよ。結納はいつになさいますか?」
見知らぬ少女が切り出してきた結婚話。
妖魔相手に百戦錬磨の祥雲もこの時ばかりは焦りの色を隠せなかった。
祥雲にとってはまったく身に覚えのないことだったが、だからといって眼前の少女が嘘をついているようには見えない。
いろいろと考えた結果、祥雲はひらめくように一つの結論に辿りついた。
「……少しここで待っててもらってもいいか?」
「わかりました」
少女を待たせて向かったのは二階の自室。部屋に入るなり充電ケーブルを引っこ抜いた祥雲は一分一秒を争うように電話をかけた。
『もしもし?』
「もしもしじゃねぇーよ糞親父! 一体どうゆうことだよ!?」
『何の話だ?』
「見知らぬ女が押し掛けてきて俺と結婚がどうとか言ってきた。さては親父の差し金だろう?」
『あー……』
「やっぱ心当たりがあるんだな。説明しろ」
『コトネちゃんだろ。写真で見たが実物はどうだ? やっぱ可愛かったか?』
「それはこの際どうでもいいんだよ!」
『お前にゃもったいないぐらいの上玉だし、ありがたく結婚しとけよ』
「ふざけるな。母さんに愛人の子が押し掛けてきたってチクってやろうか?」
『馬鹿な真似はよせ。ちゃんと説明してやるから少し落ち着け……』
「まずは親父が落ち着けよ。声が震えてるぞ」
『どこから話せばいいか……あれはそうだな……今から十五年ぐらい前の話だったか。二条家が統治する神社の一つが強力な妖魔に襲われて多額の修繕費が必要になったんだ。それを俺が負担してやったわけなんだが、そこの神主がずいぶんと律儀な男でな。どうしても借りを返したいって夫婦揃ってしつこいから神主の娘が美人に育ったら二条家に嫁いでもらうことでなんとか話をつけたんだ。でもまさかそんな昔の口約束を覚えていたなんて夢にも思わなくてよ。ハハッ、まいったなこりゃ』
事の顛末を聞かされた祥雲は意気消沈するようにベッドに倒れ込む。どこから突っ込んでいいのかわからない祥雲は呆れるように言った。
「俺の意思は無視かよ……?」
『どうせ彼女いない歴=年齢なんだし、問題ないだろ』
「アンタの無責任を俺に押し付けるなッ!」
『なにはともあれこれはチャンスだ。後はお前とコトネちゃんで話し合って決めろ。それと俺は隠居して一般人として第二の人生を謳歌してんだから次からは大した用もないなら連絡してくんなよ』
「てめえ、それでも親か!」
『親の務めは義務教育までだ。あとは自分で考えるんだな。バイビー』
これ以上関わる気はないとばかりに一方的に切られた通話。虚しくもツーツーと切断音だけが祥雲の耳元でいつまでも鳴り続けた。
「くたばれ糞親父!」
枕に携帯を叩きつける祥雲。その心はぶつけようのない怒りに満ちていた。
「あの、どうかなさいましたか?」
「ああッ……!?」
「すごい声が聞こえたもので……その、すいません……」
いつの間にか祥雲の部屋の前には件の少女。
言うなれば祥雲とは違った意味で彼女もまた被害者だ。
「ちょっと話があるから部屋に入ってもらってもいいか?」
「はい。失礼します」
父がクズなだけで自分は悪くない。そう思いながらも祥雲はケジメとばかりに床に正座する。そのことから大事な話だと察したのか少女は祥雲と向かい合うようにして正座した。
「話せば長くなるんだが……」
祥雲は事の顛末と無責任な父に代わっての謝罪、そして十五年前の約束を破棄する旨を少女に伝えるのだった。